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「履歴書の全身写真、ナメてるな~」 鈴木亜美が40歳を前に明かす『ASAYAN』と『BE TOGETHER』で“得たもの”

文春オンライン / 2021年10月6日 11時0分

写真

鈴木亜美さん

「自分の道って何なんだろう?」鈴木亜美39歳が“歌手休止前”に考えたこと《アイドル→DJ→激辛YouTuberで再燃》 から続く

 鈴木亜美さんは、90年代を代表するバラエティ番組『ASAYAN』のオーディションをきっかけに芸能界入り。一般の女の子が一夜にしてアイドルとなり、小室哲哉さんプロデュースのもと、鮮烈なデビューを果たします。当時、その裏側では一体何が起きていたのか? 鈴木さんご本人に23年前の“あの日”からを振り返っていただき、あらためて来年40歳を迎える心境を伺いました。(全2回の2回目/ 前編 から続く)

◆ ◆ ◆

『ASAYAN』は本当にガチな番組だった

――1998年、『ASAYAN』(テレビ東京)のヴォーカリストオーディション・ファイナルで1位となったことがデビューのきっかけですよね。東京だけでも5000人以上の応募があったという激戦を勝ち抜いた、その瞬間の心境はどんなものでしたか。

鈴木亜美さん(以下、鈴木) 正直、あんまり覚えてないんですよね。『ASAYAN』は本当にガチな番組で、私自身もオンエアで自分が選ばれたことを知ったんです。

 そもそも応募したのも勢いというか、私が歌手に憧れていることを知っている友達が“みんなで行こうよ”と背中を押してくれて、「ファイナルだから応募しとこう!」みたいな感じで。友だち数名と一緒に揺れる電車の中で履歴書を書いて、学校の教室の椅子の上に乗ってピースしている、スナップ写真のような全身写真を貼って応募しました。

 小室さん(プロデューサーの小室哲哉さん)からも、「亜美の履歴書の全身写真、ほんとあれナメてるな~と思ったんだよ」と言われましたね(笑)。スタジオでプロのカメラマンにちゃんと撮影してもらってる人が多かったみたいで、逆に普通の女子高生っぽさが際立ったみたいです。

「うちってやっぱ貧乏なんだなあ」と思った瞬間

――当時は歌手になることが夢だったんですか?

鈴木 歌やカラオケが好きな一家で、私も小さい時から歌うことが好きでした。でも芸能界とかには無縁の、本当に普通の家です。むしろ、普通よりかなり貧しかったと思います。両親は若い時に結婚して、25歳までに私含めて3人の子持ちになったので、生活は大変だったと思いますね。

――小さい頃のご家庭の様子で印象に残っているエピソードはありますか?

鈴木 お風呂のお湯を節約していたり、あとうちは近所のお兄さんお姉さんのおさがりをもらっていたので、新しい服を着ている友だちを見ると、「うちってやっぱ貧乏なんだなあ」と思ってました。

 父は早くに社会に出ましたが、思うように仕事に就けず、苦労して一歩ずつ階段を登っていたような人。だから歌手になることは全面的に応援してくれていましたが、学業だけは疎かにしてほしくない、と言われていました。

『ASAYAN』放送後、家に人が押しかけ学校も大騒ぎ

――そんな中で高1の冬にデビューが決まって、生活は激変したのでは。

鈴木 当時のテレビは今とは違って、自宅や周辺がモザイクなしで放送されていました。おかげですぐに家の場所が特定されてしまい、『ASAYAN』の放送以降、家に人が押しかけたり電話が鳴り止まなかったりと、いろいろ大変でした。

 地元の神奈川県の高校に通っていましたが、学校も大騒ぎになってしまって対処しきれないということになり、芸能コースのある東京の高校に転入しました。

 ただ厳しい学校でしたし、父の願いもあり、どんなに仕事が忙しくても学業との両立は絶対でした。試験も修学旅行も全部参加したので、高校時代は毎日睡眠時間が2、3時間というハードな生活でしたね。

「アイドル・鈴木あみ」は数年で終わりなんじゃないか

――そうして98年の2月にデビューが決まってから、7月に『love the island』でCDデビュー。9月にはセカンドシングル『alone in my room』、11月に『all night long』、12月には『white key』と、半年足らずの間に4枚ものシングルをリリースするという凄まじいスケジュールでした。“鈴木あみフィーバー”な日々を当時、どのように捉えていたのでしょうか。

鈴木 オーディションに合格した時からすごい嬉しくて楽しい反面、いつか来る終わりもうっすらと感じていました。たとえて言うと、夏休みも、始まってすぐはウキウキしているけど、その瞬間から終わりに向けてのカウントダウンもスタートしていてちょっと切ない、みたいな感じでしたね。

――達観した高校生ですね。どこかでその人気に陰りが見えることも予期していたと。

鈴木 始まりには終わりがある。だからこそ、その終わりが寂しくならないよう、次のことを楽しみに変えていこう、みたいに考える癖が小さい頃からあって。人生は長距離走のようなものなので、物事を短いスパンでは考えないようにしているのかもしれません。

 デビューした時はアイドルのような感じだったので、「アイドル・鈴木あみ」は数年で終わりなんじゃないかと最初から思っていました。だからそこから先はどうしようかと、デビューした瞬間から考えていたような気がします。

20歳の葛藤「歌手か、女優業か、タレント活動か」

――“そこから先”について、20歳の頃はどんなことを考えていましたか。

鈴木 20歳に近づくにつれ、子どもから大人になって、アイドルからどう脱却していくのか。ずっと歌手としてやっていくのか、それとも女優業に進出するのか、タレント活動していくのか。私自身、「これだ!」という方向性がまったく見えていませんでした。

 それまでは小室さんプロデュースのリリースが続いていて、息つく暇がないような日々で。でも20代の頃にいったん芸能活動をお休みさせていただき、じっくり腰を据えて自分に向き合えたあの3年間は、振り返ってみればいい時間だったと思います。

――プロデューサーだった小室哲哉さんとは、キャリアの話などをしたのでしょうか。

鈴木 小室さんは夜型でお仕事をされていたこともあり、当時高校生だった私とはなかなか生活時間が合わないんですよね。当時は小室ブームでもあり、歌番組のスペシャルとかでしか直接会う機会はありませんでした。

 逆に大人になってからの方が私も普通に小室さんと接することができるようになったので、ふとお会いした時に昔話をするような感じです。「亜美はほんと子どもだったよね~」とか「いつも制服でレコーディングスタジオにいたね」とか。

――鈴木さんから見た小室さんはどんな方ですか。

鈴木 小室さんって、うちの親のひとつ上なんです。そういうこともあって、私はこの業界のお父さんだと思っています。怒られたり怖いと感じたことなんて一度もなくて、本当に優しくておっとりしている方で。あんなに忙しいのに喋るペースがめちゃくちゃゆっくりだから、取材が時間内に終わらないんじゃないかと、こっちがハラハラしちゃうくらい(笑)。多忙でもご自分のペースを乱さない方ですよね。

 すごく嬉しかったのは、セカンドシングル『alone in my room』のジャケット写真を私に選ばせてくれたこと。写真が何枚か並んでて、「亜美はどれがいい? 僕はもう若い子の感覚がわからないから」と言って、私の意見を聞いてくれたんです。その時選んだのが、真正面を向いている写真じゃない、ちょっと横を向いてふくれっ面をしているような表情のものでした。そうしたら小室さんが、「これを選ぶセンスが僕にはもう分からないんだよ」と話していたのが印象に残っています。

『BE TOGETHER』で初のオリコン1位

――『love the island』、『BE TOGETHER』など、小室さんプロデュースの曲はいまだに高い人気がありますよね。レコーディングの時などに、「これはヒットしそう」とわかるものですか。

鈴木 いや、全然わからないです(笑)。私は新曲を覚えるのに必死で、当時はそんなことを考えられる余裕はなかったです。ただ4枚目のシングル『white key』は最初に聴いた時、デモを歌っている女性の方がすごく上手で、「ああ、いい曲だな」と思いました。やっとはじめて余裕が出てきたのがこのあたりだったのだと思います。

 今は私の子どもも、『BE TOGETHER』を歌えるんです。『BE TOGETHER』は、はじめてオリコン1位になった曲で、今でもリクエストしてもらえることが多いし、めちゃくちゃ盛り上がってもらえて。

 やっぱり小室さんの曲は凄いですよね。当時も、大人になった今でも歌えて、ライブでも通用する。歌詞の内容も、大人になっても共鳴できる。本当にすごい宝物をもらったなと思っています。

来年40歳、デビュー25周年を前に

――16歳からを振り返ると、鈴木さんのデビュー25周年も目前ですよね。こんなに長く芸能界でお仕事されるというのは想像していましたか。

鈴木 いや、していなかったですね。デビュー10周年の時も、「10年できた」って。だから一層、感慨深いものがあります。

――来年には40歳を迎えられます。節目を前に、心境の変化などはありそうですか?

鈴木 そういえば『ASAYAN』のオーディションで1位になって両親と小室さんにごあいさつに行った時、親が39歳で小室さんは40歳の年でした。たしか番組でも「(年齢が)親よりも上」と紹介していたと思うんですよ。“業界のお父さん”と同じ年齢になるんだなあと。

 実はフードアナリスト2級の資格を持っているくらい、食べるだけではなく、料理を作るのも大好きで。加えて今年は、スパイス香辛料ソムリエにも合格したので、「激辛」の枠にとどまらず、もっと料理のことを深く掘り下げていきたいなと思っています。 料理関係、これって一生できることですし、40歳からの目標は大きく、「食べるラー油」を超えるヒット調味料を開発すること! そういう普通の、スーパーに置いてもらえる日常的に買えるものを作ってみたいですね。

写真=末永裕樹/文藝春秋

(小泉 なつみ/文藝春秋)

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