1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

「砂や小石を投げられたり、オシッコをひっかけられたことも」稀代のプロレスラー・北斗晶、知られざる“メキシコ時代”の苦労

文春オンライン / 2021年9月21日 11時0分

写真

北斗晶さん ©時事通信社

 稀代のヒールレスラーとして活躍し、現在はタレントとしてお茶の間に欠かせない存在の北斗晶さん。メキシコでプロレス修行した際の苛酷な経験から、プロレスラーとしての「自分の魅せ方」を身につけていったという。

『週刊文春WOMAN vol.11(2021年 秋号)』 より、知られざる若手時代のエピソードを抜粋する。

◆ ◆ ◆

言葉が通じないメキシコでは、水1本買えなかった

 若さゆえの失敗には誰もが見舞われる。問われるのは、それにどう立ち向かうかだろう。

「なんでも跳ね返すイメージも強いと思いますけど、そんなこともないんです。人生って、なんともならない時がいっぱいある。メキシコに行った時がそうでした。辞書も持たずに行っちゃったんですよ、なんとかなると思って。でも、ならなかった。

 喉が渇いて『これ』って指差して買った水が、開けた瞬間にシュパーッてなって。アグアミネラル(ミネラルウォーター)とアグアコンガス(炭酸入りミネラルウォーター)の、コンガスを買っちゃったんですね。私はこの国で水一本買えねえよ、と思って」 

 同行した後輩の手前、不安な姿は見せられない。新人時代、頸椎骨折すら克服した北斗だったが、準備不足ではなんともならないこともあると痛感した。

「それからはジョン万次郎ですよ。目で、アクションで観察するんです。1日3試合あって『ノスベモス』と言って楽屋を出る人と『アスタマニャーナ』と言って出る人がいる。前者は次の会場にもいる。後者は次の日にいるんですよ。

 だからメモしました。『ノスベモス』の人=すぐ会う。『アスタマニャーナ』の人=次の日に会う。正という字で集計をとったんです。正が増えていったら確信に変わるんですよ。『アスタマニャーナ』って『また明日ね』なんだと」

 北斗が持っていた日本の化粧道具に興味を示したメキシコ人レスラーが「コモセディセ ハポン」と化粧品を指さしたことがあった。

「ハポンは日本だと知っていたので、『コモセディセ ハポン』は日本語でなんて言うのかを聞いてるんじゃないのかと思って。『コモセディセ』を覚えてからのスペイン語の覚えは速かったです。周囲に『コモセディセ』って聞いて、全部紙に書いて覚えていったんで。

 おしゃべりなんで、人としゃべりたかったんですよ。あとは、同じ控室にいても対戦相手がなに言ってるか分かんないし。『アキラ』って聞こえると、このやろ、私の悪口言ってるなって(笑)」

 語学力不足から、お金をごまかされたこともあった。CMLLの社長に挨拶に行った時、来日経験のある男性プロレスラーから教わった挨拶を伝えたら、それが卑猥な言葉だったことも。

「はじめまして、私の名前は北斗晶です、のあと『パパシート エスタスビエンクワントス』と言えって。日本語に訳すと『色男、おまえ何回できるんだ』っていう意味(笑)。それを『よろしくお願いします』だと教えられて。社長が大笑いしてくれたからよかったんですけど、あとからわかった時に、こいつら舐めやがってと。

 あとは、溶け込みたかった。ここで花を咲かせたいなら、場に慣れなければいけない。そういう全部が私をジョン万次郎に変えました」

リングが見えづらい会場で、「自分を魅せる」ためにやったこと

 なんの期待もなかったメキシコ遠征で、北斗はスペイン語だけでなく、自分を魅せる術を学んだ。

 構造上、メキシコの試合会場は上方の席からリングが見えづらい。

「一番上の人たちにも私のやってることを知ってもらいたかった。爪でひっかいてるのか、口で噛んでるのか遠くからでもわかるように、爪も唇も黒く塗りました。一番相手にしなきゃいけないのは、特別リングサイドの席を買ってくれる人ではないんです。お金がなくても観に来てくれた、会場の一番上にいる人。

 その人たちが面白かったと思えば、次は3000円の席を5000円にしてくれる。5000円の席を7000円にして、いつかは1万5000円の席で観たいと思ってくれる。でもなにをやっているか分かんなかったら、面白くないという印象のまま帰ってしまう」

 帰国後、北斗は日本でもヒールターン(悪役転向)し、めきめきと頭角を現した。SNSの現代と異なり、ヒールにはカミソリの入った手紙が送られてくる時代だ。

「悪役という言い方はあんまり好きじゃないんで、ヒールレスラーと言っています。人気選手を痛めつけるんですから、嫌なこともありました。メキシコでは砂や小石を投げられたり、紙コップに入ったビールをかけられたこともあれば、カップにおしっこを入れてひっかけられたことも。

 でも、自分で選んた道だから言えますけど、悪党って得なんですよ。おっかない北斗晶が『あ、ハンカチ落ちましたよ』って言ったら、結構いいヤツだよってなりますよね(笑)」

 人の目を惹きつけるため、北斗は目に入るすべてにこだわった。

「お給料は全部コスチュームに使う。大きな場所では同じものは二度と着ませんでした。北斗晶は今回どんな衣装で出てくるんだろうというのも楽しみのひとつになっていたと思います。両国、武道館、横浜アリーナ、文体(横浜文化体育館)、毎回違うものを一式揃えて。新しいコスチュームで出た瞬間、お客さんがウワーッてなるんです」

客を惹きつけるのは、必殺技を出す瞬間ではない

 着物を模したガウンを羽織り、連獅子で歌舞伎役者が被るようなかつらで頭を、夜叉の面で顔を隠した北斗が花道を歩く姿は圧巻だ。

「コールが終わって、リングの上で初めて北斗晶の姿がお客さんの前に現れることを常に心掛けました。自分より前にある後輩の試合を、舞台裏から観たりもしない。本番前に私の姿が見えてしまったら、お客さんの興奮が変わるから。技を考えないわけではないんですけど、それよりも扉を開ける瞬間からのことを考えていましたね。試合はそこから始まってるから」

 一概には言えないが、脇役としての正しい振る舞いを求められがちな女性にとって、人の目を惹きつける自己プロデュースは苦手分野に入ることではないだろうか。

「大切なのは、つかむ瞬間です。鉄板の笑い話にもつかみどころってありますよね。どんな話にも強弱があって、声を大きくすればいいってことではない。じゃあリングの上でお客さんの心を一気につかむのはどこなのかといったら、私の必殺技だったノーザンライトボムを出す瞬間ではないんですよ。出す前なんです。『ノーザンライトボム行くぞ~』ってアピールした瞬間。

 そこで会場がウワーッて興奮して、技がきまらなかったらお客さんは落胆する。ガンと掛けた時が、勝ったぞとお客さんが確信する瞬間。一番沸くのは、必殺技を掛けると私が会場にアピールした瞬間。次が落とした瞬間。最後がワン・ツー・スリーが入った瞬間。この3つが重なった時、最高のボルテージが来る。つかみどころをいつも考えていたんじゃないかな、プロレス時代は」

タレント活動では「なぜ私はブッキングされたのか」

 タレント活動については、ここまで長く仕事をさせてもらえるとは思っていなかったという。

「違う畑で育っていくのはとても難しいです。芋をつくるのに合った畑ってあるんですよ。農家の娘なのでわかるんですけど。私は自分に合った土で育ってきたけど、芸能界は土が違う。そこで少なからず芽だけは出せたのはすごいことで、まだまだ育っていかなきゃいけない。

 プロレスの自己プロデュースや、私はこうでなきゃいけないというような我の強さはこっちでは通用しないんですが、なぜ私をブッキングしてくれたのか、なにを求められているのかは考えられます。ほかに誰がブッキングされているかを見れば、私は主婦タレントとして呼ばれているんだなってわかる。この話題ではこういう話をしてほしいんだろうと分析してから臨むようになりました」

 望まれて生まれてきたのではないと知ってから、北斗は自分の存在価値を周囲に証明することに熱意を持ち続けているように見える。

「プロレスラーの時代にはつらいこともあったんです。でも、どれだけかと言われると、正直思い出せない。いっぱいいっぱいの中でやっていたから。子育てにも似てると思いました。

 本当にすごい練習量でしたけど、50代半ばになると、あれをこなしていたからいまがあって、耐えられたから、もうなにがあっても大丈夫と思っちゃう自分もいる。時は癒しって言いますけど、傷を癒やしたり、思いが変わったり、時が経つってそういうことなんだと実感しています」

※全文は発売中の『 週刊文春WOMAN vol.11(2021年 秋号) 』にて掲載。男子を望んでいた農家に次女として生まれた北斗さんが、いかにプロレスに自分の生きる道を見出していったのか。「酒・たばこ・男」が三禁の女子プロレス界で、結婚・出産後も活躍するパイオニアになぜなれたのかーーその足跡を紹介します。

ほくとあきら/1967年埼玉県生まれ。85年、17歳で全日本女子プロレスに合格し、デビュー。歌手活動なども行うアイドルレスラー時代を経て、ヒールレスラーに転身。男子顔負けの本格的ファイトと天才的マイク・アピールで92年以降の女子プロレスブームの火付け役に。95年、プロレスラーの佐々木健介と結婚。日本初のママレスラーとして活躍後、2002年に引退。現在はタレントとして活躍する。

(ジェーン・スー/週刊文春WOMAN 2021年 秋号)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング