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「親父じゃない。僕が鼻につくヤツだったんだ…」イジメられた前川清の息子・紘毅に気づかせた“同級生・三浦貴大”の存在

文春オンライン / 2021年9月11日 11時0分

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シンガーソングライターの紘毅さん

 親が“大物”や“スター”と呼ばれる芸能人やスポーツ選手の子供たち。いわゆる“二世”は、どのような環境に身を置き、どのような思いを抱いて親を見つめ、どのようにして自身の進むべき道を見出したのか?

 前川清の長男であるシンガーソングライターの紘毅(35)は、中学から「ボンボン」と呼ばれていじめの標的になり、音楽の道を目指そうとしても父から強く反対されたという。

 まさに暗黒期という青春時代を彼はどのような思いで過ごしたのか、そうしたなかで希望を与えてくれた親友の存在などについて話を聞いた。(全2回の1回め/ 後編 を読む)

「ボンボン」と呼ばれていじめられ……

――お父様といえば、大御所のなかの大御所ですが、そのあたりは幼い頃から意識されていましたか?

紘毅 僕は小学校から高校まで成城学園に通っていたんです。そこはお父さんお母さんが芸能人という同級生や友達がわりと多かったんですよ。しかも、バリバリの現役でテレビに出まくっている人ばかり。

 でも、そうしたなかで僕の親父は「紅白歌合戦」とかでしか見ない人みたいな感じで。だから、小学校の頃なんかは「親父って、スゲーな」というよりは「親父、もっと頑張ってよ」「歌ってないで、ドラマに出てよ」とか思っていましたね。

――同級生や友達はお父様のことがピンとこなかったようですが、先生などの反応は違ったのでは。

紘毅 よく言われましたよ、「おい、前川。おまえのお父さんの『長崎は今日も雨だった』って良い曲なんだぞ~」とか(笑)。先生はそんな感じでしたけど、中学と高校では同級生から親父のことでイジられるというか、ネタにされるというか。

――やはり、周りが芸能人の子供ばかりだと二世格差みたいなものが生じるのでしょうか。

紘毅 あったといえば、あったんでしょうね。僕なんかものすごいお金持ちみたいなイメージがあったみたいで。でも、それでいじめられたんですよ。

――紘毅さんが教室に入ると、同級生たちが「ボンボン、ボンボン」と言いながら机をドンドン叩き出すと仰られていましたね。

紘毅 やられていました。今から2年くらい前に、僕のことを「ボンボン」と呼び出した奴と会ったんですよ。いまはもう普通に喋れる仲ですけど、よくよく話を聞いたらそいつの家のほうが遥かに金持ちだったんですよ(笑)。

 中学生の頃っていくらか分別がついているといっても、他の子の親が何の仕事をしているとか、どんな会社に勤めているとかはわからないものじゃないですか。そうするとテレビに出ている息子というのは、お金持ちというイメージがあるんでしょうね。

――そうなると、自分の生まれた家を恨むというか、お父様のせいにしてしまうというか。

紘毅 人生で最も親父のことが嫌いになった時期じゃないですかね。やっぱり、学校には行きたくないわけですけど、行きたくないと親に言うと怒るわけですよ。「なにを調子に乗ってるんだ」「とにかく学校に行け」と。でも、その当時の僕からすれば親父のせいでいじめられているんだという気持ちがあった。

――その頃は、お父様に反抗したうえに見た目もワルっぽくされたそうですね。

紘毅 イジられるのは嫌だし、舐められたくない。だったら、誰も近づけないようになってやろうって。ただ、その方向性を間違えちゃったんですね。

 耳にピアスの穴を3つくらい開けて、金髪にして、ブレザーを着ないで学校に行くという。喧嘩なんてやったことないし、気も弱いから、見た目で威嚇するというか。(イジってくる相手に)向かっていけないから、向かってこないでという感じ(笑)。それと同時に勉強するのもやめちゃって。

親父にピアスを一気に引っ張られて「ブッチィ」と耳が…

――お父様、黙っていないですよね。

紘毅 ピアスして家に帰ったら、ぶん殴られました(笑)。それで学校からも呼び出しを喰らって、両親と一緒に先生と面談することになったんですよ。面談というより、「すいませんでした、このバカ息子が」って親子で頭を下げる場を設けてもらったというか。その直前に、親父にピアスを一気に引っ張られて「ブッチィ」と耳が切れたので、絆創膏を貼った耳で。

 それで、親父が先生に会うなり「こんなふざけたヤツを学校に置いておいちゃ駄目ですよ」「コイツは明日から行かせないので、辞めさせてやってください」と言うんです。

――むしろ「辞めさせてほしい」と。

紘毅 それまでは学校に行きたくなかったはずなのに、そう言われた瞬間に辞めたくない気持ちになったんですよ。いじめられているといっても、友達はいたし、バンドもやっていたし、辞めたら会えなくなっちゃうし、バンドもやれなくなるぞと。

 先生に「勉強するし、ちゃんと成績も上の方を目指します。登校時間の30分前には教室に行って掃除します」ってその場で約束しました。「すみませんでした。学校、行かせてください」と頭を下げて。親父は「ああ」と返事して、「じゃあ、これでいいですよね。先生!」って(笑)。

 あの時の自分はまだ子供だったので、やっぱり親父は怖かったですね。

心の支えとなってくれた、あの二世の同級生

――当時は、バンド活動も心の支えになっていた?

紘毅 バンドは、同級生だった三浦貴大が誘ってくれたんです。ご存知だと思いますけど、お父さんが三浦友和さん、お母さんが三浦百恵さん。彼と、中学と高校の6年間にわたってバンドを組んでいて。

 貴大って人気者で、学校のみんなから好かれていたんですよ。歌はうまいし、スポーツできるわで。僕にとってもヒーローでしたし。それと優しいんですよ。僕のことをイジるようなことは絶対にしなかったし、なんだか「貴大の横にいたら大丈夫」みたいな気持ちになれた。

――友人であり恩人みたいな。

紘毅 ライブをやっていて、僕がキーボードを弾いて、貴大が歌っているのを見ていると「カッコいいな。こりゃ人気者にもなるわ」と思うわけですよ。その時に「あっ、親父じゃないんだな」って僕がいじめられている原因に気づいて。単純に僕が鼻につくヤツだったんじゃないかって。そこに目を向けずに「親父のせいで」と、なにかあるたびに逃げていたんだと。

 それを貴大に気付かせてもらったし、そこから周りの僕を見る目も変わっていったんだと思います。とはいえ、その頃の名残というか、その後もなにか壁にぶつかると「親父のせいで」と思っては「いや、違う違う。そうじゃない」って慌てて打ち消したりすることがたまにあるんですけどね。

家のピアノには触らせてもらえなかった

――ピアス引きちぎりのお話を聞くと、お父様は厳しいというか怖いですね。

紘毅 普段は怖くないですよ。怖いのは怒った時だけです。ただ、お小遣いとかそっち方面は厳しかったほうだと思います。

 高校時代はお昼代を毎日もらっていました。1日につき千円で、学食でもコンビニでも一番安いものをご飯に選ぶ。それでお釣りの数百円を貯めていって、欲しい物を買ったり、遊びに行ったりしていましたね。

――紘毅さんがミュージシャンになるのを反対されて、小学校の頃は家にあるピアノに触れることを許されなかったと聞いています。

紘毅 姉と妹はピアノを習わせてもらっていたんですけど、なぜか僕は外されていましたね。でも、小学生の頃に親父がギターを弾いている時にコードを2、3個教えてもらってもいるんですよね。

――お父様には「音楽に触れてほしい」という気持ち、音楽業界を知っているからこそ「厳しいからやめておけ」という気持ちの両方があったのかもしれないですね。

紘毅 本格的に音楽の道に進みたいと言ったら「やめておけ」と何度も言われましたね。高3になると、進路を決めないといけないので、どうしようか悩んでいました。

高校最後の文化祭でものすごい拍手を浴びて

――音楽を仕事にしようと思ったのは、やはり中学、高校でのバンド活動があったからですか。

紘毅 そうです。高校最後の文化祭で、貴大と話し合って「ふたりで歌おう」と決めたんですよ。それでふたりで歌ったんですけど、貴大がうまいのは当たり前で。一方の僕が歌い出すと、初めは「なんで、アイツが歌ってるのよ?」という空気だったんですけど、そこからものすごい拍手が起きて「ウォーーーーッ!!!」ってなって。

 文化祭の最優秀賞みたいのまでもらったんですよ。その時に僕も歌をやってみたいなと思って、本格的に目指すようになりました。

――大学は尚美学園大学へ。

紘毅 そこでピアノとギターを学びました。親父には何も言わず、母ちゃんにいろいろ書類を書いてもらって試験を受けて。合格して「自分でここの大学に決めて受かったので、行くことにするね」「在学中に音楽の仕事に就けなかったら、他のことも考えるから」と親父に話したら、「おお、そうか」と、一応受け入れていました。

エイベックスとUSENの共同オーディションでグランプリ

――そして、エイベックスとUSENが共同で開催したオーディション「a-nation '05」に挑むと。

紘毅 未成年だったので、それも母ちゃんに承諾書とかを書いてもらって。オーディションには、母ちゃんと九州にいるじいちゃん、ばあちゃんも来てくれて。だけど、最終審査に残って僕が歌い終わったら、さっさと帰ってしまったんですよ。

 そうしたらグランプリを獲って、取材の方たちに「ご家族、いらしてます?」と聞かれたものだから慌てて母ちゃんに電話して。「もう、九州に向かってる」とか言われましたね(笑)。

 後日、エイベックスの方々が家族にも挨拶したいとうちの家に来ていただくことになったんですよ。親父にも挨拶してくれと頼んだら「それ、やっぱりデビューはなかったことにしてくださいって謝りにくるんじゃないか?」とか言い出して(笑)。

父は「どうせ、やめるんだろ」というスタンス

――先方はお父様のことは。

紘毅 知らないです。なので、当日は「前川って……ああ、そういうことですか」みたいになっていましたね。いざ、挨拶が始まったら親父が「僕もエイベックスでシングルを出してもらえませんかね」とか言い出して(笑)。それで場が一気に盛り上がって、「だったら、やってみろ」と。

――「おめでとう」ではないんですね。

紘毅 「どうせ、ダメになる」「まあ、やるんだったらやってみ? どうせ、やめるから」というスタンスだったんですよ。

 でも、オーディションに受かった時は「浜崎あゆみに続け!」という見出しで新聞の一面に大きく掲載していただいたし、僕のなかでも「あのエイベックスに入ったんだぞ」「親父、いまに見ていろよ」という気持ちもあって。でも、そこから1年はまったくデビューできなかったんですよ。

 親父から「おいヒロ、おまえのデビューってどうなったんだよ?」って言われる日々が続くようになりました。

( #2 に続く)

「アホやな清」ダウンタウン浜田の一言ですべてが変わった…前川清の息子・紘毅が2世として“開き直る”まで へ続く

(平田 裕介)

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