1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

ロッテの通訳一筋27年、100人以上の外国人選手と接してきたベテラン通訳の物語

文春オンライン / 2021年10月6日 11時0分

写真

ハーマン投手と矢嶋隆文通訳 ©梶原紀章

 1974年以来、47年ぶりのリーグ1位でのリーグ優勝。別の解釈としては前後期制を除き、1970年以来のリーグ1位でのリーグ優勝に向かって突き進んでいる千葉ロッテマリーンズ。95年から外国人選手の通訳を務める矢嶋隆文氏も感慨深い想いで日々を過ごしている。

 テレビや新聞などのメディアでも連日、「1970年以来」、「1974年以来」という記録がクローズアップされる。優勝マジック点灯となると1970年以来、51年ぶりである。マリーンズのストッパーを務める益田直也選手会長がお立ち台で「50年以上、その時を信じて声を枯らして応援してくださった人もいらっしゃる。そういう方のためにも優勝したいです」と口にするとベテラン通訳の脳裏に古い記憶が蘇った。

ロッテ球団史のキーポイントを生観戦した記憶

「益田選手のヒーローインタビューでのコメントを聞いて、ああ、そういえば1970年と1974年の日本シリーズを父と観戦に行ったなあと思い出してね。1970年当時、ボクは8歳で東京スタジアムでのロッテ対巨人戦を見た。1974年は12歳で後楽園でのロッテ対中日。その2つを見に行っていたことに今、不思議な縁を感じている」

 温厚な人柄で知られる矢嶋氏は優しい表情で古い記憶を嬉しそうに語ってくれた。1970年当時のロッテの本拠地は、今はない東京スタジアム。都内に住んでいた野球少年は同じマンションに住んでいた球団関係者に招待される形で日本シリーズをスタンド観戦した。

「ホームランが沢山出た試合だった。確か長嶋(茂雄)さんが2本で王(貞治)さんも打った」

 この記憶をたどると1970年11月1日の第4戦。濃人渉監督率いるロッテは川上哲治監督率いる巨人に6対5で勝利している。この日の観衆は3万1515人。その一人が矢嶋氏だ。

「今でも常磐線に乗って、当時、東京スタジアムがあった南千住駅を過ぎると当時の事を懐かしく思い出す。東京スタジアムで父と日本シリーズを見たなあって」

 そしてもう1試合はロッテが日本一となった1974年。県営宮城球場を中心に活動をしていた時だ。その時の日本シリーズでの対戦相手は中日ドラゴンズ。ロッテは後楽園で主催試合を行った。ロッテ金田正一監督、中日与那嶺要監督の対戦。後楽園でのゲームを観戦した。結果的にこのシリーズは4勝2敗でロッテが勝利。金田監督はナゴヤ球場で宙に舞った。ロッテ球団史のキーポイントともいえるこの2つの日本シリーズを生観戦し、そして05年と10年の日本一はロッテのチームスタッフとして関わり、再び今年、優勝の瞬間に立ち会おうとしている。矢嶋氏にとって感慨深いものがある。

 入団したのは95年。レン・サカタ二軍監督の通訳を一般募集する週刊ベースボールの記事を友人が偶然、見つけて教えてもらい、さっそく応募した。シカゴの大学に入学。大学でも内野手としてプレーした経験を面談で語った。野球英語に詳しいことが決め手となって見事に合格。シカゴ・ホワイトソックスの本拠地スタジアムでボルチモア・オリオールズで当時現役だったレン・サカタ二軍監督がカル・リプケンジュニアと二遊間を組んでいた試合を生観戦したこともあっただけに深い縁を感じた。それから27年。マリーンズで通訳一筋の生活を送っている。振り返ると100人以上の外国人選手と出会った。出会いと別れの連続。色々な思い出が脳裏を過る。

シコースキーとは今もやり取りを

「今年のチームは日本一になった05年に似ているかな。05年も野手ではベニーとフランコ、そして李承燁の外国人選手たちが打線を引っ張り、率先してリーダーシップを発揮していた。今年もレアードとマーティンが同じようにチームを鼓舞する役割を果たしている」と矢嶋氏。

 チームが苦しい時、助っ人外国人選手たちが仲間たちを鼓舞する。それは05年も今も同じ。マリーンズの良き伝統だ。「いい時も悪い時もある。大丈夫だ」。「オレたちは絶対に出来る!」。時代は変われど、同じように鼓舞し支えてくれる良き助っ人たちがマリーンズにはいる。そのことを矢嶋氏は誇りに思っている。

 色々な個性的な外国人選手たちもいた。中でも印象深いのはブライアン・シコースキー投手。初登板の時、一緒にマウンドに向かうと、突然、腕をグルグルと回し出した。驚いた。後日、その理由を聞いて納得した。

「彼は冬場に寒いミシガン州の出身。高校の時から冬場のウォーミングアップとして体を温めるためにやり始めたと言っていた。最初は驚いたけど、すっかりファンの皆様にも定着した。思い出深い」と話す。

 今もシコースキーとはやり取りが続いている。その他にベニー・アグバヤニ外野手などマリーンズファンに愛された多くの選手たちと今でも交遊を続けている。「メールとかだけど、今のマリーンズの状況とか報告をしたりしている」と矢嶋氏は嬉しそうに話す。

 そんな矢嶋氏のプロ野球の通訳としての哲学はいたってシンプルだ。

「異国から来ている。自分も留学をした経験があるのでよくわかる。心細い。だから助けてもらえるとすごく嬉しい。選手たちが野球に集中できるようにサポートして、リクエストには、なるべく早く対応するように心がけている」

 今年も矢嶋氏は献身的なサポートを続けている。そして外国人選手たちは、チームを引っ張る活躍を見せマリーンズは優勝戦線を突き進んでいる。栄光の時は近い。誰よりもその瞬間が訪れるのをベテラン通訳は楽しみにしている。小学生だった1970年と1974年の日本シリーズはスタンド観戦。時は流れ05年と10年の日本一はスタッフとして貢献。そして再び。リーグ1位でリーグ優勝という栄光を手にすべく裏方に徹している。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム ペナントレース2021」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト https://bunshun.jp/articles/48946 でHITボタンを押してください。

(梶原 紀章)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング