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知育アプリで学ばせるつもりが、いつの間にか“YouTube沼”にドップリ…子育てに「iPad」を導入した住職の後悔「いい未来は見えなかった」

文春オンライン / 2024年9月29日 6時0分

知育アプリで学ばせるつもりが、いつの間にか“YouTube沼”にドップリ…子育てに「iPad」を導入した住職の後悔「いい未来は見えなかった」

写真はイメージ ©getty

〈 「学校行きたくない」と長女が不登校気味に…妻と別れたばかりの住職に訪れた「離婚後の絶望的な状況」の正体 〉から続く

「むしろ、YouTubeに依存しているのは、親のほうである。子供たちがYouTubeを見ているあいだは、親は育児から解放される。この解放感には抗しがたい力があり、ついつい子供にYouTubeを見せてしまう」

 かつて子育てのためにiPadを導入した浄土宗・龍岸寺住職の池口龍法さんだが、その目論見ははかなく崩れてしまう…。子育てに「iPad」を導入して、後悔した理由とは? 池口さんの新刊『 住職はシングルファザー 』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

 そんなわけで、離婚したての私の目の前にあったのは絶望的な状況だった。とにかく、育児初心者でも実践できる当たり前のことから、積み重ねていくしかないと思った。

「千里の道も一歩から」「ローマは一日にして成らず」という格言に似た言葉で、仏教には「車に乗る人は涅槃に至る」というのがある。今の自分が、「さとり(涅槃)」というゴールからいくら遥か離れていたとしても、その終着点に向かう車に乗って生きていれば、やがてはたどりつく。もともとの経典の言葉は実はもう少し長く、「車に乗る人は、男性であれ女性であれ涅槃に至る」と、当時地位の低かった女性にも、さとりが平等に訪れることを説いている。要するに、自分の置かれている境遇や立場などを嘆いたところで無駄で、それよりは前へ向かっていくことのほうがよほど大切なのである。

 家族において最初の一歩は、メリハリのある規律正しい生活だと思った。特に、iPadに子守を任せるのではなく、子供ときちんと向き合うところから始めることにした。

 もちろん、タブレットやスマートフォンが、育児の役に立つと考える家庭もあるだろう。これは、各家庭で判断が分かれるところではないか。

 うちの場合は、タブレットやスマートフォンを、率先して子供に使わせていた。

iPadを育児に取り入れたのはいいものの…

 長女が誕生したのと同じ2010年に、初代iPadもこの世界に生を受けた。間もなくして我が家にiPadがやってきた。娘はiPadがいつもそばにある環境で育ってきたから、立って歩けるようになると、テレビの画面をiPadのようにタッチしたりスワイプしたりして、何も反応がないことに驚いていた。私たち夫婦は、娘が驚いているその様子に驚いた。

 iPadを購入した時は、知育アプリで知識を身につけたりするのには便利だし、あわよくば子供が知育アプリを使っているあいだに家事を……という目算があった。ネイティブが歌う「ABCの歌」を繰り返し聞いた娘は、いつの間にか、親よりも綺麗に英語を発音するようになっていた。知育アプリならではの教育である。だが、子供が従順に知育アプリで学び続けるはずはない。振り返った時に落胆とともに目にするのは、知育アプリなどそこそこに、いつの間にかYouTubeの沼地にはまり込んで、いつまでもそこから抜け出せない子供たちの姿だった。

 いや、抜け出せないのは子供だけではない。むしろ、YouTubeに依存しているのは、親のほうである。子供たちがYouTubeを見ているあいだは、親は育児から解放される。この解放感には抗しがたい力があり、ついつい子供にYouTubeを見せてしまう。

「30分だけ」とか「1時間だけ」とか、時間を決めて使っていた時期もあったが、そのルールもいつしか失われ、下手をすると家にいるあいだずっとYouTubeをつけっぱなし。私が法事などを終えて帰ってきても、子供たちはiPadに釘づけで挨拶をしようともしない。さすがにイラッとして、「YouTubeばっかりはよくないよ」と注意したら、「じゃあ、あなたが子供と遊んでやってね」と背後から妻の冷ややかな声が響く。 

 私も、疲れた体を押してでも幼い子供と遊んでやるべきだと頭では理解しながら、YouTubeに子供を任せてホッと一息つきたいという欲望に、しょっちゅう打ち破られた。白旗をあげてしまうと、あとは楽なものである。YouTubeの音が家庭ににぎやかに響き、一日がおだやかに過ぎていく。現代では、「子はかすがい」ではなく、「iPadはかすがい」なのである。

「今まで十分YouTube見たからしばらく見んでもええやろ」

 しかし、こんなルーズな生活習慣を続けていたら、子供はどんな風に成長していくだろうか。いい未来は見えなかった。「またYouTubeばっかり見て!」と子供を責めて改善をうながしたが、大人でさえYouTubeを見始めたら関連動画をたどっていくらでも時間を溶かすのに、小学校低学年や幼稚園の子供が、時間を決めてYouTubeを見るなどどうしても無理な話である。

 いっそ取り上げようと決めた。

 何度も修行生活に入っている私は、人間というのは環境が変わっても順応して生活できることを知っている。要らないものを断捨離すれば、やがて心が穏やかになることを知っている。

「今まで十分YouTube見たからしばらく見んでもええやろ」と告げた。

 子供たちは「友達はみんな見てるのに……」と悲しそうだったが、譲らなかった。ついでにテレビやゲームの時間も極力減らし、親子が会話する時間を増やした。そして、寝不足にならないように、決まった時間に寝て、決まった時間に起きるように心掛けた。生活のリズムを整えていくことが、娘の不登校を解消するためのいちばんの薬にちがいない。そう言い聞かせながら、一日一日を過ごしていった。

(池口 龍法/Webオリジナル(外部転載))

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