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高田馬場駅から30秒、立ち食いそばの老舗でサヨナラの一杯を…創業46年「吉田屋そば店」女将が語る“閉店までの日々”

文春オンライン / 2022年5月24日 11時0分

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JR山手線高田馬場駅のホームから早稲田通りを覗く

 昭和の立ち食いそば屋の名店がまた暖簾を下すことになった。高田馬場の駅前そば屋「吉田屋そば店」である。ピンとこない方は「幸寿司」の看板がかかる立ち食いそば屋といえばすぐわかるだろう。

高田馬場駅改札から30秒で入れる店

 自分も1984年頃に最初に訪れてから、高田馬場に来るときはいつも食べていた懐かしい店である。久しぶりに訪問することにした。

 JR山手線高田馬場駅で下車して、ホームの隙間から早稲田通りを覗くと、いつものように小さく「幸寿司」の看板が目に入る。改札を出て信号が青なら30秒で入店できる大変便利な立地である。

 看板には「幸寿司」とあるが、その下にはそばうどんの暖簾がかかる不思議な店。それが「吉田屋そば店」である。

1976年創業、二毛作の立ち食いそば屋として人気

「吉田屋そば店」が創業したのは1976(昭和51)年。今年で46年になるという。「BIG BOX高田馬場ができたのが1974(昭和49)年でしょ。開業当時、高田馬場駅前はすごい活気があったのよ」と語るのは店主の草野彩華(旧姓・吉田)さん(73歳)。この日はご主人が応援に駆け付けていた(詳細は後ほど)。

「吉田屋そば店」は、草野さんの父が1947(昭和22)年に創業した「幸寿司」の二毛作として誕生した店である。マスコミでも二毛作の店としてずいぶん登場して、草野さんは知る人ぞ知る存在であった。実は店のある場所は草野さんの実家で、1歳からこの地で生活していたという。

「ランドセルを背負ってここから学校に行ってたの。すごいでしょ。小学校から帰ってきたら寿司屋を手伝って、お客さんにもずいぶんと可愛がられたのよ」と懐かしそうに当時を振り返る。

 早稲田大学の学生達や専門学校生達に加え、1964年に東西線が開通し、山手線や西武新宿線と乗り換える通勤客が激増した。

「店前を朝早くから大勢が通過するのを見ていた父が、朝昼は立ち食いそば屋をやるのがいいのではとの提案があって開業した」という。草野さんがまだ28歳のことである。

両親に少しでも楽をさせてあげたくてそば屋をはじめた

 当時は街中に立ち食いそば屋がどんどん誕生していた頃で、高田馬場にもそんな波が押し寄せていた。そこで、知り合いの紹介で四ツ谷駅の麹町口を出てすぐのところにあった立ち食いそば屋に修業に行き、あっという間に開業したそうだ。

「とにかく、両親に少しでも楽をさせてあげたい一心でそば屋を始めたのよ。その頃には弟も父の幸寿司を手伝うようになってたのよ」と草野さん。

 開業当時の勢いはすごくて、とにかく学生やサラリーマン達が入れ替わり立ち替わり入店した。多い時は1日800人以上の利用者があったという。

「人波がすごく多くて、しかもみんな時間がないからチャチャッと作ってすぐ提供できて、すぐ食べ終えられるスタイルを提供するしかなかった」と草野さん。

 そこで、天ぷらは横浜の仕出し屋から仕入れ、そばは大手の製麺所の茹で麺を使った。つゆだけは自家製で、宗田節と鰹節の厚削りで出汁をとり、ザラメと醤油を併せて作っていたという。

「お客さんのリクエストに応えていくうちに、つゆがどんどん濃くなって現在に至っている」と草野さん。

「天ぷらそば」は、なつかしい昭和の味

 久しぶりに「天ぷらそば」470円をいただいた。つゆは赤く奇麗な紫色で確かに濃い目だ。つゆをひとくち。出汁の香りがぐんと伝わってくる。そばとの相性もなかなかよい。そして、このコロモの多めの天ぷらもなつかしい。横浜駅すぐにある立ち食いそば屋「鈴一」がかつて仕入れていたのと同じ天ぷらだと思う。何となく味の構成が似ている。本当になつかしい味である。

楽しかったのはお客さんに会えること

 草野さんに店を続けてきて「楽しかったこと」を訊いてみた。草野さんはお客さんに対応することがとにかく好きだったそうだ。お客さんの顔をみると自然と笑顔になれるという。さすが寿司屋の娘である。

「お客さんとのやりとり、ちょっとした会話が楽しくてたまらなくて、今日はどんなお客さんが来るかなあとわくわくしていた」という。

「ある時店にいたら、俳優の赤井英和さんが横断歩道の向こう側にいらっしゃることに気が付いて、そしたらそのまま店に入って来て、びっくりしちゃったこともあったのよ」と草野さん。赤井英和さんは立ち食いそばの大ファンだそうである。

「あと毎日来るような常連さんが調子悪い時はすぐ分かるの。早く帰って寝なさいといってあげるの」

 それと今はもう1つ楽しいことがあるという。

 それは何十年ぶりに当時の常連だった学生さんやサラリーマンが立派な大人になって、顔を出してくれることだという。最近もそんな昔の常連さんが来てくれたという。

「女将、まだ立ち食いそば屋やってんのか! 久しぶりだねえ、とかいうのよ。失礼でしょ。でも何となく時間を共有できているみたいな気がしてステキなの。みんながんばって生きてきたんだなって」

辛かったことは、バブル崩壊とバイク事故

 草野さんに「辛かったこと」も訊いてみた。店の所有地はバブル時には相当転売の圧力があったそうだが、それにも耐えて続けてきたのに、その後のバブル崩壊で近隣の住人がいなくなったことだと草野さんはしみじみいう。

 あと、数年前に北海道で大型バイクに乗車中事故に遭い、ドクターヘリで搬送されて、九死に一生を得たことだという。

「仕事も好きだったけど、バイクもすごく好きで、30歳過ぎに大型免許を取ってツーリングにもずいぶんいったのよ。でも事故は辛かった。もう免許は返納したの」と少し寂しげな草野さん。事故は本当に大変で、今も後遺症があるという。

吉田屋そば店は7月末に閉店する

 そして、今「もっとも辛いこと」は7月末で店を閉店することだと切り出した。西武線に面した一角で営業している店は4軒のみ。店ヨコの坂道は新宿区戸塚特別出張所に行く人がいなければ閑散としている。8月以降にすべて取り壊され、本格的な再開発を待つことになるという。なんとも悲しい話である。

「再開発とはいえ、自分が生まれ育ったこの土地を去らないとならないこと、大好きな店をやめないとならないことはすごく辛い。この土地が自分の心の故郷だったの。でもこればっかりはしょうがないから。高齢だからどこか代替地で店をやるということは無理だろうし。まあこれでやり切ったということかな。でも、いざ閉店となるとノイローゼになっちゃいそうで何だか怖いのよ」と気丈に振る舞う草野さんはすごく寂しそうな顔を見せた。

だから最後くらいはパッと盛大に

 草野さんは江戸っ子気質。くよくよしてはいられない。「閉店の7月末まで、吉田屋そば店で食べてきた人、そうじゃない人もみんな来てほしいのよ。お別れの挨拶をしたいな。今まで生きてきたんだから」

 46年間3坪の店の厨房から、草野さんはずっと早稲田通りの人波を眺めてきた。学生運動の騒乱も宴会帰りの早大生も、行商売りのおばちゃん達も、常連との挨拶も、草野さんの記憶にイキイキと残っている。草野さんが大好きなそば屋の仕事を終えるまで応援していこうと思う次第である。また、6月13日からはご主人も一緒に、閉店までがんばるとのことである。

草野さんのご主人も大衆そば屋を二毛作で経営

 ところで、草野さんのご主人は大井町の東小路で「彩彩」という大衆そば屋を経営している。その店も、昼はそば屋、夜は居酒屋の二毛作である。夫婦で別の立ち食いそば屋を経営していて、いずれも二毛作というのは人類77億人でたぶん唯一の夫婦だと勝手に認定している。2人はとても仲睦まじい。実は「吉田屋そば店」訪問の前日、「彩彩」に伺い、閉店の話を知ったというのがこの取材のきっかけだった。

 7月末の閉店まで、大勢の応援を受けて2人でどうか走り抜けて欲しいと願っている。

「いざ、高田馬場、吉田屋そば店へ急げ」

INFORMATION

吉田屋そば店
住所:東京都新宿区高田馬場2-19-6
営業時間:月~金・土 6:30~13:30
定休日:日祝(閉店までは営業することもあり)

(坂崎 仁紀)

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