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父に使いこまれた奨学金は315万、「小学生の頃から“お金貸して”と」…岩手の困窮農家に生まれた男性(33)の壮絶すぎる人生

文春オンライン / 2021年8月30日 17時0分

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「お父さん、オレの奨学金を使いこんでくれて、ありがとう。」


 6月20日の“父の日”、IGRいわて銀河鉄道の二戸(にのへ)駅と盛岡駅に貼られた広告。亡き父に向けた鮮烈なコピーに続くのは、その歪んだ金銭感覚と息子が味わった苦労と感謝。広告を出したのは、キャッシュレスマップアプリ「 AI-Credit 」開発者でAIクレジットの取締役を務めている足澤憲氏(33)だ。

 働かない父に代わって農作業に明け暮れ、奨学金のみならずお年玉も狙われていたという彼に、話を聞いた。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

代々続く農家の出身だったが……

――二戸駅と盛岡駅に貼られた広告はインパクトがありました。足澤さんの奨学金を使い込んだお父様への恨み節のように思いきや、感謝のメッセージになっている。お父様の金銭感覚に苦しんだことが、クレジットカードやオンライン決済サービスの比較検討ができるキャッシュレスマップアプリ「AI-Credit」の開発に繋がったという。

足澤 父が生きている間、一回も「ありがとう」と言ったことがないので一度くらいは言っておこうかなと。亡くなった父を広告のネタにしちゃいましたけど、感謝することで自分的にいろいろ区切りもつけられるし、家族としても父の悪行みたいなものをリセットできるのかなと思って。

 実際、母は良い顔をしないかなと危惧していましたけど「ありがとね」と言ってくれたし、姉と妹も同じような反応でホッとしました。

――親による奨学金の使い込みって、結構なことですよね。でも、感謝できる心境に達するのが凄いですし、そこに至るまでには簡単に言い表せられないものや出来事がたくさんあったのだろうなとも思うんです。そこでご家族のことをお伺いしたいのですが、ご実家は岩手になるわけですか?

足澤 岩手です。広告を出した二戸駅が最寄りになります。といっても二戸市は凄く広くて、その山奥にある足沢という地区の生まれです。農業をやっていて、田畑で米とリンドウを育てていました。岩手はリンドウ栽培が盛んなんです。

 そこで、父方の祖父と祖母、父と母、姉ふたり、僕、13歳下の妹という家族構成で、僕が小さい時には曽祖父、曽祖母もいました。その曽祖父が足澤商店という雑貨屋もやっていて、昔はそこそこ余裕があったみたいです。

先生に催促されなかった給食費

――どれくらいから経済的に厳しい家だなと感じ始めましたか?

足澤 小学生くらいですね。学校でのなにかしらの支払いがあっても、必ずうちだけ遅れていたんですよ。それが普通だと思っていたけど、友達の話を聞いたらそうじゃなさそうだと。で、小学校高学年、中学生と進むに従って、確信していったという。

――代表的なところだと給食費とか。

足澤 給食費とか、なにかと集金袋に入れて学校に持っていったじゃないですか。その度に「すいません、忘れてきました」と先生に言うんですけど、忘れたのではなくて払えないという。

 とにかく忘れたことにして、何日も何日も滞納して。なんとか農業の収入が入った時に、やっと納めるみたいな。親に催促してももらえるものじゃないので、待つしかないんですよね。

――先生や同級生たちは、足澤家の経済事情を悟っていたのでしょうか。

足澤 毎回「忘れた」と言っていたので、先生は気づいていたと思いますよ。でも、「明日、持ってこい」とか「早く払え」みたいなことは言われなかったですけどね。

 友達はあまり気づいていなかったんじゃないですかね。というのも、僕はもともと物忘れがひどくて、ランドセルを忘れたまま登校したことが結構あったので。それもあって、変だとは思われていなかった気がします。

「学校に行って、帰ってきたら農作業をやって」の繰り返し

――月末の支払いが多い時期になると、家の雰囲気が悪くなったりは。

足澤 両親が言い争うことはありましたけど、母がポジティブな人間で、家族との会話で父への不満を解消していたので、常にどんよりしている感じではなかったです。貧乏だけど元気にやっていますみたいな。

――お金がないことで、一番つらかったことってなんでしたか?

足澤 中学の頃、母と僕のふたりで農作業をしまくっていたんです。どんなに夜遅くまで農作業をしても、翌朝には学校に行って、また帰ってきたら農作業をやっての繰り返しで。メインでやっていたリンドウだと、刈り取ったものをサイズごとに分けて、束ねて、切って、箱詰めして、みたいな単純作業を延々と。

 繁忙期だと、「まだまだあるぞ」みたいな無限感と「どんなにやっても支払いはギリギリなんだろうな」という無常感に襲われるんですよ。しかも農地の名義は父になっているので、働いた稼ぎは父の口座に入るわけですし。その時に、農業は絶対に僕の代で終わらせて誰にも継がせないと固く誓いましたね。

とにかく働かない父

――なんだか農作業にお父様がひとつも加わっていない様子ですが?

足澤 僕らがやっている間、家のリビングに寝っ転がってテレビを観ているんですよ(笑)。作業小屋で夜遅くまで箱詰めをして家に帰ると、父が寝っ転がりながら「おう」って感じで。ものすごく腹が立ちましたね。

 基本的には機械仕事はやるんですよ。でも、めちゃめちゃ疲れるような、体を使った地道な作業になると「頼んだぞ」みたいな。仕事はだらだらというか、あまりやりたがらないタイプで。

 一時期、バイトでタクシーの運転手をやっていた時があるんですけど。家に出る前に外を見て「あぁ、雨降ってんな。今日は休むか」とか言って寝っ転がる。でも、タクシーって、雨が降っている日の方が使われるじゃないですか。

――酒に溺れていたりとかは。

足澤 お酒とタバコはやりますけど、依存症とかでもなく、ギャンブルに手を出すわけでもなく。ただ、本気でダラダラしている人というか。

――働かないけど、それ以外は良いお父さんみたいなところは。

足澤 いやぁ、どうでしょうね。父が生きている間に僕と話した時間をギュッとまとめたら、ほんと1日もないんじゃないかな。それくらい喋ったことがなくて。なにか話しかけても「うん」とか相槌を打つくらいでしたね。

 家族とコミュニケーションを取らないくせに、外では饒舌に喋るんですよ。岩手の農家の会議に呼ばれたりすると、意気揚々と話して帰ってくる。人前で目立つことは好きだけど、地味な農作業や子育ては面倒だからやらないんですよ。

 そんな感じで働かないから、お金も入ってくるわけでもない。だから、とりあえず借金の利息だけは払うみたいになっていたんじゃないですかね。

――お父様の借金の経緯はご存知ですか?

足澤 家庭内でもいろいろと検証したんですけど、結局その理由がわからないんですよ。父は会社員をやっていて、僕が小学校の3年か4年ぐらいの時に会社を辞めたんですけど、それと同時に借金を作ったらしいということしかわからなくて。かといって事業を始めたわけでもなく。父があまり喋ってくれないので母も事情がよくわからない感じでした。

お金がなかった原因は、父の「見栄」だったのでは

――お話を聞いていると、借金の利息の支払いや、お父様が働かないことを別にしても、なぜそんなにお金がなかったのかも不思議です。

足澤 父は農協やメーカーさんから、新しい農業用の機械が出たよと教えられると、損得勘定もせずにすぐに買ってしまうんですよ。たぶん見栄っ張りな性格だったんでしょうね。

 数年前、お金がないのに何台も車があるから「クラウンは売ったら」と言ったら、「いや、これは何十年も大事に乗っていれば博物館行きになる車なんだ」って。しばらくしたら「おい、これヤフオクで売ってくれ」と頼まれましたけど。数十万で売れました。

――広告には“給食費が払えなくて中学からバイトした”とありましたが、どういったアルバイトをされたのですか。中学生となると、かなり限定されそうですけど。

足澤 仕分けの仕事をしました。中学生でもやれるんですよね。給食費も払えなかったけど、母が死ぬほど頑張って仕事していましたし。ちょっとでも家族のためというか、むしろ母のために働きたいみたいな感じでしたね。

――お年玉とかクリスマスプレゼントなんかは。

足澤 もらった記憶は一切ないですね。親戚からお年玉はもらえたので、あらかじめ親戚に「くれる際にはこっそり声をかけて」と頼んで。父にバレないようにもらっては、自分にしかわからない場所にしまって。でも、隠していたお金がなくなったことがありますね。誰が盗ったのかは、わかりませんけど(笑)。

――お父様が浮かんでしまったのですが……。

足澤 わからないですね。ただ、父は私に「お金貸して」と言ってきていたので、こっそり盗るようなことはしないと思いますけど。

――それもどうかと思うのですが……。

足澤 小学生の頃から普通にありました。お年玉とかで貯めていたうちから「ちょっとだけ貸して」と言って、数千円を持っていかれる感じで。「貸して」だから返してもらえるんだろうなと、小学校の時は思っていました。

父が買ったパソコンを使っているうちに……

――そんな状況下でパソコンと出会う。

足澤 父が「これを使えば世界が変わるぞ」みたいなことを誰かに吹き込まれて、富士通の40万、50万するようなパソコンを買ったんですよ。

 僕が小学5年生の時ですね。どこからお金を工面してきたのかわからないんですけど。高いお金を払ってパソコン教室にも通ったけど行かなくなって、パソコンを起動したのも2回ぐらいとかで。だったら、僕が使おうって。

 最初はパソコン本体に入っているゲームで遊ぶのが目的で。それまではダンボールをゲーム機の形に切り取って姉たちと遊んでいたので、本物のゲームができて嬉しかった(笑)。

 そのうち、お祖父ちゃんから消防団とかお寺で使う配布物をワードで打ってくれと頼まれて「パソコンを極めたらお金になるんじゃないか」とハッとして。広告にも書いていますけど、さらに「どうやったらお金を稼げるのか?」「どうやったらお金で損をしないのか?」を深く考えるようにもなったんです。

――小5で!

足澤 はい。で、そこからプログラミングを勉強して、高校生になったらネットでパーツを買って、パソコンを組み立てて、ヤフオクで売ってといった具合で稼ぎました。4台ほど売って、60万円くらい売り上げたんじゃないかな。

使い込まれていた奨学金

――理系少年だったわけですから、高校は高専に進まれたのですか。

足澤 行きたかったですけど、お金がなかったので、岩手県立福岡工業高校の電気情報システム科に進みました。電気工事士の資格を取る学科ですね。そこに入って大学をどうするかとなって、パソコン系の学科がある岩手県立大学を目指したんです。それで家を出て、そこに通うことに。

――奨学金で大学に進んだら、お父様が使い込んでいたことが発覚すると。

足澤 大学の時だけじゃなくて、高校時代に借りていた奨学金も使い込まれていました。高校と大学、両方の奨学金を父にやられていたという。

【続きを読む】 実家を出ても「妹の学費、かかるからよぉ」と電話が…父に奨学金315万円を使いこまれた男性(33)が“貧乏”から得た「教訓」

写真=平松市聖/文藝春秋

実家を出ても「妹の学費、かかるからよぉ」と電話が…父に奨学金315万円を使いこまれた男性(33)が“貧乏”から得た「教訓」 へ続く

(平田 裕介)

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