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「あの世で子どもをしばいてやる」出刃包丁で児童8人を次々と殺害…死刑が確定した“夫”と30代女性が獄中結婚した理由

文春オンライン / 2021年11月22日 17時0分

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写真はイメージ ©iStock.com

「文藝春秋」12月号より、ノンフィクションライターの小野一光氏による「なぜ死刑囚・宅間守の妻になったか」を公開します。(全3回の1回目/ #2 、 #3 へ続く)

◆ ◆ ◆

 これまで数多くの殺人犯との面会を繰り返してきた。

 そのなかには、やがて死刑が確定したことで、面会や手紙のやり取りが叶わなくなった相手も少なくない。死刑囚の「心情の安定」との理由で、死刑確定後は弁護士や親族以外の、面会や文通といった接見交通権が制限されてしまうからだ。

 つまり親族との関係が断絶した死刑囚は、ほとんど面会や手紙のやり取りができないことを意味する。

 私が会ったなかでは、2017年に神奈川県座間市で9人を殺害した白石隆浩死刑囚(面会時は被告)が、刑の確定後の生活について、意識的な発言を繰り返していた。

 逮捕後に殺到するメディアに対し、彼は取材の条件として謝礼の支払いを求めていたが、それは死刑確定後に自由に使える現金を確保しておくためだった。

 両親や妹といった親族との関係が断絶していた彼は、死刑確定後の孤独な収容生活に備えて、菓子類や生活用品などを購入する費用を、自分で稼ぎ出そうと考えていたのだ。

「誰かいい人を見つけられたらと思って」

 ちなみに禁錮や懲役囚とは異なり、死刑囚の身柄は、刑の確定後も刑務所ではなく拘置所に置かれる。拘置所内において、死刑執行まで未決拘禁者と同じく、必要な物品を購入することができるのである。

 私は、白石と計11回の面会を行ったが、6回目の面会時に彼との面会記事を掲載した雑誌を読んだ白石は、こう切り出した。

「持ち込み企画なんですけど、僕の“獄中結婚相手募集”って(記事を)出してもらえないですかねえ。誰かいい人を見つけられたらと思って」

 聞けば、白石には以前から手紙を送ってきたり、差し入れをしてくれる女性が数人いたという。しかし、とある女性週刊誌が、彼の女性観を明かした面会記事を出したところ、連絡が途絶えたというのだ。

 私が「獄中結婚は、(死刑)確定後を考えてのこと?」と尋ねると、白石は「そうですね。死刑が確定すると、家族以外の誰にも会えなくなるじゃないですか。それなら誰かと結婚しといたほうがいいかなって」と胸の内を明かした。

 現時点で白石が獄中結婚をしたとの話は聞こえてこないが、死刑囚との獄中結婚や養子縁組という話を耳にすることは少なくない。

同年代の女性と獄中結婚した宅間守

 そこで調査を始めた私がまず注目したのが、01年に大阪府池田市で、児童殺傷事件を起こした宅間守元死刑囚だった。当時の新聞は次のように伝えている。

〈児童8人が犠牲になった大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の乱入殺傷事件で、大阪地裁の死刑判決が確定した宅間守死刑囚(40)=大阪拘置所在監=が今月上旬、支援者の中年女性と獄中結婚していたことが分かった。この女性から「宅間死刑囚を精神的に支えたい」と結婚を申し込んだという。

 関係者によると、女性は宅間死刑囚と同じ年代。刑事裁判の公判中に弁護団を通じて何度も、励ましの手紙を寄せたり、菓子類などを差し入れていたという。女性は「(宅間死刑囚の)精神的な弱さに同情し、支えになりたい」などと、宅間死刑囚が控訴を取り下げた9月下旬、弁護団を通じて結婚の意思を伝えていた。その後、自身の写真とともに婚姻届を宅間死刑囚に渡してもらったという。

出刃包丁を持って児童8人を殺害

 女性からの結婚の申し込みに対し、宅間死刑囚は「執行されるまでは人間らしくありたい。理解者となら面会もしたい」などとして受け入れたという。死刑囚の妻は通常、拘置所の許可を受ければ面会できる〉(『毎日新聞』2003年12月27日 大阪朝刊より)

 なお、同日付の『読売新聞』大阪夕刊の記事では、結婚の時期は12月の〈中旬〉となっており、結婚相手については、〈支援者の三十歳代の女性〉とある(筆者注*実際の入籍は12月12日)。

 01年6月8日に大阪教育大付属池田小学校に出刃包丁を持って侵入した宅間守は、教室に押し入ると児童や教職員を次々と刺し、児童8人を殺害し、児童と教職員15人に重軽傷を負わせた。

死刑確定後わずか9カ月の“結婚”

 その後の裁判では、反省の気持ちを口にすることはなく、「あの世で子どもをしばいてやる」、「死ぬことはまったくびびっていません」、「幼稚園ならもっと殺せた……」などと、挑発的な発言を続けていた。

 宅間には大阪地裁で死刑判決が下され、03年9月26日には自ら控訴を取り下げて死刑が確定。彼は、刑事訴訟法第475条2項にある「(死刑執行の命令につき)判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない」との法律をもとに、刑の早期執行を訴え、約1年後の04年9月14日に、異例の早さで死刑が執行された。

 死刑が確定したのち、わずか9カ月間の“結婚”はいかなるものだったのか。相手女性(A子さんとする)は、なぜ「支えになりたい」と考えたのだろうか。

「30代で、心の美しい方」

 まず裁判で宅間の弁護人を務めた戸谷茂樹弁護士のもとを訪ねた。

「入籍前からA子さんは弁護人である私を通じて手紙や差し入れを続けていました。当時30代で、心の美しい方との印象が強い。死刑囚の救援活動を続けてきたようで、(精神的に)荒み切っていた宅間さんの魂を救いたいと話していました」

 親族ではない限り、死刑確定後の宅間と面会できない事情をA子さんはよく理解していた。彼女が入籍の意思を伝えてきたのは刑が確定する少し前のことだった。

「当初、私は(結婚を)考え直すよう説得しました。彼が死刑になることは間違いない状況でしたからね。そうしたら彼女から(03年)9月18日にメールが届いて、そこには次のように書かれていました。〈先生からは、入籍については固く反対の言葉を頂きました。それはそれで、初対面とはいえ、私の将来について、先生の真心からの御考慮を頂いた上での御言葉であったものと受け止め、私は本心から、それを有り難く感じております〉、と」

A子さんにも迷いがないわけではなかった

 それでもA子さんの気持ちは変わらなかった。

「そこで彼女は続けて、〈しかし、死ぬ為に生きるような生活を余儀なくされている今の彼からの想いに、私自身が応えずにやり過ごしてしまっては、私はきっと一生涯、自分自身の慈悲のなさに悔やみ嘆き続ける結果になってしまいそうな気がする。…その気持ちだけで頭がいっぱいなのです〉と、宅間さんを迷える羊のように考えて、なんとか救いたいのだということでした。そういう部分に、彼女自身の日頃の信念が裏打ちされている思いがしました」

 とはいえ、A子さんにも迷いがないわけではなかったようだ。戸谷弁護士は明かす。

「ただしA子さんはこうも綴っています。〈乗り越えなければならない壁は、両親への説得や、また、今の職場や私生活に及ぶ障害についてなど、考えればキリがないほどで、「私は今、どのような形で何を彼に伝えれば良いのか」「私は、どういう言葉を彼に投げかけることが出来るのか」…と、頭の中の整理が、なかなかつきません。しかし、慎重に言葉を選んで、何としても彼にお返事を書きたく私は望んでいます〉」

「結婚を望む女性がいる」ことに宅間は喜んだ

 A子さんの職業について戸谷弁護士は、「なにかお仕事をされているとは思いましたが、それ以上は詮索しませんでした」と語る。

 A子さんの両親は宅間との獄中結婚について猛反対だった。そこで彼女は、実家に迷惑をかけないために、まず同じ死刑廃止活動をしている仲間との養子縁組を行って苗字を変えた上で、結婚する道を選んだ。

「結婚を望む女性がいると宅間さんに伝えると喜んでいました。宅間さん自身が苗字の変わることを承諾し、結婚の意思を示したため、A子さんが書いた婚姻届の用紙を、私が宅間さんに差し入れた。そこに彼が署名し、婚姻が成立したのです」

( #2 に続く)

「離婚するなら殺す。カッターで顔を」死刑囚“4度の結婚歴”と妻A子さんの焦燥…宅間守は「A子と話が出来んのよ」 へ続く

(小野 一光/文藝春秋 2021年12月号)

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