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39歳で結婚、2児のパパに…加藤晴彦が語る“40代での現在地”「もうセカセカはしないです」

文春オンライン / 2021年10月9日 11時0分

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加藤晴彦さん

「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」(93年)で審査員特別賞を受賞してから、テレビやバラエティ、CMなどに次々と出演されてきた加藤晴彦さん(46)。今では2人の子供のパパにもなった加藤さんは、これまでの芸能生活をどう振り返るのでしょうか。デビュー当時の意外すぎる“秘話”や、人気番組だった『あいのり』『どうぶつ奇想天外』の裏話を、加藤さんが愛する地元・名古屋で聞きました。(全3回の1回目/ #2へ続く )

◆ ◆ ◆

39歳での結婚は大きな転機だった

――今はご家族で名古屋にお住まいなんですね。

加藤晴彦さん(以下、加藤) いずれ結婚したら家族と名古屋に住むというのは、若い頃からずっと言っていたんですよ。それこそ10代の頃から、東京で仕事をしていても、翌日が休みだったら最終でもいいからこっちに帰ってきて、1泊したりして。だから、昔から東京の家はほとんど倉庫みたいな感覚なんです。新幹線に乗っちゃえば、すぐ近くですし。

――39歳でご結婚されて、いまはお子さんが2人?

加藤 長女が5歳、長男が2歳です。人生の中でも、結婚はやっぱり大きかったですね。これは綺麗事とか、のろけとかじゃないんですけど、今でもずっと、妻と子どもたちに感謝しながら生きてるんですよ。これだけ世の中に男の人と女の人がいる中で、僕はベストワンと結婚したんじゃないかなって思うくらいで。妻とは知り合ってから10年近く経つんですが、今でも家にいるときはずっと2人で喋ってますね。

 子どもも本当に大好きで、常にあれしてあげたい、これしてあげたいって考えていて……それは習い事とかじゃなくて、どこかへ遊びにいくとか、バーベキューとかキャンプに行くとか、そういうことですね。

――結婚前は、自分がそこまで「家族大好き」になるとは思っていなかったですか?

加藤 本当に、こんな風になるとは思ってなかったです。でも妻は冗談半分で、「やっぱり元ヤンチャ坊主だから、パパになるとね……」みたいなことを言ってますけど(笑)。うちの母親は、もう僕が結婚できるとは思っていなかったみたいで、「あんたなんか、もらってくれる人絶対いないわ」ってずっと言ってたんです。だけど、今はすごく心が充実していて。

 夜とか、先に妻と子どもが寝ていて、後から自分も寝室に入るじゃないですか。そうしたときに、たまに思うんですよ。この一日一秒がもったいないというか……いつかはみんな死ぬし、妻と子どもと別れる日が来るんだろうな、と。ひどいときは、俺、それをイメージして泣いてますからね、ボロボロ。わぁ、これずっと続かないんだなぁって。子どもたちがいくつになるまで生きていられんのかなぁとか思いますね。

「もうセカセカはしないです」

――今しか味わえない家族の時間ってありますよね。

加藤 特に子どもが小さいときって、もうそこしかないんですよね。これこそ「あとでいいや」にできないことなので。中学生になったりしたら、もう絶対に相手にしてくれないでしょうし。

 だから、もうセカセカはしないです。それこそ結婚を考えたときに、一回、ちょっとゆっくりしようかなと思って。でも、そうすると、周りからは「あれ?」とか「大丈夫?」とか言われるんですけど、いや、別に僕は心地よく生きているんだから、と……。そのあたりは追い追い、お話しすることになるのかなと思いますが。

ジュノン・スーパーボーイは友達に誘われて

――では、まずはデビュー当時のお話から伺えればと思います。加藤さんのデビューのきっかけは、やはりジュノン・スーパーボーイ・コンテストになるんでしょうか。

加藤 本格的なデビューというと、ジュノン・スーパーボーイですね。その前から名古屋で『中学生日記』には出ていたんですけど、それは「ちょっとやってみない?」と言われてオーディションに行くだけ行ったという感じで。そしたら、周りは「あれやります!」「これやります!」って熱意のある子ばかりでした。僕は中学2年だったかな、適度にやんちゃしてたくらいの普通の中学生だったんで、生徒役として特にすることもなくて、ダラダラやってました。

――そこからジュノン・スーパーボーイに応募しようと思ったのは、何かきっかけがあったんですか。

加藤 高校生活は普通に過ごしていたんですが、高3になったときに、今も仲の良い同級生から「ジュノン・スーパーボーイというのがあるんだけど」と言われたんです。それで誘われて、「いいよ、俺も一緒にやってみようか」みたいな感じで受けたら、トントン、トントンと進んで。

 今のルールは分からないんですけど、当時は地区予選みたいなものがあって、そこで勝ち残った人たちが、最終的に『ジュノン』の誌面に載るんです。それを見て、本人たちも自分が選ばれたことを初めて知るという。で、そこから3ヶ月くらい読者の投票があって、上位12人かな、それが最後の本選まで進んで、原宿のクエストホールでグランプリを決めるって流れでした。

 それで僕は、投票が始まったらずっと1位とか2位だったんですよ。誰も俺のことなんて知らないだろうと思っていたから、誌面で途中経過を見ながら「えっ、何これ?」「あれ、マジで?」って言ってましたね。

――軽い気持ちで受けたら、なんかすごいことになっているぞ、と。

伊藤英明さんと乗った「ムーンライトながら」

加藤 最終的に2位かなにかで本選に行くことになったら、スタッフの方から電話で「何やられます?」って聞かれたんです。そこで適当に、全く経験もないのに「ダンスです」って答えちゃって。そこからダンスがすごくうまい友達に「ちょっと教えてよ」って言って、即席で覚えてやったんですけど、本番では半分もいかないうちに忘れちゃって、ステージに突っ立ったまま終わりました。でも、結局、審査員特別賞をもらって。

――そのときのグランプリが柏原崇さん、準グランプリが伊藤英明さんでした。

加藤 そうなんです。特にヒデ(伊藤英明)は岐阜県出身で、家が同じ方向だったんで、東京駅から大垣駅まで走ってた「ムーンライトながら」という夜行列車で一緒に帰ったりしましたね。2人でデッキで色々話してからの付き合いで、同い年だし、今でもずっと仲がいいんですよ。

上京、朝ドラ、そして『あいのり』

――高校3年生でジュノン・スーパーボーイの賞を受賞して、翌年には早くも連続ドラマに出演されていました。

加藤 高3の終わりくらいに「オーディションを受けてみない?」と言われたのがきっかけで、4月から『アリよさらば』という、矢沢永吉さんが教師役をやったドラマに出ることになったんです。それで急遽、適当にアパートを決めて東京に来たという感じですね。

――そのときは、「これから芸能界で生きていくんだ」という思いで?

加藤 いや、そんな気持ちは全くなかったです。良い意味でも悪い意味でも適当で、「じゃあ、行ってみるか」くらいの感じでしたね。そもそも大学もこっち(愛知県)で決まっていたんです。でも、『アリよさらば』は4月クールのドラマだったから、2月末には撮影に入る。だから入学式も出られなくて。本当は、大学には行きたかったんですけど。

――ただ、そこから芸能界でのお仕事は一気に忙しくなっていきますよね。その中で、特に印象的な作品はありましたか。

加藤 そうですね……。翌年には朝ドラ(『走らんか!』)にも出て、そこで認知度が急に広がった感じはありました。あとはやっぱり『神様、もう少しだけ』は、社会現象にもなったので反響が凄かったですね。

 バラエティで言ったら『あいのり』かな。僕らの世代で言えば『ねるとん』みたいな、本当にみんなが見ていて、次の日に学校行ったら絶対にその話になるみたいな、それくらいの番組でしたよね。

芸能界で一番影響を受けたのは「みのもんたさん」

――『あいのり』は、スタートからかなり手応えはあったんですか?

加藤 いや、あそこまでになるとは思わなかったです。初めに出演のお話をいただいたときも、「僕、バラエティとかちょっと自信がないです。迷惑を掛けるかもしれないです」ってスタッフさんに伝えたんです。でも、横に久本(雅美)さんと今田(耕司)さんっていうスペシャリストがいるので、僕はリラックスして気持ちでしゃべればいいというところから始まって。ただ、映像を見たらすぐ感情移入しちゃうんで、面白いことも言えてなかったかもしれないんですけど。

――『あいのり』の反響を感じた瞬間ってどんなときでしたか?

加藤 いやもう、どこへ行っても「次どうなるんですか?」って聞かれましたね。まず、言うわけないんですけどね(笑)。「いや、知ってるんでしょ」とか言われて、そりゃ収録したから知ってるけど、みたいな。

――次の放送を見て下さい、としか言えないですね(笑)。番組が始まったとき加藤さんは24歳で、そこから30代前半まで出演されていましたが、その間に気持ちの変化などはありましたか?

加藤 まぁ、これだけ人の恋愛を見たから、自分もちゃんとした恋愛をして結婚したいなと(笑)。撮影しながら「“人の恋愛を見る前に自分の恋愛をがんばれ”って言われてるんでしょうね、うちら……」みたいなことを、3人でずっと話してました。

 あと、バラエティでは『どうぶつ奇想天外』の話も未だに出てきますね。僕は、番組にはすごく恵まれたと思ってます。生きている間に一つでもそういう仕事をできたのはすごく光栄ですし……やっぱり僕は、芸能界で一番影響を受けたのは、みのもんたさんなんですよね。仕事だけじゃなくて、プライベートの生き方の部分でも、色々教えてもらいました。

披露宴前夜に大号泣したワケ

――みのさんとは、よく飲みに行ったりも?

加藤 もちろん銀座も教えてもらったし、かと思えば急に赤羽のお店に連れて行ってもらったり。本当に親のような存在で、普段は「おやじ」って呼んでます。『どうぶつ奇想天外』のときも、収録が木曜日だったんですけど、その後は必ず飲みに行ってましたね。みのさん、高田純次さん、僕の3人は絶対いて、あとのメンバーは毎回違ったかな。朝まで飲んで、みんな良い意味で子どもに戻るというか(笑)。でもみのさんはこれまで、ちょっと突っ走りすぎたんで、もうそろそろゆっくりして、長生きしてほしいなと思ってます。

 高田さんも、これを言うと営業妨害って言われますけど、すごく真面目な方なので。クレバーでダンディですし、そもそも“真面目”をちゃんと知らないと、ああいう不真面目感ってできないですよね。

――そうした出会いも含めて、一つの転機になった番組だったんですね。

加藤 みのさん、高田さんは僕の披露宴にも来てくれました。年末の忙しい時期に、三重でやったんですけど、前日には(伊藤)英明が前乗りしてくれて、哀川翔さん夫婦、英明夫婦、あと僕ら夫婦の6人で一緒にご飯を食べました。ヒデはまだ結婚する前だったかな。

 それで、最後は俺とヒデの2人が残って、ホテルのバーで昔話をしてたんです。あいつは俺が色々辛い経験をしてきたのも知っているので、「ハルはさ、あんなこともあってさぁ」って言ってくれて、それを聞いたらもう感極まって、大号泣しちゃって……。それでめちゃくちゃ飲んだから、次の日はずっと気持ちが悪くて、肝心の式のことはほとんど覚えてないんですよ(笑)。

( #2へ続く )

撮影=二塚一徹

加藤晴彦(かとう・はるひこ):

1975年5月生まれ・愛知県出身。ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで審査員特別賞を受賞し、1994年ドラマ『アリよさらば』で本格デビュー。

「芸能界を辞めようと思っていました」人気絶頂でレギュラー降板…加藤晴彦が初めて明かす“20年前の真相” へ続く

(松永 怜)

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