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「伊藤詩織さんを中傷」のデマ、「露出が多い」と叩かれる...三浦瑠麗が経験した“炎上”

文春オンライン / 2021年9月16日 6時0分

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三浦瑠麗さん ©文藝春秋

小林賢太郎、小山田圭吾...東京五輪で露わになった「日本風キャンセルカルチャー」の危うさ から続く

 言うまでもなく、キャンセルカルチャーはSNSによって急速に拡がっています。インターネットの時代、過去の発言はすべて、一切の文脈を取り払って世に出すことができます。過去のある時点で知り得た情報をもとに何か発言をすると、その時点では正しかったことも、時を経て真相が明らかになったときには、当時の時代背景を一切無視した発言のみが切り取られ拡散されてしまいます。つまり、即席に「加害者」を仕立て上げるのは簡単なことです。

 今日もツイッターのどこかで火事が起きているでしょう。火事に人が群がると炎上はさらに大きくなる。

「恨みは30年だろうが40年だろうが忘れまい」

 炎上を手助けするのがハッシュタグの存在です。特定の話題を一覧しやすくするために用いられますが、「#●●の辞任を要求します」のように使われると、インターネット上で私刑(リンチ)の連鎖につながる。私刑の動機は、ほぼ権力欲とルサンチマンによる報復感情で説明ができます。

「相手を完膚なきまでに叩きのめしたい」、「恨みは30年だろうが40年だろうが忘れまい」というのは人間だけの性質でしょうね。

 そしてキャンセルカルチャーの恐ろしいところは、「叩かないことさえも叩かれる」ことです。

 責めないことを責められないため、人はありとあらゆるニュースに反応しなければならなくなる。これは不祥事に関する問題だけではありません。東日本大震災について毎年追悼のメッセージを発する人が、阪神淡路大震災については言及しないことが責められる可能性もあります。アメリカのハリケーンに同情を寄せて、中国の地震をスルーする問題も指摘されるかもしれない。

 個人的な体験や愛着のあるものについて語ることは自然にできますが、ありとあらゆる惨禍、不祥事について平等に言及することはそもそもできません。そのような行動の行き着く先は、単に、見られるために行う発信であり、思考停止です。

「#Amazonプライム解約運動」で炎上

〈三浦瑠麗氏もキャンセルカルチャーを身をもって経験した一人だ。

 昨年7月、AmazonプライムのCMキャラクターに起用されると、抗議が殺到。過去に“徴兵制の復活”を提案したことなどを理由に、ツイッターでは「#Amazonプライム解約運動」がトレンド入りするなど炎上に見舞われた。〉

 私のデビュー作『シビリアンの戦争』(岩波書店)は、共和国を「現存するデモクラシーの要素に加え、政策決定に対する自由な参加とともにその結果を応分に負担しあうような国家」と定義したうえで、次のように書いています。

〈具体的な「共和国」への道は、緩やかな徴兵制度の復活ないし予備役兵制度の拡充により、国防に関わる軍の経験や価値観をひとりでも多くの国民が体験することを意味している。(中略)現状は、国防の任務の軽視と無関心が大勢を占める一方、他方では国民全体に自らのコスト意識なしに専門的な軍を用いて戦争をやらせようという発想がある。この発想がなくならない限り、攻撃的な戦争はなくならない〉

 アメリカをはじめ、現代の豊かな民主国家では、シビリアン(=文民)が戦争の人的コストを理解しないまま軍に戦争を強いている現状があり、このままでは安易な戦争が繰り返される。そんな問題意識に基づく提言でした。

 この提言を導き出す、シビリアンの“暴走”を描くため、イラク戦争をはじめいくつかの戦争の実例を挙げながら350ページ近くにわたり書き記したのが同書です。

「徴兵制の復活を主張する危険思想の持ち主」?

 アメリカで、戦争に関する命の平等を尊重するために徴兵制を提言する人は、戦争経験者の黒人議員など少数者の中の少数者であり、敬して遠ざけられることはあっても、タカ派だと思われることは一切ない。

 ところが、日本では最近の戦争の実態を知らない人が多いのをいいことに、意図的な切り取りがまかり通り、「日本での徴兵制の復活を主張している危険思想の持ち主だ」と、前後の文脈を一切無視して不安を煽ることで急速に拡散されていきました。実際の経験者だからわかることですが、多くの場合、火元となる情報の作られ方は意図的なのです。

現代の「魔女裁判」の様相を呈するSNS

 常日頃からSNSには憎悪のつぶてが飛び交っています。私は、男性からも女性からも、右翼・左翼も関係なく、それはもうありとあらゆる方面から石を投げられているからよくわかります。自分と価値観が違う、自分の望むような意見を言わない人間に対しては、外見、人格、女であること、全てが許せなくなってくるようなのですね。エッセイに書いた、過去の性被害について名誉を毀損するような書き込みも目にします。これは左右問わずです。

 思い込みの恐ろしさってすごいなと思うのは、伊藤詩織さんの性被害告発を応援している人が、私は彼女を応援する立場を明確にしているにもかかわらず、彼女を誹謗中傷したとデマを流し続けています。私が書いた詩織さんの本の推薦文など、ちょっとネットを検索して確認すればわかることですが、それもせず、叩かれているからには何らかの根拠があるだろうと思い込むのが、デマが流通する原因です。いじめは被害者に原因があるという論法と一緒ですね。

 では、かつて民衆が加担した魔女裁判には根拠があったのでしょうか。病人にハーブ療法をしたから? 生意気だったから? ひょっとすると有力者の求めを拒んだからかもしれませんね。時代が変わっても人間というのはたいして変わらない。そこにSNSというツールが登場したことで、事態はより加速しています。

 発言内容より容姿や話し方をあげつらう人が、大真面目に性差別反対などと言っているのをみると、おかしみを感じます。何かあるたび、とある受賞記念パーティーにおける私のアルマーニのドレス姿のスナップ写真を貼り付けてくる人々もいるのですが、露出の多さを誹謗すれば傷つくだろうと思っているところが面白い。好きな服でなければ自分で買う訳がないですよね(笑)。

「ふしだらだ」と言うのは、そもそも女性に自己決定権を認めていないことと同義。キャンセルカルチャー以前に、自分自身の言動が破綻している人がほとんどなのです。

 私は基本的にはエゴサーチ(自分自身を検索すること)をしませんし、ツイッターも認証アカウントですから、通知されるコメントは私がフォローしている人のみ。だから自分の炎上にしばらく気付かないときもありますし、長年の慣れもあってか大した影響はありません。しかし普通の感覚をもつ人間であれば、一瞬たりともスマホの通知が鳴りやまないという状況だけで精神的に参ってしまうはずです。

「モラルタフネス」を持て

 キャンセルカルチャーが日本に与える影響は、非常にいびつなものになるでしょう。日本社会には、「臭いものには早く蓋をしたい」という傾向がある。なにか論議を呼ぶ出来事が起きても、瞬間的に盛り上がってすぐに忘れ去られてしまうし、本当に波風を立てることは望まれません。周囲を見渡し問題がないことを確認してから意見を言う風潮があり、真の議論はなかなかできない。

 本家本元のアメリカも、キャンセルカルチャーの巨大な影響力の前に立ちすくんでいます。しかし、アメリカでは、美徳とされる性質の一つに、「モラルタフネス」がある。「自身の倫理観を伴う強さがあるかどうか」ということですが、つまり物事に対してきちんと善悪の判断をくだせるかどうか、周囲に流されず、責任を持って判断をくだせるかどうかということを指します。

 これまで日本の教育では、自分の頭で善悪を判断するやり方は教えられてこなかった。「みんなが『いい』ということがいいことで、みんなが『悪い』ということが悪いこと」だからです。善悪の基準はお上でも神様でも自分でもなく、「みんな」。

 日本のワイドショーはこれを体現していて、非常に興味深い。世の雰囲気に忖度して落としどころを提示しあう風潮は、キャンセルカルチャーを助長してしまうでしょう。

 日本の政治家もメディアも、このモラルタフネスが欠けている。自らを支える主張の骨がないから、状況依存的に世論に応じ、右顧左眄しています。間違いを恐れ、自分の意見を言えない、だから責任も持たない。そんな「だれからも批判されないこと」が、日本のエリートの条件になっています。

 私は、キャンセルカルチャーが過熱することに強い危機感を覚えます。こうした「日本風キャンセルカルチャー」によって生み出されるのは、誰もがあるべき“正解”しか話せない、その正解を支える論理すら存在しない、つまらなくて危険な社会です。

 嘘つきで、空気に流されて「正しい人」を演じることのできる人が世の中に溢れ返るまで、この風潮は止まらないように思います。

(三浦 瑠麗/文藝春秋 2021年10月号)

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