上野から成田までの45分…京成スカイライナー“ナゾの通過駅”「印西牧の原」には何がある?
文春オンライン / 2024年9月23日 6時0分
車窓から見てしまったあの姿…京成スカイライナー“ナゾの通過駅”「印西牧の原」には何がある?
大の飛行機嫌いの筆者にとってはあまり関係のない話だが、首都圏から海外に行こうとすると、第一の選択肢に入るのが成田空港だ。空港を先に決めるという人がどれだけいるかはわからないし、最近ではだいぶ形骸化してはいるものの、いちおうは「国内線は羽田、国際線は成田」という役割分担が成り立っている。
そんなわけで、成田空港に向かうとき、鉄道を使うならば選択肢はだいたいふたつ。成田エクスプレスか、京成のスカイライナーだ。ここでは、ちょっとばかりスカイライナーの話をしようと思う。
スカイライナーは、京成上野駅を起点に日暮里駅を経て、千葉県は下総台地をひたすら東へ駆け抜ける。そして、いつの間にやら地下に潜ったと思ったら、もう成田空港だ。京成上野駅から成田空港まで、たったの45分。超特急といっていいほどのスピードで、あっというまに成田空港に着いてしまう。
だから、途中の車窓に関心を抱くことなどないかもしれない。特に京成高砂駅で京成本線と分かれてからの下総台地なんて、興味の埒外だ。そもそもこれから海外に行こうというのに、そんなところに気を回している余裕はなくてあたりまえ。気持ちはもう、海の向こうだ。
だがしかし。やっぱり、見なかったことにはできない。だって、スカイライナーの車窓から見てしまったのだもの。下総台地の無性に広い空のもと、とてつもなく巨大な“町”がいくつも現れては消えて、また現れていたことを。そんな巨大な町を従えた駅のひとつが、印西牧の原駅である。
京成スカイライナー“ナゾの通過駅”「印西牧の原」には何がある?
スカイライナーは目もくれずに通り抜けてしまうが、下総台地の上にもいくつかの駅が並んでいる。この区間は北総鉄道北総線。羽田空港方面、つまり都営地下鉄浅草線からの直通列車もやってくる。
北総鉄道北総線としての終点は、印旛日本医大駅だ。印西牧の原駅は、印旛日本医大駅と並んで北総線、また都営浅草線の“終着駅”としても名が高い。
そういうわけで、印西牧の原駅にやってきた。もうこのあたりは、どちらかというと成田空港に近いんじゃないかと言いたくなるくらいのところだ。
かつて成田空港への新幹線計画のために開削されたという堀割の中に、印西牧の原駅のホームがある。この駅を終点として、また都心方面に折り返してゆく列車があるだけに、2面4線というそこそこ広めの駅構内。線路と駅をはさみこむようにして 北千葉道路が通っている。
改札を抜けて空を見上げる。無性に広い
堀割のホームから地上に出て改札を抜ける。やっぱり空が無性に広い。そして、堀割の北と南、両サイドには巨大な商業施設が見えている。この駅で降りる人もなかなか多いし、線路ごと堀割を跨ぐ通路を行ったり来たりしている人も少なくない。やっぱり、この駅はなかなかに大きな町を従えているようだ。
駅の南側にはビッグホップガーデンモール印西、北側には牧の原モアにジョイフル本田。南側の駅前広場にはアパホテルが建っているし、北側に出ると郵便局や千葉銀行。どちらの駅前広場も路線バスが発着するような立派なもので、地域の拠点として充分な存在感を持っている。
すべての商業施設を巡るのはさすがに時間がかかりすぎるので、北口にある牧の原モアの中を歩いてみることにした。
訪れたのは例のごとく平日の真っ昼間。だから、人通りが少ないというのは仕方がないだろう。このあたり、いくら大きな町を従えている駅といっても、都心からは離れたベッドタウンだ。だから、平日の昼間からたくさんの人がうろうろしているわけがない。
それでも、牧の原モアの奥にあったドトールコーヒーはあらかた席が埋まるくらいには繁昌している。やはり、伊達に駅の周りにいくつもの大型商業施設があるわけではない。ジョイフル本田には立派な映画館まで入っている。これほどショッピングという点で恵まれた町は、都心にだってそうはない。
まずは北口から延びる並木道を歩く
商業施設だけで終わってはつまらないので、もう少し町中を歩こう。北も南も、駅のすぐ近くをのぞけば、だいたいが住宅地、ベッドタウンだ。
北口はというと、牧の原モアの北側には線路と並行するように見事な並木道が続いている。住宅地になっているのは並木道の北側だ。一戸建ての真新しい住宅がびっしりと、そして整然と並ぶ、典型的なニュータウン。牧の原エイテスタウンというらしい。
そんな駅北側の住宅地の中に、これまた実にニュータウンらしくところどころに公園も整備されている。中でも目立っているのが、牧の原公園だろうか。
調整池をも抱える巨大な公園で、中央には“古墳型”の築堤がどーんと鎮座している。あくまでも古墳型なので、ホンモノの古墳などではないのだが、ちょっとしたこの町のシンボルなのかもしれない。
町から醸し出される「馬っぽい気配」の正体
そんな公園と住宅地がバランスの取れたニュータウンを歩いていると、横断歩道を渡ったところに馬蹄を模した逆Uの字の車止め。このまったくのニュータウンと馬蹄型、いったいどんな関係があるのだろうか。
かつて、この下総台地の一帯は、「牧」と呼ばれる場所だった。牧というのは横浜DeNAベイスターズの四番バッターのことではなくて、幕府が馬を生産・育成するための放牧場のこと。
千葉県北部の台地上は江戸時代から馬産や馬の育成が盛んな地域で、いくつもの牧が置かれていた。メインになるのは台地の西の端、小金牧と呼ばれる一帯だが、東側にも印西牧という牧があった。そうした歴史が「牧の原」の地名にもつながっている。
つまり、印西牧の原の町は、歴史的に見ると実に馬と縁が深いというわけだ。それはいまでも続いていて、印西牧の原駅から北にニュータウンを抜けてゆくと、小林牧場という競走馬の調教施設がある(大井競馬場の外厩施設)。また、少し印西牧の原とは離れるが、西の白井にはJRA競馬学校も。
江戸時代の幕府の牧と、直接的につながりがあるかどうかはさておいて、馬と下総台地は切っても切れない関係にある。だから、町中に馬蹄を模した車止めがオブジェのごとく、何も言わずに佇んでいるのだろう。
災害に強く、でも水に恵まれなかったこの町の“転換点”
ちなみに、台地の上という場所は、災害に強い。低地や埋立地のように液状化現象や洪水被害に晒されるリスクは低いし、地震にも比較的強いことが多い。印西牧の原一帯も例に漏れない。だから、都心からはやや離れているのにニュータウンが造成されればたくさん人が暮らすようになったのだ。
ただし、一方では水に恵まれないというデメリットもある。いまのご時世は、さすがに水道が整備されているからさほど気になることもなかろう。けれど、江戸の昔は田畑を耕すための水に恵まれずに苦労したことも少なくない。たびたび開墾されて新田が開かれていったが、すべてがうまくいったわけではないようだ。
その証拠というべきか、下総台地の明治時代から大正時代にかけての地図を見ると、目立った市街地も田畑もなく、大半が針葉樹か広葉樹のマーク。ざっくりした言い方をすると、雑木林が生い茂る、というヤツだ。
そうした中で、まさしく戦時中の1942年には、印西牧の原駅付近に印旛飛行場という航空基地が設けられた。いわゆるパイロットの養成所。
太平洋戦争では腕の立つパイロットが欠かせないが、そうした人材は赤紙だけで確保できるわけではない。教育・訓練が不可欠だ。そこで、全国各地に多くの養成所が置かれ、パイロットの養成にいそしんだ。
さらに、戦局が悪化してきた1944年には陸軍の航空基地になって、首都防衛の飛行隊も配置されている。印西牧の原駅付近の開発の端緒といえば、この飛行場の造成だったのだ。240万㎡に滑走路3本という巨大な飛行場ができたのは、ここにそれだけ広大な土地が確保できたということの裏返しでもある。
「パイロット養成所の町」から激変していく戦後の“きっかけ”
戦争が終わると飛行場は消え、入れ替わるようにして入植者がやってくる。東京のすぐ近くというのに入植とはなかなかだが、それだけ台地の上というのは不毛の地という側面があったのだろう。
いまの印西牧の原駅付近の入植は、戦地や外地から引き上げてきた人たちが中心だったという。また、飛行場跡地の一部には少年院もできて、非行少年の更生に力を注いでいる。朝ドラ『虎に翼』の主人公・寅子も印旛少年院に非行少年を送り込んだのかもしれない。
この頃は、もちろん鉄道なんてものは影も形も存在しない。計画だってあるはずもない。それでも入植して開拓し、町を開こうとした先人たちの努力というのはすさまじいものがあったに違いない。
当時も一定の区画整理はされていたようで、いまのように東西に延びる線路と幹線道路、その両脇に住宅地という区画ではなく、北東から南西へと斜めに区画が整えられていたことが、地図から確認できる。
長らくそんな町だったところ、一変したきっかけが成田空港と千葉ニュータウン計画だ。
成田空港の建設が決まると、そのアクセス手段として成田新幹線の着工が決定する。東京駅の地下ホーム(いまは京葉線ホームに転用されている)から西船橋付近を通って下総台地に出て、あとはいまのスカイライナーとほとんど同じルートで空港へ。
いろいろと反対運動もあって実現はしなかったのだが、下総台地のど真ん中の土地は早々に確保されていた。用地取得は公共事業でいちばんのハードルだが、この一帯はそれが問題にならないくらいの場所だった、ということだ。
新幹線計画は頓挫した一方、町はどんどんできていき…
結局成田新幹線は頓挫するのだが、千葉ニュータウン計画は着々と進む。1966年に計画が定まり、1980年前後に白井エリアから入居がスタート。だんだんと東へと拡大してゆき、1984年には千葉ニュータウン中央付近の入居が開始、1995年になって印西牧の原一帯も街開きを行っている。
北総鉄道北総線は、この千葉ニュータウン計画に伴って誕生した鉄道路線だ。成田新幹線のための用地を転用する形で建設され、ニュータウンの拡大に歩調を合わせて東へと延伸していった。
終着駅として印西牧の原駅が開業したのは、街開きと同じ1995年のことである。そして、2000年に北総線が印旛日本医大駅まで延伸すると、途中駅になった(なお、2010年には線路をさらに空港まで伸ばし、京成スカイライナーが運行を開始している)。
こうして生まれた印西牧の原の町。90年代後半、つまり街開き当初に開かれたのは牧の原公園の東側の滝野地区、また駅から見て南西の西の原地区だ。この頃に駅の南側を通る県道190号も整備され、戸建て住宅を中心に造成が進んでいった。
県道190号は、90年代からのニュータウンとそれ以前からの“開拓”の町との境目になっていて、その南側はまだまだ田畑が目立つ。「草深」と呼ばれる一帯で、ニュータウン以前の印西牧の原とはこういう場所だったのだということを教えてくれているといっていい。
滝野地区も西の原地区も、いまでも実によくできたニュータウン。できてから20年ちょっとしか経っていないのだからあたりまえなのだが、町を歩いていると学校帰りに公園で遊んでいる小学生たちの姿があったりして、なんとも微笑ましいニュータウンの風景を見かけることができた。
人口減少時代にこの町が拡大し続ける理由は…
そして、2000年代以降、駅周辺の空き地には次々に大型商業施設が現れて、さらに町としての規模を拡大していった。駅の北側一帯、牧の原エイテスタウンなどの開発は2000年以降のことだ。
まだまだ駅の周囲には空き地も多く、これからどんどん家ができるのか、それとも商業施設ができるのか。印西牧の原をはじめとする千葉ニュータウンを抱える印西市、この人口減少時代にあって、いまも着実に人口を増やしている。
よくよく考えてみると、印西牧の原は都心から遠いようでそうでもない。各駅停車に乗ったとしても、1時間たらずで浅草だ。中央線で八王子駅から東京駅までやってくるより速い。
その上、この路線は空港アクセスという側面もあるから、アクセス特急というとてつもなく便利な速達列車まで走っている。印西牧の原駅は停まらないけれど、お隣の千葉ニュータウン中央駅ならアクセス特急の停車駅。これなら都心まで、1時間足らずで行くことができるのだ。
もちろん成田空港には近いから海外旅行大好き勢にはぴったりだし、国内旅行だってLCCを使いやすいからだいぶお得だ。それでいて、台地の上で地盤も丈夫、災害には強いです、と来たもんだ。
北総鉄道の運賃がちょっと高い、という難点はあるにしても、日常のお買いものなら駅の近くですべてまかなえる。もしかして印西牧の原、住まいを探している人には穴場的ないい町なのではないでしょうか……。
写真=鼠入昌史
(鼠入 昌史)
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