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不死鳥「ひのとり」で新幹線に挑む、近畿日本鉄道・名阪特急の歴史がすごい

文春オンライン / 2021年8月1日 6時0分

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近鉄「ひのとり」(プレスリリースより)

 圧倒的な競争相手が現れた場合、それでも勝負を続けるか、あきらめて別の道を探すか。ビジネスやスポーツにはよくある話。人生にもそんな転機があるだろう。

 そんなとき、ちょっと勇気をくれるエピソードが鉄道の歴史にある。近畿日本鉄道の「名阪特急」だ。名古屋と大阪を結ぶ特急列車群を指す。2020年3月には真っ赤な車体の80000系電車「ひのとり」がデビューして、鉄道ファンに鮮烈な印象を与えた。

 80000系電車「ひのとり」は、大阪難破~近鉄名古屋間を最短2時間5分で走破する。最高運転速度は時速130キロ。真っ赤な車体に陽光をきらめかせて走る姿は惚れ惚れするほどカッコいい。

 私も運行開始直後に乗ってみた。いくつもの駅で各駅停車や急行を待避させ、真ん中の花道を通って追い越していく。最高待遇の列車に乗っているという優越感。鉄道ファンではなくとも心の弾む体験だ。

「ひのとり」は「のぞみ」に勝てる?

 しかし、大阪~名古屋間を鉄道で移動するとなれば、誰もが東海道新幹線を思い浮かべるだろう。「のぞみ」の新大阪~名古屋間は約50分、「こだま」だって1時間10分程度。「ひのとり」の半分程度だ。名阪間は東海道新幹線の圧勝ではないか。

 ただ、これは関東人の思い込みかもしれない。東京方面からわざわざ名古屋で近鉄特急に乗り換える人は少ないだろう。ところが、名古屋や大阪に住む人としては比較対象になる。

 料金を比較すると、新大阪~名古屋間の「のぞみ」は指定席(繁忙期)で6880円、自由席で5940円。「こだま」は指定席(同)で6670円、自由席はのぞみと同じ5940円。これに対して「ひのとり」は大阪難波~近鉄名古屋間で4540円(レギュラー車両)だ。1400円~2340円も安い。

所要時間が長いぶん居心地を良くした「ひのとり」の座席

 そして座席の居心地もいい。新幹線車両も悪くないけれど、「ひのとり」は近鉄が力を入れている。所要時間が長いぶん居心地を良くしよう、という発想だ。

 レギュラーシートのシートピッチは新幹線の普通席より12センチ長く、リクライニングはバックシェル式で後席に遠慮なく倒せる。上級クラス「プレミアムシート」は横3列配置、本革仕様のバックシェル式で、電動リクライニング、電動レッグレスト。まるでJR東日本とJR西日本の「グランクラス」なみの豪華装備。しかしレギュラーシートとの差額はわずか700円だ。

 大阪在住なら、新大阪駅より難波駅のほうが便利という人も多いだろう。居住地からのアクセスが良ければ所要時間の差も縮まる。そして乗り心地、値段を考えれば、新幹線より近鉄、という選択はある。地元の電車、近鉄贔屓という面もありそうだ。なぜなら、近鉄名阪特急はかつて国鉄と互角の勝負をし、多くの人々に愛されてきたからだ。

伊勢を目指した路線が結ばれ、名阪連絡が可能に

 近畿日本鉄道こと近鉄は、大手私鉄で最大の路線網を持つ。それは戦前戦中に進められた私鉄の合併、統合の結果だ。名阪特急は近鉄の大阪線と名古屋線を直通する特急列車だけれども、それぞれの路線は直通目的ではなかった。どちらも伊勢神宮を目指した「参詣鉄道」だった。

 大阪線は大阪電気軌道(大軌)が上本町~桜井間を建設、1929年に全通した。桜井~伊勢中川間は姉妹会社の参宮急行電鉄(参急)が建設した。全長3,432メートルの青山トンネルを始め16カ所のトンネル、135カ所の鉄橋を架設する大工事だった。参急線は1930年に伊勢中川まで開業し、現在の大阪線部分が開通した。参宮急行電鉄は同年、さらに山田駅(現・伊勢市駅)まで延伸し、両社は直通運転を開始。1931年に宇治山田まで延伸して大阪~伊勢神宮参拝ルートが完成した。

 勢いがついた大軌グループは、次に伊勢から名古屋への延伸を目論んだ。その先に電車による名阪間直通計画があった。参急は1930年に伊勢中川駅側から久居まで路線を延伸し、翌年に津新町に到達した。

 一方、津~伊勢間は伊勢電鉄が開業していた。1924年に伊勢鉄道として開業した全線電化路線だ。名古屋延伸と伊勢方面延伸を画策し、1930年には伊勢方面大神宮前駅へ延伸した。参急の参入に対する対抗策だった。桑名~大神宮前間に特急を走らせたけれども、この無理がたたり、伊勢電鉄は経営不振に陥る。

 参急も世界恐慌の影響で赤字状態だ。とりあえず1931年に津新町から国鉄の津駅まで結び、国鉄と伊勢電気鉄道に乗り換え可能となった。津~名古屋間は他社線になるけれども、伊勢回りの名阪ルートができた。三重~大阪間は、名古屋回りより伊勢回りのほうが早かった。

国鉄は関西本線準急で対抗、参急は名古屋延伸へ

 大軌グループが名阪ルートを担ったことで、国鉄側も対抗策をひねり出した。それまで名阪間は東海道本線が主だったけれど、裏街道扱いだった関西本線をテコ入れする。1930年に「快速度列車」と称して名阪間を4時間以上かけて走った列車を準急とし、1日3往復、所要時間3時間7分とした。大軌グループへの並々ならぬ対抗心、国営事業の威信を見せた。

 しかし大軌グループは名古屋延伸の野望を捨てない。1936年に伊勢~津間の競争相手、伊勢電鉄が経営破綻すると、参急が吸収合併する。ライバルの線路がほしかったわけではない。伊勢電鉄が持っていた名古屋方面の路線免許がほしかった。そこで未着工の桑名~名古屋間を建設するため関西急行電鉄を設立する。

 参急の津駅と旧伊勢電鉄の津駅は離れていた。参急で伊勢から津に来ても乗り換えが便利な国鉄に流れてしまう。せっかく伊勢電鉄をグループに引き込んだ意味がない。そこで1938年に参急は津線をちょっとだけ延伸し、旧伊勢電鉄の江戸橋駅に到達させた。その直後、関西急行電鉄は名古屋駅の地下、関急名古屋駅に乗り入れた。大軌グループによる名阪ルート完成だ。

大軌グループの大改革

 ところで、大軌グループは世界標準軌間(1435mm)を採用している。伊勢電鉄の線路は狭軌(1067mm)だった。伊勢電鉄は国鉄と接続して貨車の乗り入れを実施したからだ。このままだと上本町~名古屋間の乗客は、伊勢中川と江戸橋で2回の乗り換えを強いられる。そこで大軌グループは大改革を実施する。伊勢中川~江戸橋間を標準軌から狭軌に改造して直通運転を開始した。もっとも、のちに元に戻す結果になるけれども。

 上本町~伊勢中川間は標準軌のままだ。だから大阪・上本町と名古屋は、伊勢中川駅で1回乗り換える必要がある。しかも伊勢中川経由は遠回りだ。しかし蒸気機関車の国鉄より伊勢回りの電車のほうが所要時間を短縮できた。1938年、上本町~名古屋間は3時間15分。関西本線準急とほぼ同じ。東海道本線の急行より速かったという。その後もスピードアップの挑戦は続く。

 1938年といえば鉄道の戦時合併が始まった年だ。大軌グループは周辺の鉄道を次々に合併していく。1940年に参急は関西急行電鉄を合併して路線を統合し、名阪間の所要時間を3時間1分まで短縮した。乗り換え1回の手間があるとはいえ、関西本線準急と互角の戦いとなった。1941年に大軌と参急が合併し、関西急行鉄道が発足した。

 この頃、国鉄の関西本線準急は所要時間3時間9分、1日3往復。大軌グループは所要時間3時間19分、30分間隔のダイヤに落ち着く。スピードと運行本数の戦いであった。しかし、この競争時代も太平洋戦争の影響で終止符を打つ。国鉄は「決戦ダイヤ」で3時間30分、大軌グループは3時間40分。やがて戦時体制へ移行し、列車の運行そのものが維持できなくなる。

 1944年、関西急行鉄道は南海鉄道と合併。ここに近畿日本鉄道が誕生した。

( 後編 に続く)

「スピードで勝てなくても、価格で勝負できる」近鉄vs国鉄、“名阪特急”競争の切り札 へ続く

(杉山 淳一)

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