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「3歳の頃から浴びるように読んでいました」川村元気のストーリーテリングを形作った“意外な一冊”

文春オンライン / 2021年11月28日 11時0分

写真

川村元気さん

「本当は信じていないのに入信する人も…」川村元気が新興宗教を取材して驚いた“信仰の世界” から続く

『告白』『悪人』『モテキ』『君の名は。』など、数多くの映画を企画・プロデュースしてきた川村元気氏は、小説家としても読者の心を揺さぶる作品を世に送り出し続けている。そんな川村氏が2年半ぶりとなる長編小説『 神曲 』(新潮社)を刊行した。

『世界から猫が消えたなら』『億男』『四月になれば彼女は』『百花』に続く、5作目となる本作のテーマは「宗教」だ。執筆に当たって、100人以上の宗教の信者・元信者へ取材を重ねたという川村氏。なぜ今、この物語を描こうと思ったのか。その真意と執筆の裏側について話を聞いた。(全2回の2回目。 前編から続く )

◆ ◆ ◆

――川村さん自身は、宗教や信仰に対してどのようなスタンスなのでしょうか?

川村 この小説を書く前から、個人的興味で5年くらい、さまざまな宗教のことを取材していました。でも、その果てに、自分は本当に何も信じてないんだなというところに行きついてしまって。もともと、日本人の多くは強烈な信仰を持っていないと思うんですが、それにしても自分は神的なものを何も信じられないんだと愕然としました。

 今回は「信じること」をテーマに小説を書こうと思っていたんですけど、新型コロナウイルスの流行中に「不信」が一気に広がっていきました。疑心暗鬼という言葉がありますけど、今の日本にぴったりの言葉だなと。それもあってか、蓋を開けたら、「信じられない」ということを書くことによって、逆説的に何かを強烈に信じることを書いていました。

――川村さんの小説は、『世界から猫が消えたなら』で猫、『四月になれば彼女は』で恋愛、『百花』で記憶など、何かが消えていくことを一貫して書いている印象があります。

川村 僕は不在をもって「在る」ということを書く癖があるのだと思います。加えて、僕の作品の一貫したテーマは「幸福論」です。人間は何をもって幸せだと感じるのか。今回で言えば、簡単には「何も信じない」というのは理知的であるとも言える。まずは調べて疑って考えよと。そういう人は、何かを強烈に信じる人を馬鹿にすることも多い。でも、そうやって何でも疑って「俺は騙されないぞ」と自分を守っている人たちが、あまり幸せそうに見えないんですよね。

 信じきることは危険だし、かといって何も信じないでいることも緩やかな地獄に向かっていく道であると。そこの最適解を探っていく作業を物語でやれないかなと思ってこの小説を書きました。

ダンテの地獄めぐりみたいな行程

――そうしたテーマを描くのに、今回は章ごとに父親、母親、娘と、それぞれ視点を変えていますね。

川村 信仰には危なっかしさと神々しさの両面がありますが、一体どちらが正解なんだろうと悩む気持ちを3人の家族の視点から書くというのは、事前に決めていました。1人の視点で書くとどうしても偏るし、2人の視点だと対立構造になってしまうから3人にしようと。宗教を信じている人、信じられない人、信じるか信じないかで揺れている人を、家族という最小の単位で書くのが今回の試みでした。ただこれはめちゃくちゃしんどかったです。1章ごとに全く違う信仰の人間として、文体も変えていましたから。おかげで小説を3本分書いたような疲労感がありました。

 ただ、そういうダンテの地獄めぐりみたいな行程を経て、なんとなく自分を知っていった部分もあって。やっぱり作家自身が、書いていく過程で「ああ! こうなんだ!」という気づきがあることがすごく大事だと思うんです。

 映画脚本の場合は、家を建てるときのように全体の設計図があって、最後はこうなるとみんなで決めてから作るんです。一方で小説は、霧のかかった山を1人で登るみたいな作業なので、作家自身が自分でもわからないまま書いていないと面白くないと思うんです。自分にはこんな気持ちがあったんだとか、思ってもみない文章が書けてしまったとか、キャラクターが勝手に喋りだしたみたいな瞬間が重要で。

 今回の作品も、ラストシーンは当初想定していたものとは全く違う展開になったので、「ああ、自分は本当はこっち側を信じたかったんだな」と驚きました。でも、それが面白かったし、それで良かったと思っています。

天気雨のような複雑さこそ「美しい」

――この作品を通して、川村さん自身のスタンスも変わったということでしょうか?

川村 うーん、どうなんですかね……。ただ、今回、写真家の川内倫子さんの作品を表紙に使わせていただいたんですけど、ラストシーンがまさにその写真のイメージだったんです。雷雲の中に光が隠れている感じで、明快な希望とはいえないけれど、後ろに光を感じるという。もともと、僕はピーカンより「天気雨」が好きなんです。晴れだけど雨が降ってる複雑な感じというか。

 天気雨のような複雑さを、理屈抜きに綺麗だなと思うんです。何かと白黒はっきりつけようとすると戦うしかなくなる。『神曲』を書き終えて、白でも黒でもない、まだらの複雑さの中にこそ、人間の良さや美しさがあると思うようになりました。物語を書くとどうしても白黒はっきりさせたくなってくるんですけど、やっぱりその欲望には抗っていかないといけなくて。僕自身が、何を信じたらいいのか、揺れながら書いていたから結論も変わったんだと思います。

「聖書のストーリーテリング」が染みついている

――さきほど、ご親族が熱心なクリスチャンだったと伺いましたが、そのことで苦労したことや良かったことはありますか?

川村 小さい頃からいろんなことを強制されたのは嫌でした。だけど、結果的にありがたかったのは、徹底的に聖書を読まされたことです。僕の文体が翻訳文体なのは聖書の影響なんです。3歳の頃から旧約聖書と新約聖書を、読み聞かせを含めて毎日浴びるように読んでいましたから。

――それでも川村さんがクリスチャンにならなかったのはなぜでしょうか?

川村 たとえ幼児洗礼を受けても、教会に行かなくなる人はいます。でも、聖書は完全に体に染み付いているので、僕のストーリーテリングの基本は聖書です。僕の小説が海外でも出版され読まれているのは、聖書のベースがあるおかげだと思っています。聖書のコンテキストが根本にあるので、海外の方と通じる部分があるのかなと。韓国のドラマや映画が世界的にヒットしているのも同じ理由で、根っこにキリスト教があるからだと思ったりもします。

 僕の作る作品は、良くも悪くも聖書のストーリーテリングから逃れられない。聖書に出てくる人間って本当に面白いんですよ。のっけのアダムとイブから既に面白い。「これだけはやってはいけない」と神から言われたことを信じられなくなって、人間はことごとく過ちを犯す。今回の作品にも林檎が登場しますけど、気づかないうちにそういうモチーフがすっと入ってきちゃうんです。

『世界から猫が消えたなら』は創世記がコンセプトでした。神が7日間かけて世界を作ったのを逆回転させて、余命わずかな男が命と引換えに7日間かけて世界からものを消していく。そうした聖書のストーリーテリングが体の芯にまで染みついているというのは、今となっては仕事に役立っているので感謝しています。

 ずっと、なぜ聖書は物語形式なんだろうと疑問に思ってたんです。でも、この小説を書いてみて、物語自体がそもそも「信」「不信」を語るのに一番適しているし、「信」「不信」を語ると自然と物語になってしまうんだなと気づきました。

 あと、僕が音楽にとらわれているのも聖歌の影響でしょうね。音楽というものは理屈抜きで感動したり、ぞっとしたり、不安になったりする。僕の場合、小さい頃に聴いた聖歌への感動が原体験になっています。映画の半分は音でできているなんて言われることもありますし。それ故に危うさもあるわけですが。

再発見した“小説の強み”

――目に見えないものが人を理屈抜きで動かす、と。

川村 前は小説を書きながら、「なんでここで音楽流せないんだろう?」ともどかしく思っていたんです。「このシーンではこの音楽がかかる」というのが自分の中であったとして、映画ならすぐ流せるのに、なんで小説ではできないのかと。

 でも、今回は違って。『神曲』の中で登場人物の人生を変えてしまう、ものすごく感動的な音楽が登場するんですけど、これが映画だったとしたら、実際にそうした音楽を作るのは困難です。でも、小説なら緻密に文章で描ければ、読者の中で音楽が流れてくれる。これは小説だから書けたものですね。だから今回、改めて小説というものの強みを再発見しました。

撮影=末永裕樹/文藝春秋

(杉本 健太郎)

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