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父は16年間の投獄、姉は餓死…文化大革命で苦痛を味わった“習近平”がそれでも“毛沢東”の背中を追う異常な理由

文春オンライン / 2021年9月9日 6時0分

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写真はイメージです ©iStock.com

 独裁体制の傾向を強め、他国に対する強硬な外交体制「チャイナ4.0」を推し進める“皇帝”習近平。同氏は中国建国に貢献し、国務院副総理(副首相)習中勲を父に持っていたため、毛沢東による文化大革命の際には、“党の子ども”として苛烈な経験をした。それにもかかわらず、現在の習近平は毛沢東を尊敬するよう中国国民に求めている。果たして習近平の本心とは。

 ここでは国際政治学者のエドワード・ルトワック氏による『 ラストエンペラー習近平 』(文春新書)の一部を抜粋。習近平が先導する中国の政治システムの実態について紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

過酷な文革体験

 中国が「チャイナ4.0」という最悪の戦略に回帰してしまった大きな要因のひとつは、「皇帝」である習近平のパーソナリティに求められるだろう。

 そこで習近平の経歴を少し詳しくみていきたい。

 彼の前半生は苛烈なものだった。それはまず、「革命の英雄」を父に持ち、その父が激しい権力争いのなかで残酷な迫害を受けたことに始まる。

 習近平の父、習仲勲(しゅうちゅうくん)は中国の中央部にある陝西(せんせい)省に生まれ、10代で共産党組織に身を投じた。陝甘辺区(せんかんへんく)ソビエト政府で主席となったのはわずか21歳のときだった。当時、中国共産党は国民党軍から逃げるために、1万2000キロ以上にも及ぶ大移動をおこなっていた。この「長征」のなかで主導権を握ったのが毛沢東である。10万人の兵力を数千人にすり減らすような過酷な逃避行だったが、この「長征」の最終目的地となったのが陝西省だった。そこでは若き習仲勲らが共産党の根拠地を死守していたからだ。共産党政府は同省の延安を臨時首都とした。もし習仲勲らの根拠地が潰されていたら、いまの中華人民共和国は存在しなかったかもしれない。

 中国建国後、習仲勲は国務院副総理(副首相)などの要職に就いた。彼ら中央指導者は多忙を極めていたため、子弟のために全寮制の幼稚園や小学校をつくった。1953年生まれの習近平も姉や弟とともに、そうした全寮制の学校で育てられたのである。いわば彼らは「党の子どもたち」だった。

 ところが1962年、父・習仲勲は反党的な小説の出版に関わったという嫌疑をかけられ、全ての要職を奪われてしまう。それから習仲勲は1978年まで16年間も投獄や拘束といった迫害を受け続けたのである。母親の斉心も革命運動に参加、八路軍でも兵士として戦ったが、文化大革命では公の場で批判を浴びせられ、暴力もふるわれた。

 文革の嵐は、当時、中学生だった習近平をも襲った。紅衛兵によって生家を破壊され、十数回も批判闘争大会に引き出されて、あげくに反動学生として4回も投獄されてしまったのだ。そのため、中学から先は正式な教育を受けられなかった(のちに推薦制度により、清華大学に無試験で入学)。さらには陝西省の寒村に下放(青少年を地方に送り出し、労働を体験させること)され、黄土を掘りぬいた洞窟に寝泊まりさせられるなどの苦難を味わっている。

 姉は文革中に餓死したと伝えられるが、妹も下放され、素手でレンガをつくる作業を強制され、食うや食わずの生活を経験している。

 重要なのは、これらはすべて、「毛沢東の党」によって行われてきたということだ。そもそも文化大革命自体、毛沢東が他の共産党のリーダーたちを潰すために行ったのであり、実際に中国共産党は「毛沢東の党」となった。それが中国全体にとって巨大な災厄をもたらしたことは言うまでもない。

「毛沢東チルドレン」として

 ところが、習近平は、その毛沢東を、「偉大なリーダー」として国民に尊敬するよう求めているのだ。米中間の衝突が激しくなったここ数年間に、習近平は「毛沢東の演説や著作を研究せよ」と指示し、ことに『持久戦論』などをよく読めと奨励している。これは毛沢東が劣勢な中国共産党が旧日本帝国にどうしたら勝てるかを説いたものであった。2016年の全国人民代表大会(全人代)では、チベット自治区の代表が胸に「習近平バッジ」をつけていたことが、「毛沢東以来の個人崇拝の復活」と話題を呼んだ。また文化大革命についても、習近平は「改革開放の30年によってその前の30年を否定しない」と発言しており、近年の歴史教科書からも文革を批判する文言が姿を消している。

 そして習近平は、これまで江沢民(こうたくみん)や胡錦濤(こきんとう)の行ってきた少数のトップ幹部による集団指導体制を脱し、自分ひとりに権力を集中させ、死ぬまでその椅子に座り続ける「皇帝」になろうとしている。そのモデルが毛沢東なのだ。習近平が目指しているのは毛沢東との一体化であり、ある意味では実際の毛沢東以上に、より完璧な毛沢東になろうとしているのである。

 毛沢東は習近平の家族に過酷な運命を強いた人物であり、習近平自身も非情な扱いをされている。それなのに、なぜ毛沢東との一体化を目指すのだろうか。

 多くの幼児虐待の専門家が認めていることだが、外部の人間が、子どもが虐待を受けていることに気づいても、その子ども本人が虐待をしている親の元に留まりたいと思うケースは少なくない。

 そうした子どもたちは、自分が間違っているから親に𠮟られているのだ、と考え、今よりももっといい子になろう、親の言うことに従い、「正しい行い」をすることで許しを得よう、と考えてしまうのである。

虐待された父を追う毛沢東チルドレン

 習近平のケースは、まさにこれに当てはまる。彼にとって毛沢東こそが「虐待する父」なのだ。

 これは習近平だけではない。たとえば習近平のライバルとされ、後に汚職とスキャンダルで失脚した薄熙来(はくきらい[元重慶市党委員会書記])だ。彼の父、薄一波(はくいっぱ)も国務院副総理を務めた中共八大元老(編集部注:1980年代から90年代にかけて党の最高指導部を凌ぐ権威を持っていた集団)の一人だったが、やはり文革で失脚、母は自殺し、自身も中学卒業後に5年近い監獄生活を送っている。それにもかかわらず、薄熙来は、革命歌を歌わせたり、「腐敗幹部」狩りを行ったりするなど、文革を彷彿とさせる大衆動員の手法で、重慶に「王国」を築き上げたのである。

 習近平も薄熙来も「父なる毛沢東=共産党」に許され、幹部への道を進んだ。虐待された父から、お前の態度は正しいと認められたのである。それが彼ら“毛沢東チルドレン”の「毛沢東が行っていた以上に、毛沢東的な政治を目指そう」という行動となってあらわれているのだ。

漢民族への同化を強いる民族政策

 そうした習近平の性格を端的にあらわしている一例が、前にも触れた理不尽な民族政策である。たしかに毛沢東の時代にも、民族弾圧は行われた。特にチベット、モンゴルなどでは指導者たちを中心に、多くの人が命を失ってもいる(文革では多くの漢民族も迫害され命を落とした)。しかし、いま習近平は、チベット人、モンゴル人、ウイグル人というアイデンティティを完全に剥奪し、漢民族に同化させようとしている。これは毛沢東さえやらなかったことだ。

 たとえば毛沢東はウイグル人たちがウイグル語を話すことを禁じようとはしていない。チベットにしても、寺院は徹底的に破壊されたが、その住民を漢民族にしてしまおう、とは考えていなかった。それは彼がスターリンの民族理論を下敷きにしていたからだ。ソ連では、ロシア革命に際して諸民族の指導者たちが大きな貢献をしたこともあり、共和国や自治区といった形で、民族のアイデンティティは尊重する、しかしその上に共産党がありソ連政府がある、といった統治を行っていた。つまり、中身が共産主義なら、器はそれぞれの民族のままでよい、というわけだ。

毛沢東より極端な政策

 だが現在の習近平の共産党は、ウイグル、モンゴルなどに大量の漢民族を送り込み、漢民族の土地にしてしまおうとしている。さらには遊牧民的な生活を完全につくりかえ、中国の産業に貢献するような人間に仕立て上げるのだ。ウイグル語やモンゴル語の教育を禁止することは、民族の根を断つことである。そして、それに従わないと北京が判断したウイグルの人々は、片っ端から収容所に送り込んでいるのだ。そこまでのことは、文革期の毛沢東でも行わなかった。まさに習近平は、毛沢東よりも極端に毛沢東主義的な政策を行おうとしているのである。

 そう考えると、私が「チャイナ4.0」と呼ぶ、極端な対外強硬路線も理解できるだろう。中国は今、習近平という非常に破壊的な人格を持つリーダーによって、政策が決定されているのである。

 民族問題について私から習近平にアドバイスがあるとしたら、それは、「中国東北部に人を派遣して、満州族を探してくる」というものだ。ウイグル、モンゴル、チベットを帝国のメンバーに組み入れたのは、清をつくった満州族だったからだ。漢民族がこれらの地域をうまく支配できたことなどない。だから漢民族への同化しか思いつかない習近平は失敗し続けているのである。

独裁者は不安で危うい存在

 そうした習近平の破壊的な行動は、彼が独裁体制を強化するにつれて、より極端になっている。それは二つの次元で進行している。

 ひとつはシンプルに、誰も習近平のやることに反対できない、ということだ。こちらのほうはわかりやすい。習近平に異を唱える人物はいなくなるか、いつ排除されるかわからないという恐怖で沈黙させられているのだ。

 もうひとつは、独裁体制というものは実はきわめて不安定なシステムであり、独裁者とは不安で危うい存在だということだ。

 私が習近平に対して、人間として哀れみを感じるのは、彼がいかに強力な独裁者であっても、毎晩、眠りについたあと、翌朝、無事に起きられるという保証のない状態に置かれ続けているという点だ。彼は誰かを怒らせるか、逃げ場のないほど恐怖させてしまい、夜に暗殺者を送りこまれるかもしれない。「臣下たち」が結託し、いきなり拘束されて罪の自白を強制されるという可能性もある。

 独裁者が唯一持てないものは、安全な在職権だ。あなたが日本の郵便局につとめているとすれば、人をぶん殴ったり、犯罪を起こしたり二日酔いの状態で何度も仕事に行かないかぎり、仕事と生活の保障はある。翌朝起きたら職を失っていたり、いきなり誰かが家にやってきて牢屋に入れられたり、党の会合で吊るし上げられ、拷問されることもないだろう。ところが習近平には、このような可能性が常に存在しているのだ。すべての独裁者に「安全」はないのである。

 日本をはじめとする民主制の国家の首相は習近平に比べれば、ずっと安全だ。たとえ政権運営に失敗して辞めることになっても、ただちに逮捕されたり、家族や親類が拘束されたり失職したりはしない(韓国は例外だが)。

独裁という弱い権力システム

 またこれは中国の政治システムの脆弱性にもつながっている。中国は共産党による一見、盤石な権力体制を築いてきた。しかし、その最大の脆弱性が、習近平による独裁であり、特に死ぬまで権力の座に居続けられるとした憲法改正なのだ。つまり、習近平に不測の事態があったとき、いまの中国はそれに対応できないということである。

 アメリカならば、仮にバイデンが急に体調を崩し、執務できなくなっても、ほとんど何の問題もない。カマラ・ハリス以下、大統領を代行する順序が18番目まで決まっているからだ。さらにいえば、アメリカで最終的に政治の方向を決めるのは国民であり、重大な事態が起きても選挙でその意思を問えばいいのである。これは日本など他の民主制の国でもいえることだ。

 しかも習近平は自らの後継者候補を明らかにしていない。これも当然で、していないというより、できないのだ。なぜなら後継者を決めた時点で、人々の忠誠は「皇帝」と「後継者」に分散してしまい、極端な独裁制が揺らいでしまうからである。

 その意味で、独裁制は「弱い」権力システムだといえる。権力が集中すればするほど、独裁者の失敗や、その決断に対する違和感は、大きな「ノイズ」となって、支配の根拠を動揺させる。そうした「ノイズ」を取り除くために、独裁者はますます自分に権力を集中させ、異分子を徹底的に排除しなければならない。今、習近平がやっていることは、それである。それは彼の支配を強めると同時に、崩壊の危険性を高めているのである。

【続きを読む】 「全方位強硬外交」を続ける習近平体制…世界各国が中国と渡り合うために真似すべき“日本流の交渉術”とは

「全方位強硬外交」を続ける習近平体制…世界各国が中国と渡り合うために真似すべき“日本流の交渉術”とは へ続く

(エドワード・ルトワック/文春新書)

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