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「子どもの偏差値が上がらない!」と悩む親がすべきたった1つのこと

文春オンライン / 2021年11月19日 6時0分

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©iStock.com

 中学受験の親に対するアドバイスは巷にあふれている。ぜんぶ聞いていたらイソップ童話の『ロバ売りの親子』になってしまう。取捨選択の視点として私が伝えたいのはただ一つ。情報過多時代の子育ての大原則は、「迷ったら引き算」だ。

「やらないよりはやったほうがいいかも」を積み重ねていったらきりがない。一方、子どもの時間も体力も有限だ。負荷が多すぎて子どもが潰れてしまうよりは、多少余裕があるくらいのほうが子どもはいきいきする。偏差値よりも子どもの目の輝きを見てほしい。その視点から私は『 なぜ中学受験するのか? 』を著した。

「そんなの理想論だ。現実は甘くない」という批判もあるだろう。しかし教育虐待の闇も取材してきた私に言わせれば、子どもをギリギリまで勉強させるチキンレースに参戦することほど愚かなことはないというのも、れっきとした現実なのだ。

 課題の量の話だけではない。個別指導塾にも通わせたほうがいいか、新しい問題集をやらせたほうがいいか、オプションの対策講座も受けたほうがいいか、受験雑誌に書かれていた漢字記憶法をやらせたほうがいいか……。迷うくらいなら、原則として「いらない」と判断すればいい。

 子どもの心身に余裕があれば、親が「いらない」と判断したものに対して、「いや、それはやるよ」と自分から言い出すかもしれない。だとしたらそれは存分にやらせていい。自分で選んだものは子どもだって一生懸命やれるし、だからこそ成果も出やすい。それをひとは「やる気」と呼ぶ。余裕がない状態にまで追い込んでいたら、やる気を出す暇もなくなる。

中学受験撤退を決めるときに親がしなければいけないこと

 中学受験に限ったことではない。巷には子育てに関する情報があふれている。“ベスト”を選ぼうと思うと、そのすべてを吟味しなければいけない。血眼になってネットを隈なく検索することになる。すると、目の前の子どもが見えなくなる。これが最悪だ。

 子どもの可能性を探るために、あれこれ試してみることは悪いことではない。しかし必ず子どもを見てほしい。目が輝いているか、体が躍動しているか、心が安らいでいるか。

 世の中のセオリーとは違っていても、子どもの目が輝いているのなら、それはその子にとって正しい選択だ。いろんな育児書や受験テクニック本に書かれていることでも、それをやらせることで子どもの目が死んでしまうなら、すぐにやめたほうがいい。正解がない時代の正解は、子どもの目を見て判断する。

 中学受験の日々のなかで、子どもの目が死んでいるようだったら要注意。どうしたら目に輝きが戻るのかを試行錯誤してみてほしい。ただしここでも、迷ったら引き算だ。

 目に輝きが戻ったら、それを維持することを第一に考えてほしい。目が輝いているのに、欲張ってさらに新しい何かを試す必要はない。「うまくいっていなければ何かを変えろ。うまくいっているなら変えるな」の原則どおりである。

 目が輝けばすぐに成績が上がるというわけではない。目は輝いたけれど成績は下がったということもあるかもしれない。それでも、長い目で見たら、目が輝くほうを選ぶべきだと私は思う。

 無理矢理縛りつけてでも勉強させれば目先の偏差値は上げられるかもしれないが、そんなことはずっとは続けられない。でも子どもの目が輝く方向をいっしょになって指し示し、そちらへ進む子どもを応援し続けることならできる。

 逆に、何をしても目が死んでいるなら、中学受験という選択がいまのその子には合っていない可能性が高い。それであれば勇気ある撤退も視野に含めるべきだ。

 ただしその場合でも、「中学受験よりももっと大事なものが見つかったから」のように、撤退の判断を前向きに意味づけるのが親の責任だ。「あなたのやる気がないから」「あなたにはまだ早かった」などと、子どもの落ち度に結びつけては絶対にいけない。それは深く長く子どもを傷つけることになるから。

「やる気」を引き出すために「待つ」のは間違い

 親が情報検索を怠ったために何か大切な選択肢を見落としてしまったのではないかと心配する必要もない。

 親が与えられなかった選択肢や教えられなかったことは、もしそれがその子にとって必要なことであれば、人生のどこかのタイミングで親以外の誰かが示してくれる。それがご縁だ。

 子どものご縁を親がコントロールしようなどと考えることがおこがましい。そもそも子育てなんて、親だけでできるものではない。社会全体の関わりが必要だ。すべてを自分の責任だと思わなくていい。親が責任を抱え込みすぎると、子育てはいびつになる。ご縁を待つのも親の大切な役目である。

 子育ての要諦は待つことだと聞いたことがあるひとも多いだろう。しかしそう言うと必ず「いつまで待てばいいんですか!?」という非難にも似た質問が飛んでくる。

 でも親のその心理状態は、子どもからしてみたら全然待ってくれていない。口で言っていないだけで、表情、態度、普段の会話の端々から、「いつになったら本気を出すの?」「早くやる気を出しなさい!」「時間がなくなっちゃうじゃない……」「早く、早く」という非言語的なメッセージが溢れ出してしまっているのである。

 子育てにおいて待つとは、「もう焦らない」と覚悟を決めることだ。たとえ待っている間に入試本番がやって来てしまっても、「それがこの子のスタイルなんだ」と腹をくくることだ。それがありのままを受け入れることでもある。

 やる気を引き出すために待つのではない。ありのままを認めれば子どもが自らやり始めるということでもない。そこを理解していないと、待てば待つほど不安になり、いずれ限界点を超え、「いつまで待ってもやらないじゃない!」と大爆発を起こすことになる。そこまで待ったことすら水の泡となる。

 隣の芝は青く見える。よそのうちの子どもを見て、「なぜあの子はあんなに自ら勉強するのだろう?」と羨ましく思うことがあるかもしれない。でもそういう子が必ずしもやる気にあふれているとも限らない。

 最低でも早慶以上の大学に入らないと生きていけないとか、いま勉強しておかないと大人になって惨めな思いをするなどと、小さいうちから散々脅されていれば、子どもは自ら勉強するかもしれない。でもそれは内発的動機としての「やる気」とは違う。恐怖から逃れる手段として勉強しているにすぎない。

 そのパターンがいちど身についてしまうと、恐怖が人生の動機になってしまう。いまの偏差値は高くても、将来的には負の遺産だ。

親が新しい問題集や受験テクニック本を買ってきたら要注意

 中学受験生の親にとって、待つことは、まるで荒行のようなもの。悟りの境地を目指すくらいの気持ちで取り組まないと難しい。でも子どもたちだって、日々自分と戦っているわけだから、親が先に音を上げるわけにはいかない。

 子どもが並々ならぬ努力を続けている。せめて頑張ったぶんだけの成果が出てほしいと望むのは当然だ。しかし中学受験では、みんながそれぞれに精一杯頑張っているので、自分だけ頭一つ抜けることも考えにくい。

 血のにじむようなわが子の努力が報われない場面に出くわすことほど親としてつらいことはない。そういうときに、待てなくなる。が、「ただでさえ良い結果が出ずに子どもが落ち込んでいるときに、親が新しい問題集や受験テクニック本を買ってきたら要注意」とは、旧知のプロ家庭教師・山本祐氏の弁。親が状況を変えようとして試みたことが子どもにとってはさらなる重荷になり、悪循環に陥ることがある。

 模試の結果が振るわず落ち込んでいる子どもに親がすべきことは、子どもの代わりにままならない状況を改善してやることではなく、落ち込んでいる気持ちに寄り添うこと。それだけでいい。たとえば「ケーキ買ってきたからいっしょに食べよう」と言えばそれだけで、親の気持ちは子どもに伝わる。その安心感の中でこそ、子どもの目の輝きは一段と強くなって復活する。

(おおた としまさ)

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