1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「最新型をマスターしたい」46歳の挑戦者・米長邦雄は、弟子のアパートで教えを請うた

文春オンライン / 2021年10月22日 11時0分

写真

中川大輔八段

「100万円もってきて」将棋の渡辺明名人が、伊勢丹でファッション指南された20歳のころ から続く

 中川大輔八段へのインタビューの後編となる本稿では、入門の経緯から話を伺った。中川八段の師匠といえば、将棋連盟の会長も務めた米長邦雄永世棋聖である。

「誰が好きか?」「米長九段です」

――米長先生に弟子入りされた経緯から教えてください。

中川 私は宮城県の仙台市出身ですが、私のアマチュア時代の師匠に、プロになりたいので師匠をどうすればいいのか相談したんです。すると「自分が好きな棋士の弟子になるのが修業に身が入るだろう」と言われて、「誰が好きか?」と聞かれたので「米長九段です」と答えたら「わかった」と。その場で電話をされたんですよ。

――いきなり?(笑)

中川 そうですよ。そして、うちの道場に来ている子が弟子になりたいと言っているのでお願いできないでしょうかと伝えられたら「うちに来てください。将棋と人となりを見ますから」と言われまして。それで両親と先生のお宅に伺ったのが中学2年の夏でしたね。

――それで、米長先生のところで対局をしたんですか?

中川 当時、米長先生のところに先崎さん(学九段)と林葉さん(直子元女流棋士)が内弟子として住み込みで修業をしていたんです。このときはもう昭和の終わりですが、二人は将棋界の最後の内弟子でした。大正とか昭和の初期は、師匠のところに住み込みでいろんなことを吸収するのが当たり前の時代でしたが、お二人が最後でしたね。そしてこのお二人と対局をしました。

――対局はどうでした?

中川 林葉さんに勝って先崎さんに負けたんですが、負けた林葉さんが青くなって「どうしよう」って顔をしているんですよ。すごいがっかりしてるから、練習将棋とはいえ、プロを本気で目指す人は負けるとこんなに落ち込むんだと驚いたんですが、あとで事前に一言あったことを聞きましてね。

――どのような?

中川 「今度、仙台から中川ってのが来るので対局させるけど、負けたほうを家から叩き出して、中川を内弟子にするからな」って言ったらしいんですよ。林葉さんは、米長先生の話を本気にしていたんですね。

四畳半、風呂なしアパートで始まった一人暮らし

 こういった入門試験では、将棋の内容というよりも、盤の前に座っている姿勢を見ていたのではないかと、中川八段は語る。入門を許された後、奨励会試験に無事合格。中学を卒業すると、上京して一人暮らしを始めたという。

中川 一人暮らしを始めたのは、大塚の四畳半の風呂のないアパートでしたね。部屋には将棋の本と盤くらいしかありません。着るものなんて、奨励会に着ていく服と、そのへんを歩く服しかないですよ。

――食事は自炊ですか?

中川 そう。まだ15歳で、何もわからないままでしたが、これが当時のスタンダードだったんですよ。田舎にいる子は、中学を卒業すると一人で東京に住んで将棋の勉強するというのが普通だったんですよね。やることも、将棋会館行くか、仲間の家に行って練習将棋を指すか、一人で勉強するかしかない。ただ、東京には強いアマチュアの方もたくさんいますから、東京の人は恵まれているんですよ。だから田舎から出てきた人は、仲間意識がありましたよね。

――そして19歳のときにプロになられますが、これが今に通じる三段リーグの第1期でした。

中川 それまでは勝ち星昇段だったんですよ。13勝4敗か9連勝で四段に昇段。それがこの年からリーグ戦になって1着、2着が上がれるようになりました。お祝いには、米長先生からスーツをいただきましたね。お前たちにスーツを仕立てるから、生地を自分で選べって言われたのを覚えています。まだ19歳だったから、よくわからないまま選びましたね。

米長先生がアパートに…「最初、何の冗談かなと思いましたね」

 この四段になったばかりの中川八段にとって思い出深いのが、師匠の米長先生が、アパートまで教えを請いに来たというエピソードだという。

中川 米長先生が、第39期王将戦(1989-1990)において、46歳で挑戦者になったんですよ。当時は、南芳一王将でしたが20代の若くて強い王将でした。米長先生は、年齢的にも下り坂でしたが「タイトルを取る」という決意が強かった。それで当時、最新と言われる形が僕の得意戦法だったんですが、それをマスターしたいので教えてくれとうちのアパートに来られたんですよ。

――米長先生がアパートに(笑)。

中川 下落合にある小さなアパートでね。最初「こちらから伺います」と言ったんですよ。でも俺が教わるから俺から行くと言って。最初、何の冗談かなと思いましたね。

――それでアパートで盤を挟まれたわけですか。

中川 そう。これが最新の形ですとやったんですが、タイトル戦では私が言ったのと全然ちがう形で戦っているんですよ。つまり最新形を米長流にアレンジしてタイトルを取られたんですが、あのときの将棋は、今、並べてみても力強く、46歳でよくぞこういう将棋をという感じはしますよね。あのとき46歳で若手王将を撃破したというのは、米長先生の経歴だと目立たないことですけど、すごいことですよね。

藤井聡太三冠の人柄は、羽生さんとは違って……

――師匠と弟子の関係というのは、今と昔ではだいぶちがうものですか?

中川 昔のほうが、より肉親に近い感じがあったと思いますね。それこそ内弟子で生活を共にしていた時代は、親以上だったと思います。だから威厳もあって、とても逆らえないような存在でしたね。

――藤井聡太三冠と、師匠の杉本昌隆八段の師弟関係はどう映っておられますか?

中川 師匠にとって「目の中に入れても痛くない弟子」という感じがしますね(笑)。

――藤井聡太三冠については、どういった印象ですか?

中川 将棋ももちろん強いけど、なにより人に好かれるところが彼の大きな長所と感じます。女性のファンがたくさんいるっていうのも、なるほどなって思います。あの人柄は天性のものがありますね。

――若いときの羽生先生(善治九段)とはちがいますか?

中川 羽生さんは、十代の頃から明らかに只者じゃなかった。あの「切れるような」感じとはまたちがいますね。

――藤井三冠は?

中川 パッと見た感じは、どこにでもいる男の子。蓋を開けてみたらとんでもない天才ですが、見た感じは可愛らしい感じの男の子ですよね。

永瀬くんは光っていましたね

 19歳でプロデビューして、現在53歳の中川八段は、プロ生活30年以上の大ベテラン。数々の棋士とその卵を見てこられたわけだが、「プロになりそうな子」という観点からお話を聞いた。

――中川先生は、2003年から5年間、奨励会の幹事もされていましたが、奨励会の幹事とは、具体的にどういうお仕事なのでしょうか。

中川 月に2回対局があるので、その手合いをつける。そしてきちんと対局ができる環境づくり。あと地味ですが、教育をしていくというのも大事です。

――それは礼儀とかですか?

中川 それも含めて全部ですね。将棋会館に来るのと、学校に行くのとは全然ちがう。将棋はここから発信されていくけれど、名人や竜王だけでなく、君たちもその一員であることを忘れてはいけない――といったことを伝えるんです。ま、そうはいっても子どもです。目を離したらそのへんで転んで怪我をしているような子どももたくさんいる。だから、それをわかるまで何回も言い続けると、わかってくるんです。そうやって根気よく言い続けるのも大事な仕事ですね。

――いろんな子を見てこられて、プロになる子というのは、直感でわかるものですか?

中川 全部が全部、当たらないけど、これはすごいんじゃないかというのは、わかりますね。私が幹事をしていたときは、永瀬くん(拓矢王座)が小6くらいで入ってきましたけど、光っていましたね。やっぱり将棋盤に向かったときにオーラがある。ただそれを生かしきれない子もいれば、そのときがピークという子もいるんですよ。永瀬くんの場合は、それをちゃんと磨いてね。第一人者になりましたよね。

――永瀬王座には、今でも注目されていますか?

中川 そうですね。王座を防衛したけど、これからどういった将棋を指すのか。タイトルを持っているけど、当然、現状には満足していないでしょう。藤井聡太三冠に勝ってこそだと思うので、そこに向けてどう変わっていくのか注目していますね。

野球ファンだって必ずしも野球をやるわけじゃない

――ちなみに今の将棋界というのは、昔とやはりちがいますか?

中川 今の将棋界を取り巻く環境というのは、僕が若い頃と全然ちがいますよね。なかでも「観る将」というのは、新たなファン層です。おそらく「観る将」ということばはなくても、そういう人はいたかもしれませんが、以前は肩身が狭かったのではないですかね。

――将棋が強くないと、軽々に将棋を語ってはいけないというところはあったのかもしれませんね。

中川 強い人じゃないとダメという感じはありましたよね。でもよく考えたらそんなバカな話はなくてね、野球ファンだって必ずしも野球をやるわけじゃないからね。

――では、とてもいい方向に変わっていると。

中川 ようやく世間一般に追いついた感じですよね。これは本当にありがたいことでね。これまでは、本当に密室で将棋を指して「いい棋譜を世に出す」という使命はあれども、その過程が見られることはほとんどなかったんですよ。今は、その過程を見てもらって、なおかつそれを喜んでいただく。自分たちの存在意義を確認できるようになったことは、棋士にとってとても嬉しいことですよね。

今後、AIとどう付き合うか

 中川八段は、ファンから「解説面白かったです」と言われたりすることも、とても励みになると語る。将棋が中継され、その話題がいろいろな媒体で語られるようになった現在、棋士はいろんなところに活躍の場所を見出すことができるようになったのだろう。最後にこれからの目標についてお聞きした。

中川 まずはAIとの付き合い方をどうしようかと考えています。AIをうまく活用したほうが、技術向上にはいいと思うんですけど、振り回されて体を壊しても仕方ない。だったら今まで持っているもので勝負したほうがいいんじゃないかなとも思うんです。今は、このようにAIとどう付き合うか悩んでいる状況です。たぶん自分と同じような年代の人は、同じように考えていると思います。

――AIを使ったほうが強くなるという単純な問題ではないと。

中川 藤井聡太くんにとってのAIというのは、彼の強さの要素において本当に氷山の一角なんです。それくらい彼のもっている裾野は大きいんですよ。だから藤井くんと同じパソコンを買えば近づけるとか、そんな話ではなくてね。土台がちがうから、当たり前ですが同じパソコンで同じソフトを動かしても全然ちがう。だから今の私のテーマは、まずはAIですね。あとは、今は53歳なんですが、引退する一局まで元気一杯に指したいですね。ヘロヘロになって指すんじゃなくて、闘志満々でバチっといきたいですね。これが意外に大変なんですよ。

写真=平松一聖/文藝春秋

(岡部 敬史)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング