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「あんなすごいものを見せられて」松坂大輔のデビュー戦を実況した名物アナの人生が変わった理由

文春オンライン / 2021年11月6日 11時0分

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松坂大輔

 松坂大輔、引退。

「平成の怪物」と呼ばれ、数々のタイトルと栄冠を手にしてきた大投手が、2021年10月19日、マウンドに別れを告げた。引退登板から2週間以上が経った今もその余韻が覚めない。

 松坂が我々に、そして時代に与えた衝撃の大きさは途轍もない。

 1998年の甲子園での出来事は、例えば準々決勝・PL学園戦での延長17回250球完投も、その翌日にテーピングをはがしてマウンドに上がった姿も、決勝・京都成章戦でのノーヒットノーランも、どれもが衝撃的だった。

 1980年生まれの代は、今でも(ときに野球界を超えて)「松坂世代」と呼ばれる。時代のアイコンとして、その世代を常に引っ張り続けた松坂大輔が時代に与えた影響は果てしなく、23年の時を経てなおあの衝撃の大きさは人々の心に深く刻まれている。

 松坂大輔の影響を大きく受けた人が文化放送にもいる。斉藤一美アナウンサーだ。

 長らく文化放送スポーツの顔として活躍してきた斉藤アナ。歯切れのいい語調、緻密な野球観、動きを伝える正確な描写、空気感を伝える声色。とことんライオンズを偏愛し、ときに絶叫、号泣しながらの実況は文化放送ライオンズナイターの名物だった。

「しなやかな青き刃」、「投げる金剛力士像」、「セクシーショートストップ」。選手につける二つ名も、ラジオという想像の媒体ならでは。小気味よい実況の声と球場の歓声が織りなすハーモニーは、単なる野球実況の枠に収まらず、それ自体が芸術だった。

 実況アナウンサーとして唯一無二の絵を描いてきた斉藤アナだが、2017年シーズンからはスポーツの現場を離れ、現在は「斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI!」のメインキャスターとして活躍している。

 スポーツの現場を離れて5年。その斉藤一美アナが松坂引退登板試合の実況をすることになった。あの大舞台に実況として戻ってきたのだ。

 報道ワイドのメインを務めるアナウンサーが、なぜ、メットライフドームの実況席に座ることになったのか。いきさつを聞いた。

「僕から言いました。引退が新聞に出たところで、せめて試合後のセレモニーだけでも実況できないかなぁと思いついたんです。普通に考えたらSAKIDORIの放送が17時50分まであるから試合は無理。その時は引退登板があるかどうかも分からなかったし。でも試合後のセレモニーになら間に合うかなと」 

 斉藤アナは続ける。

「この5シーズン、実況はしていないけれど、彼のデビュー戦もそうだし、彼の日本にいる間の試合はまぁまぁ喋ってきた。彼がいることで懸命に自分の技術や野球観を磨いてきたという自負もある。過去にいろんな選手の引退セレモニーを喋ったのでノウハウは分かっている。喋れるし、僕には喋る資格があると思ったんです」

 面白いものに鼻が利く鈴木敏夫チーフプロデューサーが「じゃあSAKIDORIごとメットライフドームからやればいいよ」と即断で答え、セレモニーだけでなく試合開始から実況するように決めた。山田英俊スポーツ部長もGOを出した。斉藤アナの懇願に近い提案は、すんなり受け入れられた。

「このままでは松坂に負けてしまう」

 それほどの想いを抱く原点、それは1999年4月7日、松坂大輔プロデビュー戦にある。この試合の実況を担当したのが斉藤一美アナだった。

「デビュー戦の実況を担当したのは単に勤務がついていたから(笑)。当たったのはホントに偶然。そもそも松坂のデビューは開幕2戦目が予定されていた。それを東尾監督が開幕4戦目、4月7日の東京ドームに変えたんです」

 1999年、西武ドームに屋根がついた元年。開幕カードは土日の2連戦だった。開幕投手はエースの西口文也。その次、2戦目の日曜日に松坂をデビューさせることは堤義明オーナーの悲願だった。それを東尾監督が撥ねつけた。

 4戦目の方が相手投手の力が劣る。そして、マウンドの高い東京ドームの方が、松坂のような投げおろす速球派に向いている。すべては松坂にいいスタートを切らせたいという思いだった。

「開幕戦前日の公式練習の取材に行って、東尾さんが『松坂は4戦目』と明言した。ぞくぞくしましたよ。俺かぁ、ラッキーだなぁと。当日が来るまでずっと緊張していたのを覚えています」

 かくして、スポーツ実況3年目、ライオンズナイターの実況2年目の若武者・斉藤一美に松坂デビュー戦実況の大役が巡ってきたのである。

 1999年4月7日、東京ドームでの日本ハム対西武2回戦。斉藤アナは夢中で実況した。松坂のプロ第1球目、井出竜也への149キロストレート。片岡篤史へのあの155キロインハイのストレート。そして、胸元際どいボールに激高したフランクリンをマウンドの上で迎え撃とうとした姿勢。

 そのすべてに斉藤アナは魅了された。

「あんなすごいものを見せられて、本気でやらないと罰が当たると思った」。その時の心境を斉藤アナはこう語る。

「これから松坂大輔を何度も喋るかもしれないのに、今までのような野球への接し方では圧倒されて松坂に負けてしまう。野球というとてつもないコンテンツの荒波に飲まれて溺れてしまうな、と。このままでは、喋り手としても人間としてもダメになってしまう気がした。松坂デビュー戦を喋った経験を無にしてはいけない」

 松坂のデビュー戦は、斉藤一美のアナウンサー人生を大きく変えた。

「それまで『とんカツワイド』を4年間やったけれど、不本意な終わり方で。スタッフみんなが面白くしようとしてくれたのに、僕自身のレベルの低いプライドの高さ、『俺は俺であれ』みたいな。そっぽを向いていた時期があったんですよ。みんなと馴染もうとしなかった。なんで僕はそんな優秀なスタッフに背を向けたんだろうと悔いを持ちながら終えたんです。だから『とんカツワイド』が終わってスポーツに異動になっても、なるべく早く戻って冠ワイドを持つと思ってやっていました。スポーツの仕事は腰掛け。あくまでも仮住まいで一軒家は買っていない、そんな風に思っていたんです」

 それが、松坂のデビュー戦を目の当たりにし、仕事に対する姿勢を考えさせられた。

「もう頑張るしかないなと。本気を出して実況と向き合おう。ワイドを持つ目標は一旦封印して、野球をがっつり勉強しようと思ったんです」

 松坂の衝撃がもたらした心持の変化は、行動に現れる。

「取材をしっかりやって、人の話を聞いて、解説の話を日記に記した。そうすると『野球観ノート』ができた。山崎裕之さん、東尾修さん、西本聖さん……それぞれの解説者のページを見返せば次の中継に生かせる。そうすることで野球中継がうまく回り始めた。選手に直接話を聞くから、なんであの時あのプレーをしたのか、意味が分かるようになった。選手の考え方が分かるから実況にも深みが出る」

 さらに続ける。

「完全描写を是としてやってきたけれど、限られた時間の中に言葉を詰め込もうと思うと滑舌が良くなければならない。そのための練習方法も考えた。結果的にアナウンサーとしてのスキルが上がった。松坂大輔のデビュー戦を実況させてもらったことですべてが変わったんです。それまでが甘かった。本気を出したらこんなにやることがあるのかと」

 松坂の圧倒的な存在感に触れ、それを己の言葉で伝えたいと思った。伝えなければならないと思った。伝える技量を持ち、磨き続けなければいけないと思った。その後の斉藤一美は松坂大輔によって作られたと、本人も言い切る。まさしく人生が動いた瞬間だった。

 だから、その感謝を伝えるために、最後も喋りたいと思った。

乾坤一擲の5球勝負

 衝撃のデビューから23年の時を経て、2021年10月19日、引退登板。斉藤一美アナが5年ぶりにメットライフドーム実況席のマイクの前に座った。

「さぁ投球練習1球目。投げた。真ん中高めに浮いています。ストライクゾーンには入りません。不本意そうな表情です松坂大輔。それでもいいんだ! 我々は、この松坂の全力を見るために、見届けるためにこのメットライフドームに集まっています」

「松坂世代のトップランナー、ずっと時代を背負ってきました」

 そして、試合が始まる。球審、プレーのコール。

 球場は熱を持った静寂。松坂の一挙手一投足をその目に焼きつけようと、固唾を飲んで見つめる。

「松坂大輔引退試合が始まります」

 アナウンサー人生を変えた恩人の、野球選手として最後の舞台。感謝を込めた実況の声が球場中に轟いた。

「ワインドアップモーション、第1球を投げた高めボール! 118キロ、一日千秋待ち焦がれた118キロ」

「第2球を投げた、ストライク! 一心不乱なりふり構わぬ118キロ」

「一生懸命心を込めて投げた118キロ」

 その後、3ボール1ストライクになったところで、それぞれが我に返ったかのように球場から拍手が起きる。

 そして「左の近藤に第5球を投げた、インコース、ボールフォア。116キロ、大きく外れています」。フォアボール。一拍あけて沸き起こる松坂への拍手。

「野球と運命を共にした一蓮托生の116キロ、乾坤一擲の5球勝負が終わりました」

 内野手がマウンドに集まる。西口コーチがマウンドヘ向かう。

 松坂一塁側に挨拶。バックネットを通り、辻監督と握手。頭を下げる。笑顔。

「彗星のごとく現れ、日本中を熱狂に包み込んだ横浜高校3年の時から、西武、レッドソックス、メッツ、ソフトバンク、中日。しかし最後は西武で終わりました。合計23年間プラス1年間、24年間に及んだ栄光と苦しみの軌跡。きょうで確かにピリオドが打たれました」

「1999年4月7日、あの日本ハム戦でのMAXは155キロ。そして2021年10月19日、同じ日本ハム戦、MAXは118キロでした。確かに、確かに、22年半の月日は流れています」

 かつて「歳をとっても一番速い球を投げていたい」と語った松坂大輔の最後の登板。22年半という月日の重さを確かめるように、斉藤アナはこう締めた。

松坂が与えた影響と衝撃

 引退登板の実況を終えて数日後。心境を尋ねると、胸に手を当てながら、ゆっくりと語ってくれた。

「ずっと温かいものが流れているね。松坂クンが、重い『時代』とか、世代のトップランナーとしてすべてを背負ってきた。そういうものを下ろせてよかったなと。松坂クンがいて、ああいうすごい生き様を見せてくれたから、すごく力になった。彼はいい時だけじゃなくて悪い時も見せてくれた。人の生き様をしっかりと見せてもらったことへの尊敬の念っていうのかな……ん~言葉にするのは難しいけれど……」

 言葉にこだわり、伝えることにこだわってきた斉藤アナが、憚らずに「言葉にするのは難しい」と言う。そう言わしめたのは、22年半、デビュー戦の衝撃をずっと心に置き、あの日からずっと鍛錬と研鑽を重ねてきたからだろう。22年半、松坂の野球人生が鑑となって常に自分を成長させてきたからだろう。22年半の重みが、言葉を選ばせてくれなかったんだろう。

「松坂デビュー戦は今でも特別。そのあともいい試合をたくさん実況できたけど、でもそれは懸命に松坂クンきっかけで野球に向き合ったご褒美だと思うんです」

 たまたま引き当てた松坂デビュー戦の実況で人生が変わった。野球の神様がめぐり合わせた縁とは、なんと味わい深いものか。

 松坂大輔は引退した。すべてをさらけ出した5球を投じ、現役生活を終えた。ひとつの時代が終わった。

 しかし、松坂が斉藤アナを変えたように、松坂が与えた影響はこれからも続く。私たちはこれからもずっとあの衝撃を忘れないだろう。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム ペナントレース2021」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト https://bunshun.jp/articles/49594 でHITボタンを押してください。

(黒川 麻希)

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