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「ローラー族で、ホコ天で踊っていました」 「水曜日のダウンタウン」に出演、無表情なドッキリ仕掛人の“意外な青春”

文春オンライン / 2021年10月20日 11時0分

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©️文藝春秋

「水曜日のダウンタウン」に出演、無表情なドッキリ仕掛け人の“知られざる苦労”《「人がいる」が結局一番怖い説》 から続く

 クローゼットやベッドの中、自動車の後部座席に無表情で佇む不気味な男……。バラエティ番組「水曜日のダウンタウン」の人気コーナー「人がいる」シリーズで、ドッキリ仕掛け人となる“いる人”を演じているのが俳優の白畑真逸(しらはたしんいち・55)だ。演技の道を選んだ理由、あの“俳優”と同級生だった故郷・桶川での日々、コロナが映画やドラマの現場に及ぼしている影響について、話を聞いた。(全2回の2回目/ 前編を読む )

◆◆◆

――インタビューするにあたって白畑さんの経歴を調べたのですが、詳しい情報を得られなかったんです。せっかくの機会なので、俳優になられた経緯をお聞きしたいのですが。

白畑真逸さん(以下、白畑) 「この俳優にすごく憧れて」みたいなのはあまりないんですよ。ただ、子供の頃に青春ドラマが大好きでよく見ていました。中村雅俊さんが教師役で主演を務めていた「ゆうひが丘の総理大臣」(日本テレビ系・1978~79年)なんかを見ては、こんな中学校の生徒になりたいなんて思っていましたね。そこがスタートになって、ちょっと芸能界に憧れて、バンドやったり、いろいろやったりして、役者にたどり着いたって感じですかね。

――生まれは埼玉県とのことですが、埼玉のどちらになるのでしょう。

白畑 桶川です。本木雅弘くんが、中学の同級生で。そんなに仲良かったわけではなかったんですけど、彼が「シブがき隊」としてテレビに出ているのを見て「楽しそうだなぁ」という憧れと、「ちくしょう!」みたいな悔しさが渦巻いていましたね(笑)。

――俳優になって、ドラマや映画の現場で本木さんと一緒になったりは。

白畑 2、3年前に中学の同窓会があって、その時にサプライズで本木くんが出席したんです。「俺も俳優やっているんだ」と話したら「じゃあ、現場で会えるといいね」と言ってくれました。

バンドのボーカルから劇団員へ

――演技の道に進まれたのは、高校を卒業してから?

白畑 21歳か22歳まで桶川にいたんですけど、俳優になりたいという確固たるビジョンは持っていませんでした。芸能界に対して漠然とした憧れはあるけど、やりたいことがはっきりしない。友人がバンドをやっていたので、マネージャーみたいなことをやって手伝っているうちにボーカルをやるようになって。

――バンドって、ジャンルはロックとかポップスですか。

白畑 そうです。永ちゃん的なロック。僕らが中学、高校の頃って、ロックンロールが流行っていたんです。原宿のホコ天に行くと、ローラー族や竹の子族が踊っていて。僕もローラー族で、ホコ天で踊っていましたから。哀川翔さんが、「一世風靡セピア」の前身グループで踊っているのをよく見ていました。

 バンドでボーカルをやるようになったけど、一緒に組んでいる友人ほど音楽にのめり込めないなと思って。でも、人前でなにかを表現したい。いろいろ考えるうちにお芝居の学校に入って、そこで勉強をしていたら面白くなって俳優になりました。

――学校って、どこかの劇団の養成所ですか。

白畑 「劇団京」の養成所です。その前に日活の養成所に通ったんですけど、ダンスばっかりやらされるので辞めました。真田広之さんが好きだったので、なんとなくジャパン・アクション・クラブも受けましたが、運動神経がなくて落ちましたね。

 劇団京は「スタニスラフスキー・システム」という演技理論を導入していて、非常にリアルな演技を追求していました。養成所は2年制で、1年目は基礎訓練ばっかりで台詞を一切言わないんですよ。「架空対象行動」といって、水を飲む動きとかを延々と練習させられました。他の研究生たちは芝居をやりたいもんだから、「なんだ、コレ?」と辞めていっちゃう。でも、僕はそれが楽しくてしかたなくて。

リアルな演技がしたくて悶々としていた

――そこから劇団京の劇団員に。

白畑 劇団員になったけど、訓練ではリアルさを求められていたのに、舞台では「いかにも舞台」な演技を求められるんですよ。自分はどうしてもリアルな演技がしたかったので、悶々としちゃって。

 そこで、市川崑監督のブレーンだった永妻晃さんが主宰する「イエローページ」という劇団に入りました。30歳くらいの時ですね。永妻さんが映画業界に顔の利く方だったので、いろいろと映画の端役をもらうようになっていきましたね。

 だけど、3、4年したら演技の解釈とかで他の劇団員となんだか合わないなと感じることも多くなって。それを永妻さんも気付いたのか、「白畑、自分でなんかやれ」と言われてユニットを組んだんです。知り合いが自由が丘でバーをやっていて、そこを舞台にした脚本を書いて、その店内で上演していました。

――それは面白そうですね。

白畑 2005年くらいに始めて、4年くらい続けたのかな。結構、評判は良かったんですよ。でも、他のメンバーが「バーの話じゃなくて、ちがう話をやりたい」とか「こんな役をやりたい」とか言い出すようになっちゃって(笑)。バーを舞台にしたシリーズで認知されたいと思って一生懸命やっていたのに、それぞれの欲が出てきた。で、ユニットを解散しました。

――以降、現在の事務所アルファセレクションに所属していらっしゃると。

白畑 入って、もう10年になりますね。単独でやっていくのも大変だし、仕事の枠も広げたいなとは思っていたんです。

 ユニットのメンバーと映画に出させていただいたりすると、僕が請求書を書いたり、他のメンバーが現場に行く時の手配もやったりしないといけなくて。そういう事務仕事みたいなものに、ヒーヒー言ってました。それで事務所を探していたら、アルファセレクションを知っている知人がいて。話を聞いたら「白畑に合うんじゃないか」と言われて、連絡してみたら「俳優は個人事業主だからともに目標に向かって社長同士の共同事業をしましょう」と。

――映画、テレビ、舞台はコロナの影響で、制作が思うように進まなかったりして大変だと聞いています。そうしたなか、コロナで困窮するスタッフや俳優、劇場を救うために企画された『シュシュシュの娘』(8月21日より全国順次公開中)に白畑さんも出演されています。相当に深刻な状況なのでしょうか?

白畑 マスクをしていても、本番になったら外さなきゃいけないですからね。役者も危険なところにいるなと感じますね。たとえば連ドラだったら、レギュラーで入っている役者さんはしょっちゅうPCR検査をやっているけど、そこへ撮影は1日だけというレギュラーじゃない役者さんが入ってきたら、どうしても危険度が上がってしまうわけですから。

 あと、デルタ株の影響もあるのか、制作される映画の本数が減った気がします。あくまで僕の実感ですけど。減ったというより、延期になってしまった企画が多いというのが正しいかもしれません。

 僕は自主映画にも出演したり制作に関わったりしているんですけど、そういった小さい作品は演技して終わりではなく、他のことも手伝わないといけない。そういうのもあって、現場が好きなんですよね。出るだけじゃなくて、現場にいるみたいな。そういう機会が少なくなるのは不安だし、悲しいですよね。

「なんかいるよね」と思われる役者になりたい

――「水曜日のダウンタウン」もコロナ対策はしっかりと。

白畑 徹底していますよ。スタッフも僕もきっちりPCR検査をやっていますし。あと、そもそも僕は「水曜日のダウンタウン」では一言も喋ったりしませんから。

――俳優として、大きな目標みたいなものってありますか?

白畑 ないですね(笑)。昔はありましたけど、そういうものは歳を取ると段々となくなっていきました。もちろん、自分の手で映画や舞台をやりたいとは思いますけど、それよりも名前なんか知られなくてもいいから「この人、なんかいるよね」とか「この人、よく見るよね」みたいに思われる役者になりたいですよね。まぁ、「人がいる」シリーズでは後部座席とかクローゼットにいるわけですけど(笑)。

写真=松本輝一/文藝春秋

(平田 裕介)

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