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「野球の厳しさを教えないと」2009年のWBC日韓戦でイチローが“普通はやらない”プレーを行った理由

文春オンライン / 2021年10月22日 6時0分

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©文藝春秋

 MLBで驚異的な成績を残し、野球の世界一決定戦WBCでもチームの中心選手として注目され続けたイチロー。2009年大会の決勝戦で、緊迫する試合展開の中、優勝を決める決定打を放った瞬間が記憶に焼き付いている野球ファンは多いだろう。しかし、彼が真骨頂を見せたのは、その直後のワンプレーだった……。

 ここでは、25年以上にわたって野球記者として活躍する小西慶三氏の著書『 イチロー実録 2001-2019 』(文藝春秋)の一部を抜粋。殊勲打を放った直後にイチローが見せた、韓国代表への思いを込めたワンプレーについて紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

もう一度、本気で世界一を奪いにいく

 イチローが怒っていた。

 2008年10月18日、彼の自宅でのインタビュー。テーマは、混迷を極めていた第2回WBC日本代表の監督選考だった。

「『最強のチームを作る』という一方で、『現役監督から選ぶのは難しい』では、本気で最強のチームを作ろうとしているとは思えない。矛盾した行為ですよ」

 WBCの価値は出場する者たちがつくっていくべきだ。そこで戦う日本代表も、選ばれることが名誉なものにしなければならない―。イチローの考えは2006年第1回大会参加から一貫していた。

「もう一度、本気で世界一を奪いにいく。WBC日本代表のユニホームを着ることが最高の栄誉である、とみんなが思える大会に自分たちで育てていく。シンプルなことなんですけどね」。その口調は、秋の穏やかな夕暮れには似つかわしくない熱っぽさだった。

五輪はアマチュアのもの、WBCはプロで戦うもの

 第1回大会は、“失点率”という特殊ルールに助けられての優勝だった。それがフロックでなかったと証明するという点でも、日本代表にとっての第2回大会は大きな意味を持っていた。しかも1回目と比べものにならないほど国内での注目度は高いというのに、結成前からなぜこうも難航するのか……。イチローの疑問といら立ちは、当時の日本の野球ファンとそう変わらなかっただろう。

 WBC日本代表監督選考会議は9月から数回招集され、10月半ば時点までには北京五輪で指揮を執った星野仙一氏の就任が既定路線となっていた。

「大切なのは足並みをそろえること。(惨敗の)北京の流れから(WBCを)リベンジの場ととらえている空気があるとしたら、チームが足並みをそろえることなんて不可能でしょう」

 星野監督が北京五輪準決勝での韓国戦に臨む前、「リベンジしますよ」と語っていたことで、このイチロー発言が“星野外し”を意図したものと一部では受け止められた。しかし以前から「五輪はアマチュアのもの、WBCはプロで戦うもの」と線引きしていた彼は、そんな狭い視野でこの問題を考えていなかった。

「誰が監督で、どんなメンバーで戦うかよりも、これからどうしていくべきなのか、そういう大きな視点を持って(選考会議に臨んで)いるかどうかが問題なんです」。日本野球で培ったプライドと、そこで育った者としての熱い想いが彼を突き動かしていた。

ユニホームを着る限りは、必ず何かを背負わなきゃいけない

 一連のコメントは大きな反響を呼んだ。「一選手が口を挟むことではない」との批判がわき起こる一方で、一部の北京五輪代表メンバーから支持が寄せられた。そして王貞治コミッショナー特別顧問が「(イチローの主張に)なるほどね、と思う」と理解を示したことで潮目が変わる。イチロー発言の3日後、星野氏が自身のHP上でWBC代表監督就任を引き受ける意思がないことを改めて表明。最終的には経験値の高さなどが買われ、2008年セ・リーグ優勝の巨人・原辰徳氏が代表監督に落ち着く。第2回大会は、日本代表が集まる前から何かと騒がしかった。

 自分の言葉が監督決定までの流れを変えたと思うか。もしそう感じたのなら、新たなプレッシャーが生まれたのではないか―。原・日本代表監督が決まってから約1カ月後にイチローに尋ねると、「そもそも(発言の前と後で日本国内の状況が)どうなっているのか僕は(詳しく)知らない。でも、あの(日本代表の)ユニホームを着る限りは、必ず何かを背負わなきゃいけないということです」と言った。

 3年前、劇的な初優勝を飾った時から、第2回大会は彼にとって避けられないものになっていた。第1回大会で斬新なリーダーぶりを発揮したイチローが、再び頼られるのは当然だろう。そして彼も、あの発言の前から退路を断つ覚悟だった。

「僕が機能しなくても勝てる可能性があるチームだと思っていた」

 2009年2月16日、宮崎で代表合宿が始まった。福留孝介、松坂大輔ら第1回大会に出場した顔ぶれに加え、新たにダルビッシュ有、岩隈久志らが加わった代表候補33名。連覇を期待してサンマリンスタジアム宮崎をぎっしり埋めた約4万人が、彼らの躍動に歓声を上げる。前回の合宿初日とは大きく違う注目度も、候補選手らの顔つきを引き締めていた。

「全員が最終的に同じチームでできない。そこが分かっているのですごく難しい」

 初練習後の囲み取材で、イチローは静かに話した。合宿後、メンバーが28人に絞られることを指してのコメントだ。前回は喉が嗄れるまで大声で盛り上げたり、円陣で檄を飛ばしていたイチローが、今回はあえて自分を抑えているように見えた。

「僕が機能しなくても勝てる可能性があるチームだと思っていた」

 半信半疑で一歩目を踏み出した前回大会とは異なり、今回は最初から連覇を目指そうという雰囲気が代表チームに漂っていた。

ほぼ折れかけていた心がさらに折れた

 合宿の中盤、全体練習のない2月19日。イチローは神戸にいた。前日の練習後に宮崎から伊丹空港へ飛ぶと、この日は昼前からスカイマークスタジアムの外野を走り、フリー打撃で気持ち良さそうに大きな当たりを連発した。雨模様の宮崎と対照的に、神戸は小春日和。

「雨の日にホテルで缶詰めになるのはストレスが溜まるでしょ?(この日の自主トレは)自分にはゴルフの打ちっぱなしみたいなもの。心のスイッチを切っているからストレスはかからない。僕にとってはこれが“休み”なんです」

 慣れ親しんだ神戸で、行きつけの焼肉屋と喫茶店でお腹と心を満たし、足裏マッサージを受けてから、最終便で宮崎へと舞い戻った。

 ここまでは、すべてが順調に見えた。

 東京ドームでの1次ラウンド。イチローの打撃内容は周囲を心配させるに十分だった。3月5日の中国戦では5打数ノーヒット。2日後の韓国戦で3安打したものの、その後も状態は上向かない。米ペトコ・パークに舞台を移した2次ラウンドでもキューバ戦、韓国戦と無安打で、2次ラウンド初ヒットは敗者復活のキューバ戦7回にようやく記録した。

「ほぼ折れかけていた心がさらに折れた。僕だけがキューバのユニホームを着ているように思えた」

 その直前の打席ではバントを失敗していただけに、安堵と悔しさの入り混じった顔だった。

「世紀の大誤審」が発生した前回大会の雪辱を果たすが…

 イチローは2006年の前回大会でも終盤まで調子が上がらなかった。これはピッチャーのリリースのタイミングが異なることが原因と推測できた。日本や韓国などアジア系投手が始動からリリースまで「1、2、の、3」とわずかにタメが入るのに対し、メジャー投手は「1、2、3」で投げ下ろしてくる。マリナーズ入団からすでに8年が経過し、すっかりメジャー流に慣れていたイチローが短期間で修正を施すのは簡単ではなかった。

 復調の兆しが見えたのは、ドジャースタジアムでの準決勝・米国戦だ。チームは9対4で快勝。ボブ・デービッドソン審判による「世紀の大誤審」が発生した前回大会の雪辱を果たしたが、イチローは素っ気ない口調だ。

「前回のストレスを発散した、そんな感じでいいんじゃないの」

 感情を表さず、何事もなかったように勝つことが相手にとって最も屈辱だと、イチローは敗者の心理を想像しながらコメントしていた。この試合でのヒットは1本だったが、打撃のフィーリングと普段の強気が戻りつつあった。

野球の厳しさを教えないといけないから

 韓国代表と、大会5度目の顔合わせとなった決勝戦。延長10回、2死二、三塁でイチローが放ったセンター前2点タイムリーは、大会前から彼が背負っていた重圧、ファンの杞憂、ライバル韓国の野望を吹き飛ばす一打となった。それまでの苦闘と、ラストチャンスで飛び出した鮮やかなライナーのコントラスト。ドラマのようなどんでん返しを演じたヒーローは、顔色ひとつ変えずに二塁上でたたずんでいた。

─殊勲打の直後、何を思ったのか。

「普段と変わらない自分でいること。それが僕の支え、ということです。これを崩してしまうと、今大会のようなタフな状況で自分を支えきれないと思っていた」

 だが、イチローの真骨頂は、2点タイムリー直後の三盗だった。

 呆然と立ち尽くす韓国代表ナインと、歓喜に沸く日本代表ベンチ。ドジャースタジアム全体が騒然となっていたとき、二塁走者イチローがスタートを切る。滑り込むことなく、やすやすと三塁を陥れた。

「2アウトだったから、普通は行かない。でも、あそこでは(韓国代表に)野球の厳しさを教えないといけないから」

 イチローの日米通算4367安打、708盗塁に数えられていないこのヒットと盗塁こそ、彼の意地と誇りを賭したプレーだったのではないか。

胃潰瘍で故障者リスト入り

 WBC連覇を果たし、マリナーズのキャンプに合流したイチロー。しかし、3月30日のブリュワーズとのオープン戦序盤に強いめまいを訴えて途中交代する。

 4月2日の精密検査で胃潰瘍が判明。彼はメジャー生活で最初で最後となる故障者リスト入りと入院生活を余儀なくされた。後にブリュワーズとの試合前の状態を「(胃潰瘍の出血による貧血で)周りの景色が金色がかって見えた」と振り返り、療養先の病院では点滴針を刺したままトイレで気絶したことを打ち明けた。

 実はこの年のはじめから、原因不明の倦怠感に襲われることが何度もあったという。イチローの神戸の友人たちからは、いつもの旺盛な食欲が見られなかったとも聞いていた。

─なぜ、異変を感じたときに検診を受けなかったのか。

「だって、検査で問題があったとしても、僕が(WBCに)出ない選択肢はなかったでしょう? それなら(病院に)行ってもしょうがない」

 イチローはくだけた笑いとともに言った。こうして2009年シーズンは波乱とともに幕を開けたのだった。

【続きを読む】 「なんだそりゃ、と思いますよ」MLBに挑戦する日本人プロ野球選手にイチローが抱く手厳しい“疑問”

「なんだそりゃ、と思いますよ」MLBに挑戦する日本人プロ野球選手にイチローが抱く手厳しい“疑問” へ続く

(小西 慶三/Sports Graphic Number)

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