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「人肉冷麺を売っていた紳士的な知識人が逮捕された」食糧危機の北朝鮮に横行した“人肉殺人事件”《脱北者が証言》

文春オンライン / 2021年10月26日 6時0分

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北朝鮮の村 ©️getty

《コロナ禍の北朝鮮》脱北者が証言する実態「布団から南京虫がブワーッ」「誰も帰らぬ完全統制区域へ粛清も」 から続く

  1960年、在日コリアン2世の川崎栄子さん(79)は、 17歳の時 に“地上の楽園”という喧伝を信じ、1人で北朝鮮へと渡った。戦後の貧しい日本で生活していた在日コリアンにとって、「税金はなく、教育も医療も家も無料同然。居住地や学問も自由。民主主義や自由は全て守られている」という喧伝文句は希望の光だった。

 しかし、いざ北朝鮮へと渡ると、そこは「歴史が数百年遡った」かのような、楽園とは程遠い環境だったという。そんな中、川崎さんは現地で出会った夫との間にできた5人の子供を育てるなど、貧しいながらも必死に生きた。(全3回の2回目/ #1 、 #3 を読む)

帰国者仲間とこっそり歌った「演歌」

「監視の目が厳しかったのでいつ粛清されるか、常に不安でした。そんななか、帰国者の仲間が心の支えでした。8人ぐらいのグループで、夫であろうとなんだろうと、そこには地元の人は入れない。誰かの誕生日にはみんなで食事を持ち寄って、日本でいう町内会長に一部を“賄賂”としてあげるんです。大目に見てねというサインです。

 家の窓を全部毛布で覆って外から見えないようにして、日本の歌を歌ったり踊ったりしました。私は美空ひばりの『越後獅子の唄』が十八番でね。千葉大出身の医者の友達は、アルミニウムのお盆で日本舞踊を踊っていました。そういう息抜きがないと本当に生きていけなかった。グループの人たちは、ほとんどもう亡くなってしまっています」

北朝鮮を襲った深刻な食糧危機

 そうしてなんとか北朝鮮で根を張り生活基盤を確立していた1994年ごろ、北朝鮮は大飢饉ともいえる深刻な食糧危機に見舞われる。

「配給が完全にストップしてしまいました。それまでも食糧難はあったけど、金日成時代は、彼が中国にいって援助にこぎつけて、滞ることはあっても何とか配給自体は続けていました。しかし、金日成が死に、金正日はまったく国民に目を向けなかった。軍事費を少し減らせばいいだけなのにそれをしなかったんです。配給だけに頼っていた大勢の人が死にました。鉱山や炭鉱、工場の労働者たちが、ばたばた倒れていった」

「飢えた子供たちの目が忘れられません」

 当時、北朝鮮は2500万人ほどの人口を抱えていたが、ロイター通信によると、当時の餓死者は30〜300万人以上だと推計されている。しかし、現地で暮らしていた川崎さんは「そんなもんではない。5人に1人は亡くなっていたような感覚です。500万人は亡くなっているのではないか」と語る。

「バス停でバスを待っていると、飢えた子供たちがたくさんいるんです。20、30人とか。歩ける子がいれば、今にも死にそうで壁にもたれかかっていたり、地べたに横になっている子も……。見ていられなくてパンを買ってあげました。食べられないくらい弱っている子もいて、先に水を飲ませてあげました。そのときの子どもたちの目が忘れられない。

 食べ物のない親は、子供を生き残らせるために、家から追い出していたんです。家にいても食べていけないことは目に見えているので。でも、追い出された子どもたちはビニール袋を持っているんです。自分も極限状態なのに、親にあげるためにと、外で得た食糧を取り分けていました」

生きるため…「人肉」目的の殺人が横行 人肉冷麺販売も

 食糧配給が止まった北朝鮮では、スリや詐欺はもちろん、生きるための殺人・強盗などあらゆる犯罪が横行したという。なかでも衝撃的なのが「人肉」を得るための殺人だ。

「人が人を殺して、食べるような事件もありました。近所でも自分の家族を食べている人がいましたから。日本からの帰国者女性で現地で結婚した人が、姑と旦那に殺されて食べられたケースもありました。

 一番ショックだったのは、職場で党の副委員長をしていた、政治大学を出たとても紳士的な知識人の犯行です。その人が16人も殺して、その肉で母親が冷麺を作って売っていたんです。逮捕されて、この事件を知ったときは本当に驚きました。

 私の親しい大阪から北朝鮮に渡った友人は、弟からお金をもらって裕福な生活をしていましたが、お金を持っていたことが原因で一家まるごと殺されてしまいました」

「痩せこけた遺体にシラミが大群でうごめいていた」

 時折、表情を歪めながら川崎さんが語る、90年代の衝撃的な北朝鮮の実態。チフスやコレラなどの伝染病も流行ったという。

「国連の支援物資が届く2000年ごろまでは、病死や餓死した遺体が街中に放置されているような状態でした。道端で普通に人が亡くなっているんです。地方から食糧を求めて都市に向かう人が途中で力尽きてしまうんです」

 餓死した遺体は痩せこけてドロドロに汚れ、体以上にボロボロになった服のようなものをまとい、ぼうぼうに伸びた髪の毛は汗と埃にまみれて団子状になって、その上を白いシラミが大群でうごめいていたという。

「死体の処理に警察だけでは追いつかず、一般の人も加わっていました。娘婿もやっていて、5人分の死体の名前などが書かれた証明書を束になるくらい持っていました。

 治安維持をするための軍隊は強盗集団と化し、それぞれの家は鉄格子をつけるなどして対策していました。詐欺も横行していましたよ。松茸の輸出とかで投資を持ちかけられて、応じると持ち逃げされるといった感じでした」

脱北を決意「最後に日本に残った家族に会いたい」

 過酷な状況だったが、川崎さん一家は日本にいる家族からの仕送りにあった衣類などを闇市で売って生き延びた。同時期に5人の子供たちがそれぞれ結婚すると、次第に脱北する決意を固めていく。

「こんな時期なのに金正日は新たな官邸を建てていました。もうこの国を内部から変えるのは本当に無理なんだと思いました。こんな過酷な状況で精神がおかしくならない自分がおかしい気がしていました。

 脱北は北朝鮮に渡った当初から考えていましたが、家庭もあり子供たちの親として責務もある。でも子供たちが巣立ち、私も年を取りました。でも子供たちが巣立ち、私も年を取りました。最後に日本に残った家族にも会いたかった。ですが、脱北を手伝うブローカーのなかには、悪質な人身売買業者も紛れていました」

 川崎さんはいかにして脱北したのだろうか。

【 #3に続く 】

《コロナ鎖国で窮地の北朝鮮》「人身売買業者に捕まると中国の奥地の結婚できない男に売られる」命懸けの脱北で見た光景 へ続く

(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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