「ひょっとして、俺の身体、臭うかな?」家はゴミ屋敷、15年間ずっと無職の兄(55)の生活を立て直したい…20年ぶりに再会した妹の“決心”
文春オンライン / 2024年9月29日 11時0分
※画像はイメージ ©GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート
〈 「知らないおじいさんだと思っていた」歯は全部抜け、すえた臭いが…20年ぶりに再会した“自慢の兄”がまったくの別人になってしまった理由 〉から続く
兄ちゃん、この20年で何があったの――。
加藤裕子(仮名・50歳)さんは久しぶりに会った兄の吉川大介(仮名・55歳)さんを見て、心の中でそう叫ばずにはいられなかった。身体からはすえた臭いが漂い、足取りはヨタヨタと頼りなく、実年齢よりはるかに老けて見える。さらに、歯は上も下も1本残らずすべてなくなっていたという。
ここでは、 前回 に続き『 超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる 』(毎日文庫)より一部を抜粋。「事情があってここ15年ほど無職なんだ」と語る兄を放っておけず、「力になれる人は肉親の自分しかいないはずだ」と自身を奮い立たせた裕子さんと大介さんのその後は――。(全4回の2回目/ 最初から読む )
◆◆◆
口調も明るくなり徐々に前向きになってきた兄
それ以降、兄とは電話で頻繁に連絡を取るようにしていた。そんな妹の気遣いが嬉しかったのか、大介は裕子にだけは、徐々に心を開き始めようとしていた。
翌月、裕子は再び、大介に会うことにした。その日は、バケツをひっくり返したようなどしゃぶりの大雨だった。兄と駅で待ち合わせて、一緒に傘をさして、バスに乗り込んだ。兄と傘をさすのは、小学生以来だと思った。あれだけ背の高くて格好良かった兄が、今はどこか小さく感じられた。
地元の市役所に行き、とうの昔に切れていた保険証と年金手帳を再発行してもらった。そして、一緒にハローワークにも行き、パソコンで職種を検索した。大介は、また得意の英語を活かした仕事に就きたいと裕子に語るようになった。
裕子はベテラン風の女性職員に「私の兄なんですけど、あまりにも見かねる状態だから、私も関西から来たんです。色々教えてもらって、よろしいでしょうか」と何度も頭を下げた。
仕事さえ見つかれば、兄の生活はとりあえず立て直せるに違いなかった。職員の女性は履歴書と職務経歴書を持ってくれば、添削を行ってくれるという。
役所からの別れ際、裕子は袋いっぱいに詰めた食料品を大介に手渡した。パスタソースや乾麺、野菜ジュース、カルシウムいっぱいの魚の缶詰、クッキーなど、一人暮らしでも栄養になりそうなものを詰めるだけ詰めた。全部大介が好きで日持ちする物だった。それは、兄に対する妹からのせめてもの優しさだった。
「履歴書は誤字脱字がないように見直してね。添削用に赤ペンもちゃんと持っていってね。これ、ちゃんと食べて元気つけてや」
「あぁ、ありがとな」
数日後、大介から「一発で書類のオッケーもらったわ!」と嬉しそうな電話があった。
「やったやん! いけるんちゃう? いけるんちゃう?」と裕子は声を上げた。
「仕事のブランクはあるけれど、わからないところは教えてもらって、コツコツ取り組めば兄ちゃんならきっと頑張れると思うわ」
裕子は何度もおだてて、大介を励ました。
大介はまじめで、とにかく世渡りが不器用なところがあった。
その後、警備会社の面接の日取りを電話で調整している最中に、「15年間のブランクがある」ということを自ら面接担当者に口走ってしまったらしい。履歴書は当日持参する会社だったので、面接までこぎつけることが重要だった。たとえ15年のブランクはあるにしても、直接会って必死にやる気をアピールすることで、採用されていた可能性もあったかもしれない。しかし、大介は愚直な性格ゆえにそのチャンスを逃すことになった。
担当者は、しばし絶句すると、そのまま電話を切った。大介からすれば、そのままの自分を知って欲しいがための言動だったが、要領の悪さが仇となり、面接の機会を失ったのだと裕子は肩を落とした。それでも大介を何とか持ち上げ、なだめすかした。
裕子がいたら頑張れる気がすると、大介は次第に明るい口調に変化していった。1枚1枚、薄皮を剥がすかのように、大介は閉ざした心を開きつつあった。
ドアを開けると壁一面のカビと床に散乱したゴミの山
それから2カ月後、連日の猛暑が関東一円を襲っていた7月15日――。裕子は、再び上京した。兄がどんな生活を送っているのか、生活状況を知っておく必要があると思ったからだ。大介が住んでいたのは、3階建てのマンションの一室だった。
「たぶん家に来ても、お前の座る場所なんてないと思うよ」
大介は、道中に何度も同じことを言った。
部屋に入るなり、裕子はその意味がわかることになる。白いドアの背面が、無数の黒いカビで覆われている。中へ進んで、度肝を抜かれた。床のほとんどが本やCDの山で埋め尽くされ、大介の言う通り裕子の座る場所すらなかったのだ。男の一人暮らしにもかかわらず、数年前に期限の切れた10キロの米が床に投げ散らかされていた。
さらに、なぜか、カレールーの入った段ボールが20箱ほどキッチンに山積みになっている。何十個ものチョコレートやクッキーの箱が埃を被って、無造作に放置されている。寄りかかることができないくらいに、壁も一面カビだらけで、靴を脱ぐのもためらわれる汚さで、裕子は足元を見て思わずたじろいでしまった。
「何でこんなに食料品があるの?」と尋ねると、「東日本大震災の時に、スーパーにも食料がなくなって、大変だったんだぞ。備蓄できるものは、今のうちにしておこうと思ってさ」と大介は答えた。
学生時代に見慣れた、兄の大好きな洋楽のCDが紙袋の中に入っていた。かつて、兄の部屋で、見かけたものだった。風呂場もトイレも何十年かは掃除していないのか、墨でも撒まいたように黒ずんでいる。
「洗濯機で洋服、洗濯してる? 洗剤はちゃんと入れてるの? お風呂は入ってるの?」
まるで小学生にするような質問を裕子は兄に投げかけた。聞かずにはおれなかった。
「ひょっとして、俺の身体、臭うかな?」
「うん、臭うよ」
裕子は思わず正直に答えた。
エアコンは何年か前に壊れていて使えないので、コンセントも抜いてあるらしかった。電気代を気にしていたのかもしれないと、裕子は思った。
再就職を前に生活を立て直すはずだったのに…
部屋の暑さは尋常ではないほどで、外の気温と変わらなかった。40度近いというニュースが連日流れる中、エアコンも使わず毎日をやり過ごしていることが、裕子にはとても信じられなかった。
部屋の中に数分いただけでも、むわっとした熱気で気分が悪くなって、とてもではないが過ごせない。しかし、大介は連日の猛暑の中、昼夜を問わずこの環境で生活しているのだ。聞くと、扇風機を24時間回して、15分おきに水シャワーに当たって、あとは気化熱で冷ましているという。
まずは、この部屋のゴミをどうにかしなくてはいけないが、自分一人で太刀打ちできるのだろうか。裕子は不安になっていた。部屋中からカビの臭いが漂い、とてつもないゴミ屋敷と化していた。
「いい加減、本とかCDとか溜め過ぎだと思うよ。少しは捨てるか売りにいくかしないといけないんじゃない」
「いやいや。それは全部まだ目を通していないんだぞ」
「こんなところで生活してたら、体を壊すよ。部屋がこんな状態だったら、自分一人で片づけるのもやる気もなくすって。今から何回かに分けて部屋の掃除を手伝いに来るから、頑張って立て直していこうか」
「そうしてくれるか」
大介は裕子の提案をあっさりと受け入れた。大介は裕子にだけは心を許していたのだ。
裕子は、大介にゴミの収集日を聞き出した。見た限りでは、燃えるゴミが一番多かったため、収集日の前日にまた来よう、と思った。再就職の前に生活を立て直さないと衛生的にも良くない。次に来た時には、何とか床が見える状態にまではしたい。
「健康保険証も新しくできたんだから、病院にもいつでも行けるよ。歯もちゃんと治しなよ。今は入れ歯だって、いいのがあるし。人間笑うのって大事だよ。仕事も探してるし、健康も回復するよ。それで社会復帰したら、職場で良いご縁があるかもね。一生に関わることだし、今からでも誰か伴侶がいたほうがいいんじゃない?」
「あぁ、そうだな」
「もし良い人ができたら私ぐらいには紹介してね」
「わかった」
「それじゃあ、連絡を楽しみに待っとくわ」
それが兄と直接会って話す最後の機会になるとは、裕子は思いもしなかった。
〈 「まるで醤油をひっくり返したような…」長女(53)の部屋の入口から液体が垂れていると連絡が…高齢の両親が目の当たりにした“想像を絶する光景” 〉へ続く
(菅野 久美子/Webオリジナル(外部転載))
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