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〈総裁選前に初公開〉国民が政治家を見極めるための「“真正保守”政治家10カ条」《保阪正康氏が考案》

文春オンライン / 2024年9月23日 17時0分

〈総裁選前に初公開〉国民が政治家を見極めるための「“真正保守”政治家10カ条」《保阪正康氏が考案》

次期首相に求められる条件とは? ©文藝春秋

昭和史研究家の保阪正康氏は、次期首相に選ばれるべき人物は「真正保守」の政治家という。では、真正保守の政治家の定義とは何か? 保阪氏の考える「“真正保守”政治家10カ条」を、このたび初公開する。

◆◆◆

自民と立憲民主の結集再編

 もはや自民党も、立憲民主党も、改憲と護憲、自由主義と社会主義などのイデオロギーでは区分できず、それぞれの独自性よりも類縁性のほうが高い時代に入っている。両党の大幅な再編成によって、新しい改革勢力が生み出されることより他に、日本政治の更新はないのではないか。

 その結集軸こそ、日々の暮らしを大切にし、漸次の改革を志向する「真正保守」の立場であると私は考えている。現在の超党派の「湛山議連」などが意義ある触媒の役割を果たすことを望みたい。

 石橋湛山と言えば、憲法との関わりで、興味深い論点がある。湛山は、「憲法九条凍結論」という独自な立場を打ち出していたのだ。この論は湛山自身も充分に展開し切れていないし、踏み込んで語ることで何らかの圧力を招き寄せることを嫌った節もある。その言わんとすることは、日本国憲法が描く国際的な平和社会は理想であるし、それを私たちは目指さなければならないが、いまの現実がそうでない以上、九条は凍結して、現実に対応し得る法的枠組みをつくるべきだ、との考え方ではないだろうか。未来に平和な世界をつくり得たときに、私たちは初めて九条を解凍し、それを本当の指針として持つことになるだろう、と。

 緊急事態条項を創設しようとするような動向を注視しながら、私たちは、かつての「真正保守」の政治家たちが叡智を傾けた憲法論を吟味し直すべきなのである。

 現在の政治の陥没状況は、意識的にせよ、無意識にせよ、それを維持してしまっている国民の責任ということにもなる。つまり、「真正保守」の再興とは、私たちの政治意識、歴史意識の問い直しがなければ実現できないのだ。

 この連載のために私は、「真正保守」政治家十カ条を熟考してみた。以前、「 首相の七条件 」を発表したが、今回はそもそも政治家であるための条件を問うものだ。初公開ということになる。政治家は心に留めて陶冶に努めてほしいし、国民が政治家を見極め、政治状況を認識するうえで参考になればと思う。

 自民党総裁選、立憲民主党代表選においても、当然、この十カ条を満たす政治家が指導者に選ばれるべきであると私は考えている。

(1)常に歴史を読め。
(2)師たる政治家を持て。
(3)甘言、巧言は敵とせよ。
(4)誤りから学べ。
(5)良きブレーンを持て。
(6)清廉の徳を持て。
(7)討論、対話を厭うな。
(8)典故、先例に通じよ。
(9)読書に勝る良薬はない。
(10)氷山のごとき人格たれ。

(1)は、国外のウクライナ戦争にせよ、ガザ戦争にせよ、アメリカ大統領選にせよ、国内の裏金事件にせよ、時代がどう動くかについて、歴史と同時代史を組み合わせ、過去、現在、未来を読み抜く目を持て、との意味になる。

(2)は、誰を理想の政治家と見て、そこから何を学ぶのかという問いでもある。原敬の政治力と、歴史に自らを刻む意志。田中角栄の庶民性と、対米従属から脱却する志向。浅沼稲次郎の労働者性と、質素な生活。……直接の師でも、歴史上の存在でもいいが、自分が目標とする政治家とその方向性を、自らの政治の一つの模範として持つべきであろう。

(3)は、甘い褒め言葉、巧みな誘導術などの話法を遠ざけ、誠実な語り口を身につけるべきということだ。甘言、巧言は、結局のところ有権者からの信頼を失うし、汚職にもつながっていくものだ。

(4)であるが、誤りを教訓とする思考、行動は政治家の必須条件である。過去の戦争に始まり、政治の誤りを徹底して分析することが大切であろう。かつて日本の政治はなぜ戦争を選択したのか? 軍の暴走とは何か? それを学ぼうとしない政治家は、政治家である資格がない。

池田政権における伊藤昌哉

(5)は、政治家の不安に寄り添い、有効な助言をするブレーンをいかに周囲に置けるかということになる。

 たとえば伊藤昌哉である。かつて伊藤は宏池会の舞台裏の立役者と言うべき人物だった。池田勇人首相の首席秘書官を務め、池田の政敵である浅沼稲次郎社会党委員長が暗殺されたとき、語り草となるような追悼演説の原稿を書いて、それを読み上げた池田の存在感を大きくした。その後、伊藤は大平正芳首相のブレーンにもなり、その権力者の孤独を全面的に受け止めて、大平は折に触れて伊藤の判断を仰いだ。

後藤田を師とした村山富市

 意外なケースでは、村山富市首相にとっての後藤田正晴がいる。村山は後藤田について、「所属する政党は違っても私にとって後藤田さんは、単に先輩というより、師として仰ぐ大変心強い存在でした」(『私の後藤田正晴』、中曽根康弘/村山富市/岡本行夫ほか、講談社、2007年)と語っている。阪神・淡路大震災の翌日、後藤田は村山に「地震は天災だが、これからは人災になる。しっかりやってくれ」と言い、村山はそれで災害対応へと性根を据えた。憲法、日米安保、海外派兵などについても、後藤田は様々なアドバイスをしている。ブレーンは、必ずしもイデオロギー的立場を同じくする必要はないのである。

(6)は、周辺が身ぎれいか、政治資金の台帳は正確に記されているか、生活の幅にブレはないかなどを常に点検しなければならないということだ。いまや政治家は、企業・個人からの政治資金と使途、秘書給与、事務所維持費、選挙経費など、政治活動にどれだけ金がかかるかを一人ひとり明確にすべきである。それは私たちが政治家を見るときの重要な判断材料になるだろう。

(7)は、テレビの討論番組に出るべきだというような話ではない。有権者からの問いに誠実に答え、何度でも丹念に説明をすべきだ。これは政治家の初歩的条件とも言える。

(8)は、「真正保守」には必ず求められる態度である。漸次の改革を行うためには、その前提として、伝統への敬意が必要なのだ。そこから、もし捨てるべきものがあれば捨て、保守すべきは保守する政治が始まる。典故、先例を深く知ることは、庶民の暮らしに分け入り、その哀歓に触れることでもある。

(9)についてだが、本を読まない人には、いくつか特徴がある。話のなかで形容詞を多用する。物事を断定して、その理由や思考のプロセスを説明しない。耳学問だから見識に深みがない。読書をしない人間は、「真正保守」の政治家にはなれないと言い切っていいであろう。

(10)であるが、氷山は9分の1だけが海面上に姿を出し、9分の8は海面下にある。身につけた知性、感性、人格の奥行きが、表に現れることを忘れてはならない。

 この十カ条を私に書かせたのは、歴史の教訓を政治の現場に伝えなければならないという危機感であるとも言える。私たちが近現代史から学んだ教訓と知恵が失われていくことになっては、先達に申し訳が立たないと思うのである。

本記事の全文は、「文藝春秋」2024年10月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています(保阪正康「 原爆忌で考えた政治家十カ条」 )。

(保阪 正康/文藝春秋 2024年10月号)

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