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眞子さんと小室圭さんの結婚で深まる“皇室不信”…“小室さん騒動”の核心とは《“皇族の誇り”が眞子さんには稀薄》

文春オンライン / 2021年11月19日 6時0分

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10月26日に婚姻届を提出し、記者会見に臨む小室圭さんと眞子さん ©JMPA

 秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんは、結婚後ついにニューヨークでの生活を始めました。ノンフィクション作家の保阪正康氏による「象徴天皇制の『聖』と『俗』」(「文藝春秋」2021年12月号)を特別に全文公開します。(全2回の1回目/ 後編 へ続く)

◆ ◆ ◆

小室さん騒動は「開かれた皇室」の宿命なのか

 先月26日に秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんとの結婚会見が行われ、最終的に眞子さまは小室眞子さんとして皇室を離れることになりました。

 9月に「ご結婚へ」と報道されて以来、この2カ月のあいだには、眞子さんの渡米や一時金の辞退、結婚に伴う儀式の中止、そして眞子さんが抱える複雑性PTSDのご病気公表など、次々と衝撃的な事実が報じられる中で二人は結婚を迎えました。

 ご結婚を祝福する声がある一方で、世間では批判の嵐が吹き荒れたことも事実です。街頭では「結婚反対」を掲げた100人規模のデモ行進が行われ、小室さんの母佳代さんが詐欺罪で刑事告発されました。どちらも一時のから騒ぎかもしれませんが、皇族のご結婚という慶事にもかかわらず、このような出来事が続けざまに起きるなど前代未聞のことです。

 今回の眞子さんのご結婚問題が皇室にもたらした影響は想像以上に大きく、このまま推移していくと天皇制の崩壊にも繋がりかねない――そんな危機感を私は抱くようになりました。

この4年、徐々に広がった国民的な皇室不信

 天皇家は少なくとも2000年以上の歴史を持ちます。近現代においても、「左翼陣営」が幾度となく「天皇制打倒」を掲げてきましたが、揺らぐことはありませんでした。しかし、それがたった一人、小室圭さんという青年が突如現れたことで、かつてない深刻な危機に瀕しているわけです。喩えるなら、蟻一匹が開けた穴によって巨大な堤が脆くも崩れ去るようなもので、私にとっては非常に大きな衝撃でした。

 何も今日、明日にも崩れるというわけではありません。しかし、「小室さん騒動」は過去をさかのぼっても類例のない、皇室史上初の事件でした。この4年、徐々に広がった国民的な皇室不信は、この先も繰り返し波のように押し寄せ、天皇家を揺るがすことになる懸念もあります。二人の結婚で一件落着とはならず、今回明らかになった皇室の脆弱性への対処を誤れば、5年後、10年後には、巨大な堤を決壊させかねない事件だと思います。

「皇族としての誇り」が眞子さんには稀薄

 私は昭和史研究が専門で、かつて秩父宮妃の勢津子さまにお話を伺ったり、上皇ご夫妻に面談の機会をいただいたりしたことがあります。そういった時に、はっきりと感じられた「皇族としての誇り」が眞子さんには稀薄な感じがします。これは無視できない変化ですから、今回の眞子さんの結婚問題がどのような意味を持つのか正確に見定め、改めて皇室の歴史の中に位置づけることで、総括する必要があると考えました。そうすることで小室さん騒動の核心を浮き彫りにし、国民と皇室の間に広がった不信の溝を少しでも埋めるための一助になればと思っています。

 近代の天皇制を振り返ると、それは「国家主義」から「国民主義」に変化する歴史だったと言えます。

 大日本帝国憲法では、天皇は「国の元首」と位置付けられていました。皇后となるお妃は、五摂家(近衛家、鷹司家、九条家、一条家、二条家)という鎌倉時代から続く公家の名門の家柄から選んでいたのですが、大正天皇のお后だった貞明皇后は、長男である昭和天皇の妻には薩摩藩主島津家の血筋を引く良子女王(後の香淳皇后)を迎え、次男秩父宮の妻には会津藩最後の藩主松平容保の孫娘を、三男高松宮の妻には徳川慶喜の孫娘を迎えています。そして四男三笠宮の妻となった百合子妃殿下は、明治以降に華族となった高木家のご令嬢でした。

 つまり貞明皇后は、薩摩、会津、徳川、華族と明治維新で分裂した国内勢力の融和を図ろうとした。それまでの皇室の習わしに囚われず、国内情勢を察知し、近代国家のリーダーを期待された親王にふさわしい相手を選んだわけで、「国家のための皇室」を演出する政治感覚のある方だったのだと思います。

お相手には一定の「ハードル」があった

 終戦を機に制定された日本国憲法によって、天皇は「国民の象徴」になりました。戦後の日本人は、昭和天皇の姿に最後まで国家の君主の面影を見たことになりますが、「国民のための天皇家」への変貌に大きく弾みをつけたのは上皇と美智子さまのご結婚でした。日清製粉社長のご令嬢という名家の出身だったとはいえ、旧華族でなく紛れもない庶民出身。世間が新しい皇室を歓迎したのは、国家の頂点にあった皇室が国民の側に近づいたと実感したからでした。

 続く秋篠宮も今上天皇もまた旧皇族・華族とは関係のない紀子さま、雅子さまと自由恋愛の末に結ばれ、皇族の結婚は限りなく一般市民の感覚に近づいていきます。これは皇室の国民主義化というよりも、むしろさらに進んだ「市民主義化」と呼ぶにふさわしい状況でしたが、お相手には一定の「ハードル」はありました。

 お妃となる女性の家柄や学歴などを重視し、両陛下が納得した相手を迎える。そうした家格を重んじる伝統は皇室に残り続けていました。現に紀子さまは皇族が通う学習院の出身で、父親は上皇ご夫妻や天皇とも交流のあった学習院大学の教授でした。雅子さまもハーバード大経済学部から東大法学部へ進まれ、時の外務事務次官の娘であり、ご本人も外務省を経て皇室入りされています。階層差別、学歴偏重主義と思われるかもしれませんが、「市民主義化」していく皇室の結婚に一定の品位と権威を持たせるための知恵でもあったと私は理解しています。

もはや皇室の市民化というレベルではない

 では、こうした皇室の歴史に照らして、今回の眞子さんの結婚がどうして危機と言えるのか。

 私が最も驚いたのは、2012年のICUの交換留学説明会で、お二人が前後の席に座ったことで親しくなり、交際に発展したという経緯でした。1年後には、わずか22歳の若さで小室さんは眞子さんにプロポーズしている。皇室の敷居を軽々と飛び越えて、結婚を申し出る小室さんの大胆さに衝撃を受けると同時に、それに応じた眞子さんにも驚きました。

 これまでの皇族の結婚とは明らかに異質なものです。むしろ、それは一般家庭の子弟の結婚と近い。小室さんに敷居を飛び越えられてしまった後、母佳代さんの金銭トラブルが発覚しても、皇室や宮内庁は何ら手を打つことができず後の祭りでした。

 最近報じられた眞子さんの渡米、一時金の辞退、儀式の中止という前例なき俗事の騒動の顛末を目の当たりにして、もはや皇室の市民化というレベルではなく、「大衆化」と呼ばざるを得ない状況にまで来ていると痛感しました。皇室と国民の隔たりがほとんど感じられなくなってしまったのです。

皇室から「聖」なるものが失われていく過程

 今から60年前に始まった「開かれた皇室」の運命にこのような現実が待ち受けていたことに愕然とすると同時に、正直なところこのような運命は必然だったのだろうかと思ってしまう節があります。国民主義から市民主義へと一度舵を切ったが最後、もはや後戻りはできず、これから先、皇室は際限なく大衆化の道を突き進むのではないかと危惧しています。

 この大衆化の過程は、皇室から「聖」なるものが失われていく過程と表現することもできます。というのも眞子さんの結婚は、天皇家が「俗」の世界に絡め取られる過程として理解できるからです。

( 後編 へ続く)

小室さんに見透かされ皇室へ強い姿勢を取らせた秋篠宮さまの“混乱した心中”《父の言葉が説得力を持たない理由》 へ続く

(保阪 正康/文藝春秋 2021年12月号)

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