1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

「本当は信じていないのに入信する人も…」川村元気が新興宗教を取材して驚いた“信仰の世界”

文春オンライン / 2021年11月28日 11時0分

写真

川村元気さん

『告白』『悪人』『モテキ』『君の名は。』など、数多くの映画を企画・プロデュースしてきた川村元気氏は、小説家としても読者の心を揺さぶる作品を世に送り出し続けている。そんな川村氏が2年半ぶりとなる長編小説『 神曲 』(新潮社)を刊行した。

『世界から猫が消えたなら』『億男』『四月になれば彼女は』『百花』に続く、5作目となる本作のテーマは「宗教」だ。執筆に当たって、100人以上の宗教の信者・元信者へ取材を重ねたという川村氏。なぜ今、この物語を描こうと思ったのか。その真意と執筆の裏側について話を聞いた。(全2回の1回目。 後編に続く )

◆ ◆ ◆

――新作『神曲』で宗教をテーマに選んだ理由は何でしょうか?

川村 最近、目に見えないものに対する世の中の依存度が増していると感じるんです。宗教だけじゃなくて、占いとかパワースポット巡りとか……。インターネットを使えば一瞬で世界中のことがわかる時代になっているのに、逆に目に見えないものに対する人間の興味は強くなっている。

 この小説を書いている間に新型コロナウイルスが流行し始めたのですが、ウイルスもまた目に見えないもの。それに人間がこうも揺さぶられているのを見て、これはテーマになりうると思いました。

――なぜ人は「目に見えないもの」にここまで左右されてしまうのか、と。

川村 ニュースを見ていて、なんでこの人がこんな怪しげな人やものに騙されるんだろうと思うことがありますよね。でも、宗教に限らず、別の視点でいうと、例えばブラック企業の悪い経営者に洗脳されている社員もいるのかもしれない。はたから見ると「なんでそんな会社にいるの? 早く辞めなよ」と思う。でも、そこで働いていると、「ここを辞めたら私は何者でもなくなってしまう」と本気で思い込まされてしまう。それは典型的なカルトのやり口と同じです。

 ただ、そうやって人を洗脳する会社や教祖のことは想像できるんです。彼らは悪意をもって、営利目的でやっているので。僕はむしろ「そこから抜けられない人」の方に興味があったんです。

「不信」が日常を侵食している

――作中でも、会社と宗教の共通点について語られるシーンがありましたね。

川村 矛盾することを言うようですが、今は「不信」の時代だと思うんです。宗教を信仰する人は減っていると思いますが、何も信じない人と何かを信じ切る人に極端に分かれている気がしていて。ふだん「不信」ベースで生きているからこそ、いったん何かにハマると極端に信じ込んでしまうのかもしれないです。

 これは何も宗教の話だけではなくて、インターネットには誰かを攻撃する「不信」の言葉が溢れている。「不信」が日常を侵食しているんです。では、友人や家族すら信じられなくなった時代に信じられるものって何だろう。そう考えると、「信」「不信」というテーマは今多くの人が「当事者」になるテーマだと思いました。

信じていないのに「入信」する人たち

――執筆に当たって多くの方に取材をされたそうですが、その中で印象的だったエピソードや言葉はありますか?

川村 今回は100人以上の宗教の信者や元信者の方に取材しました。登場人物のモデルになった人は何人かいるんですが、その中でも、親が信者だったために、自分も生まれた時からその宗教の信者として育った「2世」と言われる人たちの話は強烈でした。親の反対を振り切って、新興宗教から抜けることはできたけど、その分、何かを信じる力を取り戻すのに苦しんでいる。結婚しても、家族にどう向き合えばいいのかわからないと。

『神曲』のなかに登場する「好きっていう気持ちは、信じることに近い」というセリフは、実際にある人から言われた言葉をベースとしています。愛するということは、その人を信じて「エイッ!」と飛び込むこと。だから、信じられないということは、愛することもできないということなんだと。

 あと驚いたのは、本当は信じていないのに、新興宗教に入信していた人が多かったことです。僕は最初この小説『神曲』を、新興宗教にハマってしまった妻と娘を取り戻すために宗教と戦う男の話にしようと思っていたんです。ところが、取材してみたら、そうした状況ではかなりの方が諦めて一緒に入信していた。家族と一緒にいるために、信じていないのに入信するんです。

 さらに興味深いのは、意外とそういう人の方がその組織の中で出世するということです。これは国家や会社でも同じかもしれない。ある種の客観性を持っている方がいいのでしょう。ただ、そうした人に話を聞くと、信じているかわからない宗教の中で出世するということに、ずっと葛藤していたとおっしゃっていました。

小説と映画の違いとは?

――川村さんご自身の体験が反映された部分はありますか?

川村 親族に熱心なクリスチャンがいたんです。一方で、何も信じない親族もいて。だから、なんであそこまでピュアに何かを信じられるんだろうという気持ちと、なんでこの人はこんなに疑り深いんだろうという気持ちと、親族に対して相反する思いを持っていました。これは大なり小なりどこの家族にも当てはまるのではないかと思うのですが、今回は、その葛藤を解決したくて書いたという側面もあります。

川村 小説のいいところって、読者が自分でも気づいていなかった感情を、物語を通じて引っ張り出せることだと思うんです。映画は作り手のペースで「見せられる」ものなので観客は受け身なんですが、小説は能動的に読まなければいけない。だから、他人の物語を読んでいるようで、実は自分の罪や問題、欲望みたいな、普段目を背けているものがつまびらかになっていくのが小説のおもしろいところだと思っています。

――今作はある意味で個人的な小説でもある、と。

川村 今回、この作品を読んだ百を超える書店員の方々から熱烈な反響をいただいたんですけど、それが本の感想というより、ほぼ皆さん自分の身の上話を書いているんですよ。僕はかなり特殊な話を書いたつもりだったんですけど、予想以上に皆さん、自分の人生と重なる部分が多いと思って読まれたようです。

――読者が「自分の物語」だと思って読んだ、ということでしょうか?

川村 僕は「これはあなたの物語」というコピーがすごく嫌いで。作品自体に罪はなくて、そういうコピーをつけた人が悪いんですけど。でも、読んだり観たりする前から「あなたの物語」なんて押しつけないでほしい。「いや、それは僕の物語じゃないです」って思っちゃうので。

 でも、読んでいく中で結果的に「この物語や登場人物は自分と重なるな」と思う瞬間があるなら、それは最高だと思います。物語に触れるという行為は、自分の最も嫌いな感情や嫌な体験みたいな、そういう記憶との対話になってほしいと思っているんです。そういう黒いモヤモヤは放置しているとだんだん大きくなって、最後には自分を飲み込んでしまうので、そうなる前にちゃんと向き合ったほうがいい。それが人間にとっての物語の意味だと思うんです。きちんと光を当てれば、「なんだこんなものか」と思えるものですから。

 僕自身も、一歩間違えば闇に飲み込まれかねないということは自覚しながら小説を書いています。書くという行為は、ジャングルの奥地に1人で入っていくようなもので、だいたいこの辺に自分の怖いものがあるんだなってわかるんです。「なんでこんなつらいことをやっているんだろう?」と思うこともありますけど。

なぜ「動物」は信じられるのか

――そんな川村さんがいま信じたいものはありますか? 

川村 この小説を書き終えて、身近なものを信じる気持ちは強まりました。ただ見えないものへの不信が更に高まってしまって(笑)。そのせいか今は人間より動物に関心があります。動物ならば信じることができる。最近周囲でも猫を飼う人がとても増えていて。みんな人間が信じられなくて、動物のそばにいるんじゃないかなと。

 今、人類はスマホを使って、歴史上最も言葉を頻繁に交わしている。それなのに、コミュニケーションの密度や信用度は落ちている。むしろ言葉のない動物とのコミュニケーションのほうが、情報量が多くて豊かな交流ができている気がする。でも、それは果たして本当なのだろうかということを、次は書いてみたいですね。

――別に犬は笑っているわけじゃないのに、人間は犬を見て笑顔になる……。

川村 動物から人間への恋愛感情はないと生物学的には言われています。でも、人間はそこを勝手に解釈するというか、都合よく誤解しているのかもしれない。なぜ言葉を持たない動物が豊かな気持ちや体験を与えてくれるのか。こんなに小説的な題材はないと思って、取材を始めています。

( 後編に続く )

撮影=末永裕樹/文藝春秋

「3歳の頃から浴びるように読んでいました」川村元気のストーリーテリングを形作った“意外な一冊” へ続く

(杉本 健太郎)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

ミッション中・・・

10秒滞在

記事を最後まで読む

ミッション中・・・

10秒滞在

記事を最後まで読む

10秒滞在

記事を最後まで読む

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください