「100人余りを海外に売り飛ばした」なぜ49歳の女は“婦女誘拐”に手をかけたのか…黒幕の男が企てていた“恐るべき計画”
文春オンライン / 2024年9月23日 11時0分
1990年撮影。多くの「からゆきさん」が渡った地のひとつであるマレーシア・サンダカンの日本人墓地 ©時事通信社
「からゆき」とは元々、日本から海外への出稼ぎ者全体を指す、九州の一部で使われた言葉。それがいつからか、東南アジアなどの現地で娼婦として働いた女性の総称として定着した。その大半は、貧しい生活の中で親たちから売られた女性だったといわれる。密航も含め、船で海を渡った「からゆき」の総数は不明だが、数十万人とする研究者もいる。そのために各地で日本人に対する悪評が立ち、「国辱」と憤激した日本人もいた。一体、彼女たちはどのようにして海を渡ったのか。故郷をはるか離れた異郷の地で、何を目にしたのか――。
文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。文語体の記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。(全4回の1本目/ つづき を読む)
◆ ◆ ◆
「毒婦」「婦女誘拐の常習者」の出現
〈毒婦横田りつ捕は(わ)る 婦人百餘(余)名を海外に賣(売)飛す〉
1913(大正2)年7月27日発行28日付報知新聞夕刊は社会面にこんな見出しを立て、次のように報じた。
「海外に誘拐され、醜業を営んでいる婦人は百余人」「手段は実に悪質で…」
〈 東京府下中渋谷16(現・東京都渋谷区)、横田勝蔵の妻・りつ(49)は27日、大阪・中之島公園において曽根崎警察署の手で捕縛*された。事件の内容は極めて秘密に付されているので詳細を知ることはできないが、聞き調べたところによれば、同人はイギリス領インド・ラングーン13街*、鳥羽嘉野(49)と気脈を通じて、大仕掛けな婦女誘拐を企て、その手にかかって海外に誘拐され、泣く泣く醜業を営んでいる婦人は百余人に上る。
先頃、鳥羽がさらに数十人の婦女を誘拐・渡航させる目的で帰国し、京阪地方を徘徊しているところを警視庁に捕らえられ、厳しい取り調べの結果、犯行が判明。りつが鳥羽の命令を受けて京阪地方に出発したことを自供したため、警視庁から曽根崎署にりつの捕縛を依頼した。彼らの婦女誘拐の手段は実に悪質で、今回も京阪地方で既にその悪の手にかかった者は数十人いるという(大阪)。〉
*捕縛=とらえてしばりあげること
*イギリス領インド・ラングーン=現在のミャンマーの首都ヤンゴン
「京阪地方」とあるが、続報も含めた文脈からは、鳥羽が徘徊していたのは「京浜地方」か「東京地方」と考えられる。
年号が明治から大正に代わって1年が経とうとしている頃。人々の間には、新しい時代への期待と不安が交錯していた。報知は28日付朝刊でも「鳥羽は婦女誘拐が本業なり 毒婦の良人(夫)と語る」が見出しの続報を載せた。
〈 府下中渋谷町、横田勝蔵の妻・りつ(49)が鳥羽嘉蔵(49)という者と共謀して大仕掛けな婦女誘拐を企て、大阪に立ち回ったところで捕縛された事件について、中渋谷の自宅を訪問したところ、勝蔵は同町字羽根沢351、神田軍紀方に同居し始めていた。しょんぼりして、訪れた記者にこう語った。
「自分もりつも徳島県生まれ。元々農商務省(現在の農水省と経産省)の養蚕技師を務め、さる(明治)40(1907)年中、清国(中国)雲南省に招かれ、5年契約で渡ったが、一昨年の大動乱以来、給料さえも支払われなかったため、いったん帰国。昨年中イギリス領ラングーンにおもむいて養蚕技師をしていたが、マラリアにかかってしばらく病床にあった間に今回の問題を起こした鳥羽嘉蔵*と懇意になった」〉
*鳥羽の名前が「嘉野」から「嘉蔵」に代わっているが、いきさつからみて「嘉蔵」が正しいと思われる。
「一昨年の大動乱」とは、孫文の指導で挙兵し、清王朝を倒した共和革命「辛亥革命」のこと。孫文はこの年(1913)、革命の一時挫折で日本に亡命し、連日新聞紙面で動きが報じられていた。勝蔵の話は続く。
困窮しているりつの様子を見て、鳥羽は“婦女誘拐”を持ちだした
〈「当時鳥羽は墺太利*で真珠採取をして相当資産があると言っていた。さる2月中に、東京に行くと言いだしたので、自分は病気のため数カ月間、りつに音信を伝えていなかったため、鳥羽の帰国を幸い、伝言を依頼した。そこで初めて(鳥羽)嘉蔵とりつは面会。当時りつは(夫である)自分からの送金がなく、非常に苦境に陥っていた。
年頃の男女3人の子どもを抱えて困窮している様子を見て、鳥羽は婦女誘拐の相談を持ち出し、1人についていくらかの謝礼を出すからと誘われ、女心のあさはかにも、その甘言に乗せられてついに恐ろしい犯罪を犯すに至ったのだと思われる。自分は先月帰国したが、りつは家におらず心配していたが、曽根崎署に身柄を押さえられたと聞いて、実に意外で驚いているところだ」〉
*墺太利はオーストリアのことだが、濠太剌利(オーストラリア)の誤りだろう。
当時、真珠採取と「からゆき」は日本人海外進出の“尖兵(せんぺい)”といわれた。続報は最後にこう書く。
〈 さらに取材すると、鳥羽はラングーンにいた時、真珠採取業と言っていたのは真っ赤なうそで、実はイギリス領インド地方を中心に、婦女誘拐を本業とする恐るべき悪漢。同人の手で誘拐されて悲惨な運命に落ちた者はおびただしく、今回東京に来たのも、さらにその魔の手を伸ばして数百人の婦女を誘拐し去ろうとする大規模な計画を抱いたためだった。たまたま勝蔵の妻・りつが苦境にあったのを見て、徳島生まれなのを利用して関西から四国地方の誘拐に当たらせようとした。とりあえず、(鳥羽は)りつを大阪に出発させた後で取り押さえられ、りつもまた大阪で捕縛されるに至ったという。〉
ビルマに住む日本人は男性より女性の方がはるかに多かった
当時のビルマ(現ミャンマー)事情について、築地本願寺などで知られる建築家・伊東忠太は1902(明治35)年に旅行でラングーンを訪れた際のことを「日本人両3名(2~3人)、他に数十名の醜業婦がゐ(い)るそうである」と、驚いたように記している(「緬甸(ビルマ)旅行茶話」=『伊東忠太建築文献第5巻』(1936―1937年)所収=)。
根本敬「ビルマ(ミャンマー)」=吉川利治編『近現代史のなかの日本と東南アジア』(1992年)所収=によれば、ビルマが1886(明治19)年にイギリス領インド帝国に併合された後の人口調査で、居住日本人は常に女性が男性をはるかに上回っていた。「男女の数の著しい不均衡は、この時期までにビルマのいくつかの都市で『からゆきさん』が働いていたことを物語っている」と同書。
事件の前々年の1911(明治44)年は男性310人、女性356人で一見不均衡が是正されたように見えるが、地方別にみると「『からゆきさん』は減るどころか、逆に増えたことが分かる」「1910年前後という時期は、ビルマで『からゆきさん』が数百人規模で活動した時だったと推測できる」と同書は言う。鳥羽嘉蔵と横田りつはそうした状況の中で動いていたのだろう。
実はこの事件を報じたのは報知だけで、他紙には全く記事が見られない。資料も見当たらず、「毒婦」と書かれた横田りつや、「婦女誘拐の常習犯」とされた鳥羽嘉蔵がその後どうなったのか、つかむ手立てはない。ただ、この事件は珍しいものではなかった。10日後の国民新聞には、次のような記事が出ている。
「戦慄すべき一大怪事件が発生」
〈 少女卅(30)餘名誘拐 驚くべき大仕掛の密航周旋
静岡県伊豆半島は昔から海賊が立ち回り、太平洋を通過する大型船を襲って物資を掠奪していたが、ここに戦慄すべき一大怪事件が発生した。同地に散在する密航周旋者の一団は元船員の某外国人と共謀して、巧みに地方良家の婦女子を誘拐。家人には巨額の金銭を与えて、甘言をもって納得させ、相当の年限を定めて30人余を集めて海外に売りさばく計画だった。汽船「金華山丸」ほか約600トンの汽船と気脈を通じ、2隻が伊豆沖を通過する際、5隻のはしけに少女を分乗させ、深夜に乗じて汽船に漕ぎ着け、首尾よく乗船させたのはさる6月上旬のことだった。
30余人の犠牲者を乗せた2汽船はかくしていよいよアメリカ大陸に近づいたが、取り調べが厳重なアメリカ官憲を恐れてことさらにアメリカには上陸しなかった。7月上旬、(カナダ)バンクーバーに到着。深夜、少女らを上陸させる手はずだったが、ついにカナダ移民官に発見され、30余人の少女らはことごとく同港駐在の日本の代理領事に引き渡された。代理領事は政府に打電すると同時に、神奈川県警察部に通告。来たる30日、バンクーバー出航の「エンプレス・オブ・ジャパン」号で送還することに決定した。横浜水上署は両船の来着を待って捜査活動を開始する。〉
神奈川県警察部(当時)や横浜水上署が登場するのは、2隻の出港地だったためだろう。女性たちは東南アジアだけでなくアメリカ大陸にも向かっていた。
〈 「女たちが男を取り囲んでむしゃぶりつき…」“密航婦”を隠すため男女12人が船底にすし詰めに…むごすぎる“窒息死事件”が発覚するまで 〉へ続く
(小池 新)
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