1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「正座させた状態で足を…」想像を絶する拷問で7人を嬲り続けた松永太死刑囚の恐怖支配〈北九州監禁連続殺人〉

文春オンライン / 2024年9月27日 17時0分

「正座させた状態で足を…」想像を絶する拷問で7人を嬲り続けた松永太死刑囚の恐怖支配〈北九州監禁連続殺人〉

中学生時代の松永太死刑囚(中学校卒業アルバムより)

 2002年3月に主犯の松永太死刑囚(逮捕時40)と内縁の妻である緒方純子無期懲役囚(同40)が福岡県警によって逮捕されたことで発覚した「北九州監禁連続殺人事件」。この事件では監禁されていた17歳の少女の父親と緒方の親族6人の、計7人が殺害(うち1人は傷害致死)された。

 北九州市での大量殺人に手を染める前、主犯の松永は1992年10月まで福岡県柳川市で、ワールドという名の布団訪問販売会社を経営しており、経営が破綻したときには、緒方が事務員として雇われていた。(全2回の1回目/ 続き を読む)

脅し、偽装、暴力まみれの自転車操業

 同社では松永に命じられた従業員が、親戚や知人に電話をかけ、「会社が潰れそうなので助けてくれ」と泣き落としを行い、それを断られると因縁をつけて脅し、高価な布団を強引に売りつける営業をしていた。しかし、寝具を購入してくれる親戚や知人等が乏しくなると、顧客のローンや立替金の支払いが滞ったことを理由に、信販会社から加盟店契約を解除されるなどして、経営が傾いていく。

 そこで松永は、実際には販売していないのに、従業員に親戚や知人の名義を借りさせて信販契約を締結(名義貸契約)したり、架空人名義で信販契約を締結(架空人名義契約)することで売り上げを偽装。そのうえで従業員に、親戚や知人の名義で多額の借金をさせる方法でのカネの工面を強要し、なおも契約が続いていた信販会社に対して、ローンや立替金の支払いをさせるようになる。

 同時に松永は、そうした信販会社の営業所所長を、頻繁にワールドの事務所に呼び出して接待し、昼間から飲酒を勧めてはその姿を写真やビデオで撮影。「画像を本社に送る」と脅すことで、ワールドの顧客への審査を甘くさせて、信販契約の決裁を早くするように働きかけていた。

 後に、違法行為を繰り返して自転車操業を続けるワールド内部では、数人の従業員が“生け捕り部屋”と呼ばれる、雨戸の閉まった12畳の部屋での共同生活を強要されていたことが明らかになる。

 この事件を知る福岡県警担当記者は次のように語っていた。

「新たに生け捕られた者は、そこで松永に命じられた先輩従業員から、木刀や電話帳で夜通し殴られるなどして、反抗心を奪われていたそうです」

日常的な暴行と虐待で従業員を恐怖支配

 ワールド内部で従業員たちに振るわれた暴力の詳細については、02年の逮捕後に福岡地裁小倉支部で開かれた松永と緒方の一審でも、検察側が次のように指摘している。

〈松永は、ワールドの事務所等で(中略)従業員らに対し、販売実績が上がらないなどの理由で、手拳、電話帳、バット等で殴る、足蹴りするなどの暴行を加えたほか、正座させた状態で足を踏み付ける、喉に手刀を打ち付ける、「四の字固め」をかける、指を反らす、白米やインスタントラーメンだけの食事を強いる、大量の白米を無理に食べさせる、食事時間を制限する、3日間くらいの絶食を強いる、水風呂に入れるなどの暴行や虐待を、日常的に繰り返した〉

 さらに松永は従業員たちに対して、自身が暴力団関係者と親しいことを吹聴。逃走しても必ず探し出すなどと脅していたことから、彼らは逃げ出すことができなくなっていた。この裁判で検察側は、従業員の心理状態についても触れている。

〈従業員らは、松永を怖れ(※ママ)、常に松永の機嫌を窺って行動するようになり、また、松永が従業員相互に暴力を振るわせたり、互いに監視させたりしたことから、従業員らは相互不信に陥り、互いに密告を怖れて共同して松永に反抗することができなかった。このように、ワールドの従業員らは松永に逆らうことができず、松永は従業員らを意のままに従わせて支配した〉

 詳しくは後述するが、松永が後になって殺人に手を染めた際に使用した、“通電”による虐待方法も、このワールド時代に生まれたものだ。

 こうした恐怖支配によって、従業員たちを自分の会社に縛り付けていた松永だが、それにも限界があった。松永による虐待に命の危険を感じた彼らは、次々と隙を見て逃走する。その結果、最後には山形康介さん(仮名)だけがワールドに残ったのだった。

 山形さんは92年10月、松永と緒方が柳川市から夜逃げした際には、彼らと行動をともにしている。そのときは1屯トラックで石川県七尾市を目指すも、同市に逗留することを計画した松永の翻意によって、現地には1日滞在しただけで福岡県に引き返し、北九州市で部屋を探して移り住む。

 3人は小倉北区の住宅地にあるアパートで共同生活を送ったが、松永が山形さんの頭を洗車ブラシで殴るなどの虐待が続き、命の危険を感じた彼は、93年1月中旬に彼らの下から逃げだしたのだった。

元社員・山形さんが騙されて入社に至った経緯

 今年春、九州地方の某所にある山形さんの住まいを訪ねた私は、ワールド時代の話を聞かせてもらうことができた。

「私がワールドに入ったのは84年です。正確には騙されて入れられたのですが、入ってからは、武田と野間(ともに仮名)という男たちと一緒に本社ビルの裏にある小屋(※生け捕り部屋)で雑魚寝をしていました。ワールドには他にも、松永と一緒に会社を始めた坂田(仮名)という男がいました」

 山形さんによれば、すべてのきっかけは、大学の同級生であるという野間さんからの電話だったという。

「大学を卒業して測量会社の社員をしていた私のもとに、同じ××工業大学の卒業生だということで、野間から布団のセールスの電話があったんですね。そこで、売れなくて困っていると泣きつかれた。契約用の名義を貸してくれとか、自分が払うからとか言うから、面識はなかったんですけど、同級生やったから、自分にできることはしてやろうと思って、布団を買うことにして、名義も貸したんです。

 自分で買った布団については、30万円くらいのローンを分割で支払っていたんですけど、月の支払いが難しくなって、先方に電話をしようと思っていたら、向こうから電話がかかってきました。そこで、『名義貸しが信販会社にバレた』、と。それがワールドで働くことになったきっかけです」

 親切心でやったことが自分の首を絞めたことについて、山形さんは「世間知らずやったんですよね」と反省の弁を口にする。この段階で山形さんは松永とは会っていないが、後日、柳川市にあるワールドに顔を出すことを約束させられた。

「たしかそこで出てきたのは坂田だったと思うんですが、『信販会社にバレたことで、うちの会社が契約停止になるかもしれない。だから損になった分を働いて返してくれ』、と。具体的な金額は出なかったのですが、『そうでないと、親のところに行って、違約金を払ってもらうことになる』と言われました」

 その結果、山形さんは勤務先を辞め、ワールドの社員になったのである。坂田さんから「寮は用意する」と説明され、当時ワールドが借りていたO町にあるアパートの住所に、住民票を移すことになったが、実際に住むことになったのは、“生け捕り部屋”だった。

「事務所を兼用している板張りの部屋に3人で雑魚寝です。そこでは松永が起きる前に起きて掃除、洗濯。まあふつうの住み込みの生活ですね。当時、松永は我々の寝泊まりする小屋の前に建っていた自宅で、奥さんらと住んでいました。まず8時過ぎくらいに坂田が出勤してくる。松永が我々のいる事務所に顔を出すのは9時か10時頃でした」

学校の同窓会名簿をもとに電話で布団のセールス

 私は山形さんに、どのような業務内容だったか尋ねた。

「松永が支払いとかあって銀行やらを回りよったので、そういうところへ車を運転して連れて行くとか……。外に出るときはスーツを着ました。ただ、事務所内にいるときはスウェットとかです」

 事務所では、自分の卒業した学校の同窓会名簿をもとに、布団の営業の電話をかけさせられていた。

「私は営業の電話をかけても全然ダメでした。武田と野間は電話が上手でしたね。ただ、途中からは、武田も営業する相手が尽きてしまったみたいでしたけど……」

 そこで私は聞く。

「毎日の食事とかはどうしていました?」

「まあ、普通に日に3回ということはないです。昼は自分たちで作ったりとか、夜は松永のところの残りを持ってきたりとか……」

「給料は出ました?」

「事務の書類上、給料が出とるようにはしていましたけど、実際には出てないです。松永のお父さんが金貸しをやりよることにして、そこに給料の全額を入れて、毎月借りた金を返すというようなかたちをとっていました」

「でもそれじゃあ、現金のない生活をしていたんですか?」

「うーん、そこは、ちょこちょこっとした小銭は、たとえば営業とか布団を売りに行って、買うてくれた人間からタバコを貰うとか、コーヒー代の小銭を貰うとかで、なんぼかは持っておったですね」

「どれくらいの期間、働かないと損失を返せないと言われていたんですか?」

「いやいや、それはわからんかったですね。いつになったら年季明けというんは、わからんかったです」

 山形さん以外の同居する2人も、同じような状況だったという。

「松永に念書は書かされていました。『事実関係証明書』というのを書かされましたから。これこれこういう悪さをして、こういうことになったから、ここで働いて返しますということを書きました。で、それを公証人役場に持って行って、判子を押してもらって……」

 このような経緯で入社したワールド社内には、暴力が蔓延していたという。

〈 “生け捕り部屋”で暴力、局部に“通電”も…拷問を受けた元部下が明かす、死刑囚・松永太との想像を絶する生活〈北九州監禁連続殺人〉 〉へ続く

(小野 一光)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください