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「女性の味方をしてくれない」刃物で襲われ…伊藤沙莉「寅子」のモデルが抱えていた女性裁判官としての“苦悩”〈『虎に翼』最終回〉

文春オンライン / 2024年9月27日 6時0分

「女性の味方をしてくれない」刃物で襲われ…伊藤沙莉「寅子」のモデルが抱えていた女性裁判官としての“苦悩”〈『虎に翼』最終回〉

饅頭に毒を仕込めるかどうか、法廷劇の検証をする寅子たち(NHK『虎に翼』公式Xより)

〈 松山ケンイチ「桂場」の“名判決文”もそのまま! 内閣総辞職→全員無罪に…日本を揺るがした「帝人事件」とは何だったのか〈『虎に翼』に登場〉 〉から続く

 NHK連続テレビ小説『虎に翼』が最終回を迎える。日本初の女性弁護士のひとりである三淵嘉子をモデルにした「佐田寅子(ともこ)」(演:伊藤沙莉)が主人公の物語。彼女の人生で出会ったいくつもの事件や社会的な出来事を、リアルに詳細に描いているのが視聴者を引きつけた。

 その多くは実際にあった事件や出来事で、裁判のシーンなどは、実際の判決文をそのまま生かしたケースも。そのいくつかを新聞記事や資料から振り返ってみよう。当時の新聞は見出しのみそのまま、本文は適宜現代文に手直しする。現代では差別語とされる表現も登場する。文中敬称は省略する。(全5回の2回目/ はじめ から読む)

◆ ◆ ◆

2. 1939(昭和14)年「チフス饅頭事件」:寅子らが学園祭の法廷劇に取り上げた

「寅子」が学んだ「明律大学女子部」の学園祭で、実際の判例を基に筋書きを考えた法廷劇を上演した。これは 「昭和事件史戦前編」で取り上げた「チフス菌饅頭事件 」が元だった。女医が学費を貢ぎ続けて博士号を得た夫に裏切られ、チフス菌入りの饅頭を送って、食べた十数人が発症。夫の弟が死亡した事件。女医は実刑となったが、世間の同情を集め、減刑嘆願まで出たという。法廷劇の上演は男子学生の妨害で中断されたが、当時、事件が大きな話題になったことが分かる。

3. 寅子が判事として担当した少年・家庭事件

 三淵嘉子は自分が担当した事件について具体的なことはほとんど書き残していない。実際もドラマと同じく、戦後、家庭裁判所の立ち上げに加わり、その後東京地裁や名古屋地裁の判事、新潟、浦和、横浜の家庭裁判所所長を歴任。数多くの家庭・少年裁判を担当したが、判決文が残っているものもわずかだ。

三淵嘉子の家庭や少年に対する姿勢

 ただ、その判決文や、出席した座談会での発言などから、彼女の家庭や少年に対する姿勢がうかがえる。一例が1950(昭和25)年2月28日、東京地裁で判決が言い渡された損害賠償請求事件で、内容はチフス饅頭事件とも印象が重なる。判決文を基に事件を見よう。

〈原告女性は1946(昭和21)年7月ごろ、福島県の国鉄(現JR)郡山駅から列車で上京の途中、車内で被告の男と知り合った。その際、男は「東京帝国大学(現東大)理工科を卒業した」と身分を詐称。「近々東京に行くからよろしく頼む」と言ったので、女は住所を教えて別れた。その後、男は2~3回、女を訪問。同年9月24日夜、女に「大学を卒業して応召(おうしょう)。将校になって満州(中国東北部)に駐留していたが、終戦後、飛行機で帰国した。現在、京都帝国大学(現京大)理学研究生だ」などと、虚構の事実を語った。服装や徽章で誤信させ、結婚の意思がないのにあるかのように装って結婚を申し込み、女を錯誤に陥らせて婚約させ、情交関係を結んだ〉
*応召=在郷軍人が召集に応じて軍隊にはいること

〈翌1947(昭和22)年4月、被告の男は原告の女に「京都帝大を首尾よく卒業。郷里に帰って親兄弟に結婚を相談したところ、反対されたので絶縁してきた。結婚するから家に置いてくれ」とだまし、同棲するようになった。女は男の挙動に不審を感じ、調べた結果、男の言うことは全てうそだと分かると、男は女を捨てて立ち去り、関係を絶ってしまった。女は「男に貞操を蹂躙(じゅうりん)された精神的苦痛は甚大」などとして慰謝料20万円、「会社設立資金」として男に貸した約3万6000円、生活費約4000円の計約24万円を支払うよう求めた。これに対して男は「情交関係があったことは認めるが、女をだまして結婚の申し込みをしたり、貞操を蹂躙した事実はなく、情交関係も女から求められた。借金も正当な融資」として請求棄却を求めた。〉

原告女性に対しても…「もう少し注意を払っていれば」「甚だ軽率だった」

 24万円は現在の約200万円。いまもあるような話だが、近藤莞爾裁判長、和田(三淵)嘉子・右陪席判事、小林哲郎・左陪席判事が下したのは次のような判決だった。

〈被告は学歴、経歴などを詐称。甘言をもって原告に近づき、その誤信に乗じて貞操を奪い、同棲して情交を重ねていた。だが、自分の事業に熱中したうえ、原告に飽きてお互いに不和になると、原告の家を飛び出し、原告を捨てて顧みなかった。原告は少なからぬ精神的苦痛をこうむったことは明らか。被告は原告に慰謝料を賠償しなければならない。しかし、原告も、一面識もなかった被告に列車中で住所を教えて来訪を勧め、快く歓待。その後の交際でも被告の言動、容姿のみによって甘言をたやすく信用した。結婚の可能性を信じて情交関係を結んでおり、もう少し注意を払っていれば、被告の愛情は信じ難いことに気づいただろう。甚だ軽率だったと言わねばならない。慰謝料20万円は過大なうえ、貸した金もだまし取ったとはいえない。よって被告に5万円(現在の約42万円)の損害賠償の支払いを命じる。〉

 いまの目で見てもほぼ妥当な判断だと思われる。近藤裁判長は嘉子と初対面のとき、「女性だからといって特別扱いしませんよ」と言ったといわれ、公正、廉直な性格で嘉子も尊敬していたという。 

刃物を向けられる事件で抱えた、女性裁判官としての“苦悩”

 ドラマでは、「寅子」が家庭裁判所で担当していた離婚調停中の女性・瞳(演:美山加恋)から、「困っている女性の味方をしてくれない」「恵まれた場所から偉そうに」と刃物を向けられるシーンがあった。これも実際にあった「事件」が基になっている。ドラマの中で「ライアン」と呼ばれた「久藤頼安」(演:沢村一樹)のモデル・内藤頼博(子爵、東京家庭裁判所所長などを歴任)は嘉子の死後まとめられた『追想のひと三淵嘉子』(1985年)でこう振り返っている。

〈「三淵さんがまだ和田姓で、東京地方裁判所の民事事件を担当しておられたとき、ある夜のこと、突然私の家を訪ねて来られた。きょう、訴訟の当事者のおばあさんに、洗面所でいきなり刃物を向けられ、刺されそうになったというのである。危うく難を逃れたが、そのことで私を訪ねられたのであった。

 

 その出来事は、私も役所で耳にしていた。裁判所の中で、関係者が興奮のあまり狂気を発する例は、時に聞かないでもない。私は、和田さんもとんだ災難に遭ったものだ、ぐらいの気持ちで、その話を聞いていた。しかし、その夜の和田さんは真剣であった。相手を責めるのではない。当事者をそういう気持ちにさせた自分自身が裁判官としての適格を欠くのではないかという、深刻な苦悩を訴えられたのである」〉

「これは、裁判官にとって最も深刻な問題であろう」。そう思った内藤は「その夜、法をつかさどる者が負う宿命について、裁判というものの悲劇性について、夜がふけるまで和田さんと語り合った」と書いている。三淵嘉子という人の人生への向き合い方が分かるエピソードだろう。 

「自覚、家庭、環境の調整が大切」少年法への考え

 少年法「改正」問題で1970年から始まった法制審議会少年法部会の審議はドラマでも描かれた。18・19歳を「青年」として処罰を強化するという法務省の方針に対して、部会メンバーの嘉子は「寅子」同様、慎重な対応を求める。親しかった糟谷忠男(盛岡地・家裁所長)は「判例タイムズ」1984年7月号に「家庭裁判所覚書(5)三淵嘉子さんを偲(しの)んで」を書いている。それによると、嘉子は自らの少年審判の体験から説き起こし、要旨こう述べたという。

〈1. 少年審判は刑事裁判のように罪を裁いて罰を科すものではなく、少年の非行の存否とその処遇を調査、審理することによって少年の実質的な人権の実現を図るように志向すべきものである。少年の形式的な人権保護の名のもとに、少年審判に刑事手続き並みの手続きを導入することは適切でない
 

2. 少年の更生には、少年の自覚とともに、少年を取り巻く家庭および、その他の環境の調整が大切。そのためには、現行の少年審判制度と少年保護機構に不完全なところがあっても、そのよって立つ保護教育主義の原則を崩してはならない〉

「家庭裁判所覚書」は、ドラマでは「多岐川幸四郎」(演:滝藤賢一)として登場する宇田川潤四郎・東京家庭裁判所所長の官舎に嘉子と2人で呼ばれたことを記している。

〈「当時、宇田川さんは既に危篤状態であられたが、特に2人を枕元に迎えてくださり、悲痛な声で『自分は少年法改正のこと、家庭裁判所の将来が心配で、死んでも死にきれない気持ちでいる。どうか、後のことをよろしく頼む』という趣旨のことを言葉少なに語られ、最後の力を振り絞るように握手された。数日して、宇田川所長はこの世を去られた」〉

 これもドラマをほうふつとさせる。

「私は、人間というものを信じている」

「判例タイムズ」1979年11月号の座談会で嘉子はこう発言している。ドラマなら「それは愛だ」と言われるだろう言葉だ。

〈「やっぱり私は、人間を信じているということなのじゃないかな。人間というものを信じている。だから、どんなに悪いと言われている少年でも、少年と話して審判しているときに必ず、この少年はどこかいいところがあって、よくなるのじゃないかと希望を失わないです。だから、この少年をよくするために私がやるべきことがあれば、一生懸命やらなければならない。現実には失敗だらけなのですが、いつでもその気持ちは変わらない」〉

〈 「被爆者が国を訴えることなど、誰も考えなかった」『虎に翼』で描かれた“原爆裁判”の真実とは 〉へ続く

(小池 新)

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