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夫をワインボトルで殴打、左腕と右手首は家庭ゴミに…“渋谷セレブ妻”を駆り立てた“愛人との通話録音”「子どもを…」

文春オンライン / 2021年8月30日 17時0分

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写真はイメージ ©iStock.com

 三橋歌織は、2006年12月東京渋谷区の自宅マンションで夫である祐輔さん(当時30歳)が寝ているところを、ワインボトルで殴打して殺害した。その上、身長180センチもある夫の遺体をのこぎりで切断し、頭部を町田市内の公園に、上半身は新宿駅近くの路上に、下半身は渋谷区の民家の敷地に、左腕と右手首は家庭ゴミに紛れさせて遺棄した罪で懲役15年の罪に処せられた。

※本記事は、ノンフィクション作家の河合香織氏による「文藝春秋」2011年12月号の特集「真相開封 アンタッチャブル事件史」への寄稿に一部加筆修正を加え、転載したものです。(肩書・年齢等は記事掲載時のまま)

◆ ◆ ◆

殺害された夫は「運命の女と出会ったんだ」

「歌織になぜか共感する」

 この事件を取材したきっかけは、周囲の女友だちからそんな言葉を聞いたからだ。確かに、公判は毎回傍聴希望者が多いため抽選となり、ワイドショーで中継されるなど注目を集めたが、友人たちは社会的にも活躍していて殺人者とは無縁なように思えるし、さらにDV被害者でも既婚者でさえもない。だから最初にこの言葉を聞いた時は驚いたものだが、取材を進めるうちに事件の本質は私たちの暮らしからそれほど遠くない場所に存在するかもしれないと思うようになった。

 メディアによって「セレブ妻」と呼ばれたのは、歌織が白百合女子大学卒業の社長令嬢であり、被害者である夫が当時注目を集めた投資銀行のグループ会社に勤めていたからだ。歌織は長身の体にいつもブランド品を纏っていたが、彼らが住んでいた代々木公園のマンションは38平方メートルで寝室は3.8畳だった。私は法廷に毎回通い、祐輔さんの両親はじめ、夫婦の親族や友人などの関係者、捜査関係者などを訪ね歩いた。そこから見えてきたのは、エリートやセレブという言葉とは程遠い人生を歩んできた夫婦の軌跡であり、孤独に震える素顔だった。

「俺たちやお前とは違う」

 祐輔さんは歌織と合コンで出会った翌日、女友達にこう語った。

「運命の女と出会ったんだ。背が高くて、きれいで、すごいお嬢様で、しかも丸紅に勤めている」

「歌織はお嬢様だから携帯電話も持っていない」

 祐輔さんは二浪の末に入った大学を卒業後、司法試験や公務員試験に挑戦するも挫折。法律事務所で時給1000円のアルバイト暮らしで、定期代を払う金もなく、アパートも借りられずに友達の家を転々としていた。

「借金が300万円あるんだ。歌織にばれたら死にたいくらい恥ずかしい」

 学生時代にスロットにはまった時のカードローンの借金がふくれあがり、さらに育英会で借りた奨学金も返していかねばならない。それでも毎日祐輔さんは言っていたという。

「俺はビッグになってやる」 

 だが、どうやってそれを実現するかはまだはっきりしない。その時の祐輔さんにとって、歌織は今よりも上のステージに自分をひきあげてくれる存在のように映ったのかも知れない。

「歌織はお嬢様だから携帯電話も持っていない。ブランドも好きじゃないんだ」

 北九州市で暮らす祐輔さんの両親はこう聞いた。二人は出会って4カ月後に入籍したが、その報告はハガキ1枚だけだったという。

 祐輔さんは当時月収15万円だったが、「歌織が広い部屋でないとだめだと言うから」と家賃12万円の部屋を借りた。歌織は結婚を機に退職した。

 何もかもが幻想だったことはほどなくして明らかになる。歌織は丸紅の社員ではなく派遣社員として短期間働いていただけであった。だが、直筆の履歴書には大学卒業後ずっと丸紅で働いていたという嘘を書いていた。ブランド品の万引きの常習犯として逮捕され、祐輔さんに鼻の骨を折られたといってDV被害者保護のシェルターに逃げ込んだ時も施設から勝手に抜け出して高価な靴を祐輔さんのカードで買った。裕福そうだった独身時代の暮らしも、父親ほど年の離れた男と愛人関係になり援助してもらっていたものだった。学生時代は新潟で小さなコピーサービスの会社を営む実家から月40万もの仕送りをもらっていたので生活には困らなかったのにも拘わらず、ソープランドでアルバイトもしていた。

「なんで?」

 祐輔さんは死の直前にこう言ったと歌織は証言している。

 殺害の動機は夫からのDVではないかと公判では争点となった。確かに、結婚直後からDVがあったとして歌織は実家に帰ったり、シェルターに保護されている。だが、度々喧嘩の現場に仲裁のために呼び出されたという夫婦共通の友人によれば一方的な暴力ではなかったようだ。歌織もまた祐輔さんを足で蹴り、ビンタをくわせ、痣が残るほど突き飛ばし、時計、財布、キャッシュカードを取り上げて家の外に夫を放り出した。祐輔さんの携帯の通話記録は歌織がすべてチェックし、歌織が美容室に行く時には祐輔さんがついて来た。

 それでもなお二人は離婚しようとしなかった。歌織は実家を「思い出すのも嫌な場所」と証言しており、この世の中にどこにも居場所がなかったからだ。

不倫相手との通話を録音したICレコーダーには

「ずっと離婚したかった」

 歌織は公判で繰り返し語ったが、離婚のための決定的な証拠といえる、祐輔さんと不倫相手との通話を録音したICレコーダーを確認した翌日の未明に殺害した。その日祐輔さんは深夜に帰宅し、歌織と話し合いをすることもなく寝てしまったので喧嘩はしていない。

 その電話が殺人の契機になったことは間違いない。

「家事は手伝うからね」「子どもを作ろう」「結婚式をあげよう」

 電話で祐輔さんは愛人に未来を語っていた。

「振り返るとこれまでの私の人生において何かを必死になって手に入れたり、取り組んだりしたという経験は思い浮かびません。しかし夫と結婚したことで様々なことがあった今思うのは、普通に生活し、生きていけることの難しさと有難さです」

 歌織が、岡野あつこ離婚カウンセラー養成講座に提出した書類に書いた直筆の言葉だ。背伸びをした生活をしながらも、歌織が最も欲したのは「普通の生活」、穏やかで心の安定した暮らしだった。探し続けてもどこにも見つけられなかった居場所、望んでやまなかった生活を夫だけが先に手に入れようとしていた。歌織はそれが最も許せなかったのではないか。

「普通の生活」に憧れながらも、自分の居場所をどこにも見つけられないというやるせなさは多くの人の心の奥底に潜む空疎な孤独を揺さぶる契機になったのだろう。

(河合 香織/文藝春秋 2011年12月号)

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