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“田舎の貧しい少女”をだまして誘拐→海外で売春させ…「国辱」といわれた“日本人女性密航事件”のおぞましい手口

文春オンライン / 2024年9月23日 11時0分

“田舎の貧しい少女”をだまして誘拐→海外で売春させ…「国辱」といわれた“日本人女性密航事件”のおぞましい手口

「からゆきさん」を「国辱的」とした社説も登場した(福岡日日新聞)

〈 「女たちが男を取り囲んでむしゃぶりつき…」“密航婦”を隠すため男女12人が船底にすし詰めに…むごすぎる“窒息死事件”が発覚するまで 〉から続く

「からゆき」とは元々、日本から海外への出稼ぎ者全体を指す、九州の一部で使われた言葉。それがいつからか、東南アジアなどの現地で娼婦として働いた女性の総称として定着した。その大半は、貧しい生活の中で親たちから売られた女性たちだったといわれる。一体、彼女たちはどのようにして海を渡ったのか。故郷をはるか離れた異郷の地で、何を目にしたのか――。

 文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。文語体の記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。(全4回の3回目/ はじめ から読む)

◆ ◆ ◆

 女性たちの海外への連れ出しはどのように行われたのか。森崎和江『からゆきさん』と金一勉『日本女性哀史 遊女・女郎・からゆき・慰安婦の系譜』(1980年)などからまとめてみる。

 ここで説明しておかなければならないのは村岡伊平治という男のことだ。長崎生まれでシンガポール、マニラ、中国などを舞台に女衒や娼館経営、開発事業を展開した人物。『村岡伊平治自伝』(1960年)では、“人身売買団の親玉”として女性を連れ出し、海外へ渡航させ、売春をさせた手口を奔放に語っている。その半生は舞台劇や映画にもなり、彼の証言に依拠した研究も多い。

 だが近年、彼の話の信憑性に疑問が深まり、いまは研究の対象とみなされていない。ただ、他に資料は乏しく、手口について彼の発言を全面的に排除することはほぼ不可能だろう。その認識のうえで、考えうる“基本的な手口”を紹介する。

狙われたのは田舎に住む無知で貧しい少女

1.  誘拐・密航が専業の女衒(ぜげん)はほぼ全員がヤクザで元船員や「前科者」が多かったようだ。一見紳士ふうに装っているのが特徴。他の口入れ屋や誘拐・密航仲介を専門にする人間と結託していた

2. 主な手口は、田舎回りをして無知な少女を選び、外国での「女中奉公」を持ちかける。女学生や資産家の娘は避ける。貧しい家の子がいいのは、後でだまされたと分かっても、家の事情を考えて泣く泣く受け入れるからだった

3.  誘った娘を自分の家で遊ばせておき、10人か20人になると船に乗せた

4. 各地の口入屋(「桂庵」とも言った)に依頼したり、それと結託したりして娘を集める。口入屋は「下請け」の遊び人や元「酌婦」に徘徊させて、街中で子守りや女中らをつかまえ「もっとうまい仕事口がある」とささやかせた

5. 売春を拒否した娘には「自分の妾(めかけ)にする」と言って連れて行き、そういう娘が何人かそろったら、門司などに連れて行き、「いままでかけた金を返せ」と迫って渡航させた

6. 協力者に出航する港の近くで夜中に放火させ、どさくさ紛れに娘たちを乗船させることも

7. 日本の「醜業婦」が問題になると、出港前の警察の監視が厳しくなったが、どこの国の船でも船員、場合によっては事務長らにわたりをつけ、警察の監視の眼をくらませた

8. 渡航後、売春を拒む娘には「かけた金を返せ」と脅して言うことを聞かせるのが常套手段だった。中には最後まで拒否して、女衒も手を焼き、口止めされて帰国した娘もいた

 上海、香港、シンガポールなどにはその世界で名を知られた女衒のボスがいたという。相当に組織化された犯罪ネットワークができていたことが分かる。

世界各地に日本人女性が働く娼館が…

 密航も含めた女性の海外渡航は後を絶たず、各地には次々、日本人が男を相手にする娼館ができた。「からゆきの地域は、東は太平洋を越えてハワイ、アメリカ本土へ。北はウラジオストク、シベリア(ロシア)、満洲(中国東北部)、朝鮮へ。西は中国の各地へ。そして南洋の広大な地域へと渡った。すなわち香港、インドシナ、マレー半島、シャム(タイ)、そこからスマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベス(いずれもインドネシア)の諸島へ渡り、インドのカルカッタ(現コルカタ)、ボンベイ(現ムンバイ)に至り、さらにアフリカの東端に達した」(『日本女性哀史』)。

 同書によれば、1908(明治41)年に公式に確認された人数は3万791人。半数以上の1万6000人余りは満洲をはじめ中国大陸だった。村上信彦『明治女性史下巻』(1972年)は「明治年間を通じて輸出された女の数はおそらく数十万に達するであろう」と述べている。

島原と天草の出身者が目立った

 東南アジアで娼婦としての日本人女性は明治の初めに現れている。そもそもは、来日した外国人の妻や「妾」として海を渡ったが、現地でトラブルが起き、日本にも帰れないまま、暮らしに困って娼婦になったともいわれる。当初目立ったのは長崎県島原地方と熊本県天草地方の出身者だった。

 この地方は1637~1638年の「島原の乱(天草四郎の乱)」によって人口が半減。幕府が他国からの移住政策を推進したため、その結果人口過剰にあえいでいた。北野典夫『天草海外発展史 下』(1985年)は、全国的に一般化していた産児の間引の風習を拒絶したからだとしている。「故郷の村には賃稼ぎの働き口もない。14~15歳ともなれば、やはり島の外へ出るほかはない」(同書)。「天草女」は当初彼女たち「からゆき」を総称する言葉だった。

 東南アジアを渡り歩き、ビルマで長く暮らした山田秀蔵は『ビルマ讀(読)本』(1942年)に書いている。「南洋の各地を歩いてまず私が驚かされたのは、至る所、いわゆる娘子軍(じょうしぐん)の発展であった。都会地は申すも愚か、どんな山間僻地に行っても、日本の商人こそ見いだされないが、娘子軍のいない所はなかった。彼(女)らは例外なく天草か島原の産である」。

「彼女たちが日本で『娘子軍』と呼ばれるようになったのは明治30年代の初めからである」と矢野暢『「南進』の系譜』(1975年)は書く。元々は「婦人兵」「女子部隊」を表す言葉だった「娘子軍」が、海外の娼館で働く女性たちを美化して使われたのだった。

6000人の女性たちが「年に1000万ドルをの収入を得ていた」

 シンガポール領事だった藤田敏郎は「明治29~30(1896~97)年ごろ、シンガポール在留日本人は約1000人で、うち900余人は女子。その9割9分は醜業婦。その多くは誘拐された者だ」と書いている(『海外在勤四半世紀の回顧』)。

『「南進」の系譜』は「日露戦争直後の最盛期には、スマトラのメダン付近まで含めて、6000人の娘子軍が年に優に1000万ドルの収入を得ていたという」としている。当時の1ドルを現在の約25ドルとすると、約375億円ということになる。彼女たちは身を削って稼いだ金の中から日本の家族たちに送金。日清・日露戦争の際は日本のために進んで多額の献金をしたという。

「世間一般の論者は賎業婦人の海外に出稼ぎするを見て甚だ喜ばず、この種の醜態は国の体面を汚すものなり、是非ともこれを禁止すべしとて熱心に論ずる者あり。婦人の出稼ぎは事実なれども、これがために国の体面を汚すとの立言はさらに解すべからず」(原文のまま)

 こういう書き出しの福澤諭吉の論説「人民の移住と娼婦の出稼」が、彼が主宰する「時事新報」に掲載されたのは1896(明治29)1月18日。論旨は次のようだった。

「娼婦は酒、タバコと同様、欠くことのできないもの。海外でも必要とされており、日本人の海外移住を奨励するのであれば、特に娼婦の国外進出は必要。相当の金をもうけて帰国した例もあり、決して非難すべきでなく、その出稼ぎを自由にするのは政策として必要だ」。詐欺や誘拐まがいのことや密航という犯罪も含まれていたなどの実態を見ない論ともいえそうだ。

エリート層は「からゆきさん」を「国辱もの」と批判

 一方、東南アジアに派遣された外交官や会社員らエリート層は彼女たちを「国辱もの」と差別的に嫌悪し、批判した。初代シンガポール領事代理として1889(明治22)年に着任した中川恒次郎は、中国人だけでなくインド人、マレー人も日本人を軽蔑し愚弄するとし、「それはほかでもない」と理由を挙げた。

〈「従来当地に居住する者は、一に小売商、行商を除くほかは淫売女及び、それで生活する水夫上がりの者だけ、その行商も女をお得意さまとして出入りし、加えて、紳士や立派な商人といわれる人たちが来往の途中で足を止める。故に(住民は)日本人と見れば、必ず淫売女に関係があると思って軽蔑するものだ」=『南洋の五十年』(1938年)。〉

 1896(明治29)年には有志999人が衆議院に「出稼醜業者取締の請願」を提出した。救世軍の山室軍平は1904(明治37)年、仲間と欧州航路でイギリスに向かう途中、香港出発間際に船内に「白地の浴衣に細帯を締め、うちわを片手に持った28人の日本醜業婦の一隊」を見かけた。山室らは白木綿に「いんばいは日本人の恥さらし」「どんな難儀をしても正業に就け」と書き、たすきにして船内を歩いたと『社会廓清論』(1914年)に書いている。

 日清・日露戦争に勝利し、世界の一流国を目指していた日本政府も無視できなくなったのだろう。植民地政府に働き掛け、日本の在外公館と植民地政府の協議のすえ、1917(大正6)年のインドネシアをはじめ、各地で「廃娼令」が出されるようになった。

〈 「無恥な父母を持ったのが不幸だ」15歳娘を中国の富豪に売り飛ばし…“からゆきさん”にまつわる残酷な真実 〉へ続く

(小池 新)

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