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「嬉しい言葉を聞かなきゃ帰れないよ」欽ちゃんが初めて明かす がんで亡くなった妻との最後の会話

文春オンライン / 2024年8月31日 6時0分

「嬉しい言葉を聞かなきゃ帰れないよ」欽ちゃんが初めて明かす がんで亡くなった妻との最後の会話

妻の澄子さん、長男、次男と(写真提供:佐藤企画)

〈 あの欽ちゃんが記者会見で「ぼくは芸能界を…」亡き妻・スミちゃんを怒らせたプロポーズとは 〉から続く

 国民的スターの“欽ちゃん”こと萩本欽一さんと妻の澄子さん(スミちゃん)を描いたスペシャルドラマ「欽ちゃんのスミちゃん ~萩本欽一を愛した女性~」が8月31日午後9時過ぎから日本テレビ系「24時間テレビ」内で放送される。

 欽ちゃんが妻の死後に最初に明かした秘話を『 ありがとうだよ スミちゃん 欽ちゃんの愛妻物語 』(文藝春秋刊)から一部抜粋してお届けします。

◆◆◆

 スミちゃんが癌だと言われたのは、ぼくが大学に行っていた4年前のことだった。

 最初はお医者さんに「もう長くない」と告げられたのだけれど、それを聞いてもスミちゃんはびくともしなかった。「分かりました。頑張って戦います」と言って、抗癌剤や放射線の治療を受け始めた。すると、治療が効いたのか、癌の進行が止まったんだ。

 ただ、この4年の間に彼女は何度か転んで、骨折をしてしまってね。今年(2020年)の8月の頭には、4度目の骨折でまた入院することになった。そのうちに、ご飯もあまり食べられなくなって、少しずつ体が弱っていった。

 癌の治療で病院のベッドにいたとき、子供たちと一緒に集まって、いろんな話をした。

 あるとき、息子が「お父さんのどこが好きだったの?」と聞いたら、

「うーん、『好き』はないわね」

 と、スミちゃんは言った。

「じゃあ、なんでお嫁にきたんだよぅ」

 ぼくが訊ねると、彼女がチョット考えてから、こう言ってくれたのは嬉しかったなァ。

「ファンだったの。今もずっとファンよ」

 スミちゃんにはぼくと同じくらいの弟がいて、若いときに亡くなったそうなんだ。それで下積み時代のぼくを見て、応援したくなったらしい。

赤い太いひもを指に結んだ

 忘れられないのは、4年前に初めて入院した時、お見舞いから帰るぼくに彼女が「ありがとうね」と言ってくれたことだ。

 これまで、そんな言葉を聞いたことがなかったから、ぼくは嬉しくなっちゃってさ。

「スミちゃんから『ありがとう』って言われたよ。こんなに優しい奥さんみたいな言葉、ぼくは最高に嬉しいよ」

 と、大はしゃぎしたんだ。そうしたら、次の週にも「本当にありがとうね」と言ってくれてね。

「今日は『本当に』が付いた。嬉しいなあ。ぼくにとっては幸せな病気だなァ」

 と冗談で笑ったの。

 以来、ぼくが帰るときに彼女は「ありがとう」と必ず言ってくれるようになったんだ。

 スミちゃんが亡くなるひと月前、子供たちの提案で、ぼくらはツーショットの写真を撮ったんだよ。

 指に赤い糸を結ぼうとなったんだけれど、糸では切れたら嫌だから、ぼくは太いひもを用意して結んだ。その頃、スミちゃんは少し意識が朦朧とし始めていて、「紐の先にいるのは犬かい?」なんて言っていてさ。ギャグだったのか、それとも昔に飼っていた犬を思い出したのか……。聞いても彼女は答えなかった。

手をぎゅっと握り返してくれた

 その日から、ぼくは3日に1度くらいお見舞いに行くようになった。でも、新型コロナで面会は3人まで、時間も5分だけと決まっていた。

 いつも言ってくれていた「ありがとう」がなくなったのは、亡くなる4日前のことだった。

 次の日には、「スミちゃん来たよ」と言っても何にも返事がなかった。

「帰り難いなァ。ありがとうはないの?」

 そう呼びかけて手を握ると、彼女はぼくの手をぎゅっと握り返してくれた。

「ああ、来たよ、ありがとうが。嬉しいよ」

 すると、またきゅっと握り返してくれる。

 看護師さんに「意識はあるの?」と聞いたら、「あるかないか分からないけれど、本人は喋っているつもりだと思います」ということだった。

 そうしたら、もう1度、きゅっと握り返されてね。

「今日は3つ貰ったから、これで帰れるよ」

 そう言ってぼくは帰った。

ぼくら2人の最後の会話

 亡くなる前日、同じように「嬉しい言葉を聞かなきゃ帰れないよ」と言ったけれど、そのときは返事がもうなくてね。

 ぼくは大声で言った。

「あ、そうだ。俺もありがとうだった。スミちゃん、ありがとうね」

 ぼくの声が聞こえないのか、聞こえているのか。でも、来るべき時が来たんだ、って思った。

「スミちゃん、帰るからね。ありがとう」

 そうしたら、彼女はかすかに首を横に振ったんだ。

 それがぼくら2人の最後の会話だ。

今もずっと考えてる

 あのとき、彼女が首を振ったのは、どういう意味だったんだろう? と今もずっと考えてる。

 ぼくが自分のいいように解釈すれば、「『ありがとう』と言うのは私だよ」って意味だったのかな。

 義妹も「そうに違いないよ」とは言ってくれたけれど、ひょっとしたら「あんたに『ありがとう』なんて言われたくないよ」という意味だったのかもしれない。

 どちらにせよ、そんな日々を振り返るとき、ぼくは思うんだ。これはぼくらの「ありがとうの物語だったんだな」って。

 義妹によれば、スミちゃんは入院するとき、いつも必ず1つだけ持ってきたものがあったという。

 それはお化粧道具で、寝たきりになってからも、ぼくがお見舞いに来る日になると、眉毛だけは描いてもらっていたそうだ。ぼくが家に帰るとき、必ずお化粧をしてくれていたように。

 スミちゃんはそんなふうに、最後までぼくのファンでいてくれた。そして、優しい3人の子供たちを、しっかりと育てた母親でいてくれた。

 だから、やっぱり最後にぼくはこう言いたいな。

 スミちゃん、ありがとうね、って。

(萩本 欽一/ノンフィクション出版)

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