1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

《快楽殺人》「苦しむ姿に興奮を覚え、強姦しながらも刺し続けた…」実母、面識のない姉妹を殺害した“大阪姉妹殺人事件”の全貌

文春オンライン / 2021年8月30日 11時0分

写真

©iStock.com

「蚊も人も俺にとっては変わりない」「私の裁判はね、司法の暴走ですよ。魔女裁判です」。そう語るのは、とある“連続殺人犯”である。

 “連続殺人犯”は、なぜ幾度も人を殺害したのか。数多の殺人事件を取材してきたノンフィクションライター・小野一光氏による『 連続殺人犯 』(文春文庫)から一部を抜粋し、“連続殺人犯”の足跡を紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆ ◆ ◆

CASE2 山地悠紀夫
大阪姉妹殺人事件

 2005年11月17日、住所不定・無職の山地悠紀夫(22)が大阪市のマンションに住む坂田有希さん(仮名、当時27)と真美さん(仮名、当時19)を相次いで殺害した事件。全く面識のない姉妹を強姦しながらナイフで幾度となく刺し、死に至らしめた犯罪史上に残る凶悪事件。山地は16歳だった00年に母親を殺害しており、05年の事件後の取り調べでも「母親を殺したときのことが楽しくて、忘れられなかった」「死刑でいいです」と話していた。07年に死刑が確定、2年後の09年に25歳の若さで死刑執行された。

快楽殺人

「被告人を死刑に処する」

 2006年12月13日、大阪地裁201号法廷で裁判長がそう告げると、チェックのシャツにベージュのズボン姿の男は、一瞬頰を強張らせた。しかしそれ以外はとくに目立った反応はなく、刑務官に挟まれて退廷する直前に口角を上げて微笑を浮かべた。

 山地悠紀夫(ゆきお)、23歳。彼は05年11月17日未明、大阪府大阪市浪速(なにわ)区のマンション4階に住む坂田有希さんと真美さんの姉妹を惨殺した。山地が問われたのは、強盗殺人、強盗強姦、非現住建造物等放火など、6つの罪状に及ぶ。

 犯行から18日後の12月5日に、現場からわずか1キロメートル先の路上で身柄を確保された山地は、自分の名前を呼びかけてきた刑事に「完全黙秘します」と反応した。逮捕後、建造物侵入は認めたが殺人について否認を続けた彼は、18日に殺人を認め、「人を殺すのが楽しかった」と供述して快楽殺人を主張。送検される車内では居並ぶ報道陣のカメラに向かって不敵な笑みを見せるなど、特異な言動で世間を騒がせた。

 彼の犯行は、その端整で物静かな雰囲気の顔立ちに相反して、酸鼻(さんび)を極める残酷なものだった。

野宿生活で目にしたのが有希さんと真美さんだった

 福岡県のゴト師(パチンコやパチスロの不正操作で出玉を獲得する人物)集団のメンバーとして、犯行のわずか1週間前である11月11日から、被害者と同じマンションの6階で共同生活をしていた山地は、元締めに叱責されたことが原因で14日に離脱。ひとり隣接する公園で野宿生活を送っていた。そこで目にしたのが、深夜に帰宅する有希さんと真美さんだった。

 大阪府東大阪市生まれの有希さんは、小学校入学前に奈良県へと転居し、地元の高校を経て大阪市の服飾関係の専門学校へ通った。その後、両親が経営する会社を手伝う傍ら、01年4月頃から同市中央区のラウンジで働き、この店の女性経営者と、間もなくブライダル関連の事業を立ち上げる予定だった。

 一方、奈良県で生まれた妹の真美さんは、地元の高校を卒業後、介護ヘルパーを目指して就職活動をしていた。事件の数日前から中央区にある姉の有希さんとは別のラウンジに職を得て、8歳年上の彼女と同居を始めたばかりだった。

最初から有希さん姉妹を狙っていた

 事件発生時に大阪府警を担当していた記者は語る。

「山地は警察の取り調べで『(殺すのは)誰でもよかった』と否認していますが、最初から有希さん姉妹を狙っていたようです。事件前日の午前3時ごろに姉妹の部屋の電気が点滅し、あとで調べてもらうと配電盤がいたずらされていた痕跡がありました。また、事件の4時間前には、ベランダ側から姉妹の部屋に侵入しようとした山地が、隣接するビル伝いに配管をよじ登ろうとしている姿が、住人に目撃されています」

 山地は姉妹の部屋がある40×号室からほど近い、エレベーター脇の階段踊り場に身を潜め、姉妹の帰りを待った。彼は事前にコンビニで購入していたペティナイフをジャンパーのポケットに隠し持ち、金づちをリュックに入れていた。

 午前2時過ぎ、まず有希さんが帰宅して玄関のドアを開けた。背後から忍び寄った山地は、彼女を室内に突き飛ばしドアを施錠。立ち上がろうとした有希さんに躊躇なくナイフを突き出すと、刃先は左頰に刺さり、彼女は仰向けに倒れた。山地はその首に手をかけ、抗う彼女を部屋の奥まで引きずると……。

 先の記者はそこでの凄惨(せいさん)な状況を説明する。

強姦しながら刺し続ける30分

「山地は何度も有希さんをナイフで刺し続けたと供述しています。その途中でほとんど意識を消失した彼女のズボンと下着を脱がし、強姦しながらも刺し続けたそうです。やがて彼は目的を遂げると、証拠隠滅のために自分が出した精液をトイレットペーパーで拭いてトイレに流し、瀕死の状態の有希さんを奥の部屋のベッドの上に放り投げました」

 そこに運悪く真美さんが帰ってきてしまったのだ。ドアを開錠する音で玄関脇に身を潜めた山地は、彼女が室内に入ると手で口を塞(ふさ)ぎ、いきなり胸にナイフを突き立てた。その場に倒れこんだ真美さんの足を持ち、胸にナイフが刺さったままの状態で奥の部屋の入口まで引きずる。そしてナイフを引き抜くと、苦しむ彼女の姿に興奮を覚え、姉が横たわるベッドの脇まで移動して、執拗に切りつけながら強姦したのだった。記者は続ける。

「いったんベランダに出て煙草を吸った山地は室内に戻ると、まず有希さんの後頭部を摑んで上半身を起こし、心臓めがけて深くナイフを突き刺しました。続いて仰向けに倒れている真美さんの心臓にもナイフを突き立て、止めを刺しています」

 時間にして30分ほど。山地のことをなにも知らぬ無辜(むこ)の姉妹は無残に殺されたのである。

「母親を殺したときのことが楽しくて、忘れられなかった」

 続いて山地は、部屋のカーペットに火をつけて証拠隠滅を図る。有希さんのジッポライターで点火し、そのまま自分のポケットに入れた。さらに室内を物色し、床の上にあった有希さんの小銭入れと、封筒のなかに入っていた真美さんの給料から5000円を抜き取った。そして、見付けたカードキーで玄関を施錠すると階段で2階まで下り、隣接するビルの敷地を伝って逃走した。

「母親を殺したときのことが楽しくて、忘れられなかった」

 部屋の火災報知器が午前3時過ぎに作動したことで、同マンションの住人が40×号室の火災に気付き、119番に通報。駆け付けた消防隊が室内で姉妹の遺体を発見したことから、事件はすぐに発覚する。

 この時期、同マンションにいた山地のゴト師仲間を知る人物は語る。

「事件のあった日の朝には、彼らが共同生活をしていた6階の部屋にも、刑事が聞き込みにやってきました。そこで、『最近このあたりでよく見かける、身長170センチメートルくらいで天然パーマ、眼鏡をかけたリュック姿の男を知らないか』と聞かれています。それはまさに山地の姿そのもので、ゴト師の元締めは『大変なことをしてくれた』と頭を抱えたそうです」

マンションに隣接するビルへの建造物侵入容疑で逮捕

 事件前、多くの近隣住民が山地の姿を目撃し、不審者として記憶していた。さらに彼はその年の3月に、岡山県瀬戸町のパチンコ店で店員にゴト行為を発見され、岡山県警赤磐(あかいわ)署に窃盗未遂容疑で逮捕されていた(起訴猶予)。そこで採取された指紋と掌紋が、マンションの現場から発見されたものと合致したことで、すぐに重要参考人として名前が浮上したのである。前出の記者は言う。

「犯行後はコインランドリーで血まみれの服を洗い、その夜は現場から200メートルほどしか離れていない公園で寝た山地は、『地元の新聞で一番詳しい捜査情報を知る』ために大阪から逃げ出すことはしませんでした。12月4日の深夜、閉店間際の銭湯から黒いリュックを背負って出てきた段階で尾行されていて、100円ショップに入って店の外に出てきたところを刑事たちに囲まれています。そしてマンションに隣接するビルへの建造物侵入容疑で逮捕された」

 警察での取り調べで、当初は山地が殺人を否認していたのは、すでに記した通りだ。だが、死亡した有希さんのライターと小銭入れを所持していたことで、呆気なく逃げ道を失った。それらの入手ルートを追及された末に、言い逃れができないことから、殺人の自供に至っている。

「死刑でいいです」

 とはいえ、殺人や強姦・強盗の事実は認めても、あらかじめ姉妹を狙った犯行だということは、取り調べ時はおろか、裁判の場でも一貫して認めることはなかった。また、事件前夜に姉妹の部屋の配電盤を操作したことについても、最後まで否認したままだった。

 こうした無意味とも思える“頑(かたく)な”な思考は、どのようにして生まれたのだろうか。それらは極刑を回避しようという考えからではなく、あくまで「これだけは認めたくない」という意識で実行された。

 事実、彼は逮捕後の取り調べや精神鑑定において、「死刑でいいです」と躊躇なく述べ、姉妹の殺害動機についても、自身の矯正が不可能であるかのような、自分に不利な供述をあえて口にしている。

「昔、母親を殺したときのことが楽しくて、忘れられなかったためです。それでもういちど人を殺してみようと思い、2人を殺しました。殺す相手は、この2人でなくても、だれでもよかったのです」

 山地はこの事件から約5年4カ月前の2000年7月、16歳と11カ月のときに、山口県山口市で実母・敏江さん(仮名、当時50)を殺していた。

 それから03年10月に仮出院するまで、岡山の中等少年院に収容されており、大阪での姉妹殺害事件は、その約2年後に起きた。

 山地悠紀夫という男の辿(たど)ってきた人生を、まずは振り返っておくことが、彼の犯行を紐解(ひもと)く鍵となる。

酒浸りの父の死、母への憎しみ

「ユキちゃん(山地)のお父さんも、ユキちゃんと同じで美男子やったけど、いつも酒びたりで、ふだんはぶち優しいんやけど、飲むと荒れる人なんよね。もともとは大工で、躰を壊してからはパチンコ屋に勤め、それも辞めとった。家の生活費はお母さんがスーパーで働いて稼ぎよったんよ。ただ、収入はそれだけやから生活はそうとう苦しかったみたいよ」

 05年、大阪での事件発生直後に、山地の生まれ故郷である山口市で取材した私にそう語ったのは、彼が幼少のころに地域の民生委員をしていた川本礼子さん(仮名)だ。

 山地の母・敏江さんは1970年、20歳のときに農家に嫁いだが、6年後に離婚。実家に戻り、山口市内の呉服店に勤めていた29歳のときに、1歳下でパチンコ店に勤めていた父・浩二さん(仮名)と出会い、再婚した。山地が生まれたのはその4年後の83年8月21日である。

小学校の遠足の日にいなくなったことも

 親子3人は山口市の中心部にある6畳と4畳半のアパートに住み、その近くに父方の祖母が住んでいた。川本さんは続ける。

「お父さんは酔って暴れると手がつけられんかった。ガラスを割ったり、簞笥(たんす)をひっくり返したり……。お母さんにも手を上げよったし、おばあちゃんとユキちゃんがうちに避難してきたことが何度もあった。そういえばユキちゃんが小学校の遠足の日におらんくなって、私も探しに行ったことがある。お父さんが遠足に持って行くリュックを屋根の上に捨てたらしいんよ。それでふてて(ふて腐れて)家を飛び出したって」

 生活費に事欠き、近隣に米や味噌、ときには現金を借りることも少なくなかった山地家では、気の強い敏江さんが仕事をせずに酒を飲む浩二さんにきつい言葉を投げつけ、喧嘩になることもしばしばだったという。

《16歳で母親を殺害》「金属バットで頭ではなく、より苦しむ躰を殴った…」元死刑囚・山地悠紀夫が語った母親を殺害した3つの理由 へ続く

(小野 一光/文春文庫)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング