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バブル崩壊で芸者激減、街から人が消えて“シャッター商店街化”…山梨県の“ナゾの歓楽街”「石和温泉」がそれでも衰退しなかったワケ

文春オンライン / 2024年11月23日 17時0分

バブル崩壊で芸者激減、街から人が消えて“シャッター商店街化”…山梨県の“ナゾの歓楽街”「石和温泉」がそれでも衰退しなかったワケ

現在の石和温泉(筆者撮影)

〈 「客から100万円のチップをもらった子もいます」1000人の芸者がいた山梨県の“ナゾの歓楽街”「石和温泉」バブル時代の“凄すぎる熱狂ぶり” 〉から続く

 昭和の街並みが残る歓楽地を訪ね、人に会い、飲み、話を聞いてきたノンフィクション作家・フリート横田が、一大歓楽地として知られた山梨県の石和(いさわ)温泉を訪れた。往時の繁栄、そしてバブル崩壊後、さらにはコロナ禍を経た現在の温泉歓楽地をどう見たのだろう。(全2回の2回目/ 1回目 から続く)

◆◆◆

石和の治安に不安要素が増し、暴力団経営の芸者置屋も生まれた

 歓楽のにぎわいは、石和に別の顔も招来した。山下安廣氏(昭和48年創業の旅館「きこり」のオーナーで、石和温泉観光協会の会長)は往時を回想する。

「あのころ、社員旅行で夫たちが石和へ行くというと、奥さんたちは反対したようですね。それと、エージェントさんが入っての団体旅行で、バスでお客さんたちが来るとき、ガイドさんが『石和温泉は外に出ると怖いので出ないでください』とアナウンスすることさえあったんです」

 盛り場の治安に不安要素が増していった。飲食店の一部にはぼったくり店ができ、暴力団の影も通りにちらつきはじめた。外部から来た組織と地場の組織の衝突が起きたこともある。さらには、一部に暴力団経営の芸者置屋も生まれた。

 それに「芸者と裏」、とせずとも、手っ取り早く色を買うこともできるようになっていった。街にはそれを担うアジアの女性(タイ、フィリピン、台湾の女性たち)が多数送り込まれ、メディアでも「じゃぱゆきさん」として週刊誌等で取り上げられるように。電話で予約を取る無店舗型か、飲み屋に擬態した方式を取っており、業者は地下化、誰がどのように女性たちを動かしているかも判然としなかった。

施設内にクラブやスナックを設けるホテルが相次いだ

 こうした街の変化に、しだいに旅館側の体制が変化してきた。信頼できる置屋と提携して関係を深めるのはもちろんのこと、自分たちの施設内にクラブやスナックを設けるホテルが相次いだ。客はおもてへ出なくてもよくなったのだ。言うなれば「施設内で歓楽が完結する」状態。

 現在の「湯けむり通り」を歩いてみて私が痛感したのは、射的や土産物屋、温泉まんじゅうや温泉卵の食べ歩きのような「街歩き体験」ができる店が通りに見当たらないこと。昭和後期から平成初期にかけて、内向きに再構成された街の構造は、基本的には現在まで引き続いている。

「だんだんコンパ、コンパになってきて」芸者は温泉コンパニオンに置き換わった

 そして90年代以降、芸者に代わって台頭してきたのが、温泉コンパニオンだった。ぽん太(元置屋経営者の女性・花田千恵子さん〈74歳〉の昔の芸名)はこの業態を「コンパ」と呼ぶ。

「だんだんコンパ、コンパになってきて。お客さんもそのほうがいいって。芸者が呼ばれるときは、『今日は芸者だからね』って言って、女の子に着物を私が着せて。これで女子大生が芸者になる。芸はできませんけどね」

 バブルが崩壊したころには、芸者はほとんどコンパニオンに置き換わっていった。長引く不況によって社員旅行も数をぐんと減らしていき、ぽん太は10年ほど前に置屋を廃業した。

「最後のころは、着物着ることは減って、ほとんどコンパ。それかスーパーコンパニオンですね」

「スーパー」はより過激な接客を売りにしたコンパニオンである。

通りを歩く人は依然少ないが、廃墟ホテルがない!

 そして今、石和の温泉地はどうなっているのだろう。

 約20年前、平成15年の観光客の延べ人数は約440万人(※3)であったものが、コロナ禍の打撃を受けた令和2年には、約105万人にまで落ち込んだ(※4)。コロナ禍が落ち着いた令和4年には約195万人にまで回復してきている。近年二本、観光の柱が立ち上がってきた。

 令和の石和に暴力団の影などむろん一切なく、ぼったくり店もない。しかし通りを歩く人は依然少ない。それでもほとんどの宿が稼働しているようだ。山下氏に聞いた。昭和期に隆盛を誇った温泉地だと放置された廃墟ホテルが寒々しい風景を作っている場合がありますが、石和では目につきません。

「そうなんです。(廃墟ホテルは)石和にはありません。皆買い手がつくんです」

 その理由として、山下氏は団体客を取り込めるポテンシャルをあげた。高度成長期にはいってから整備された温泉地のため、たとえば各ホテルとも駐車場を大きくとってあり大型観光バスもなんなく入れられる。首都圏からの近さも価値を見出されている要因として加えていいだろう。

 買い手は、おもに中国系企業である。こう聞くと地場の日本企業との関係に不安はないのか心配になるところだが山下氏は否定する。ゴミの出し方などで初期は認識の違いが起きたが今では修正し、彼らも旅館組合や観光協会に加盟してくれてもいるという。

現在の石和では、外国人観光客がホテルへと吸い込まれていく

 私が取材で訪れた日も観光バスから続々と外国人観光客がホテルへと吸い込まれていく風景がみられた。現在多いのは、タイ、台湾、香港、ベトナムなどからの観光客だ。温泉ももちろん彼らの目的にあるが、夏場、ぶどうなどのフルーツピッキング需要が大きい。コロナ禍によって令和3年には約2.5万人まで激減した石和への外国人来客数はふたたび増加に転じ、令和4年には約17万人ほどまでに回復してきている。

 もう一本の柱は意外だった。医療的側面からの観光である。

 コロナ禍中、落ち込む温泉地に、観光庁から「地域一体となった観光地・観光産業の再生・高付加価値化事業」ということで、各旅館に施設改修費の半額までの補助金が出ることになった。無色透明、石和のアルカリ単純温泉は肌触りが良く湯あたりしにくいと言われ、リハビリに適した泉質と医療関係者から以前より評価されていた。各温泉旅館はここに着目し、バリアフリー化を進めていったのだ。笛吹市観光商工課の中山陽介氏はいう。

「石和温泉地域だけで7つもの温泉病院、リハビリテーション病院があるんです。各ホテルさんが、たとえば車椅子でも利用できるユニバーサルデザインを取り入れた施設へと改装したり、身体に障がいがあっても温泉を利用できるように、医師会や旅館組合と研究も続けています」

 高齢や障がいの有無にかかわらず、誰もが安心して楽しめる旅行を、「ユニバーサルツーリズム」と呼び、石和でも取り組みが進む。リハビリ患者とその家族の需要が近年生まれてきた。また、これまで3部屋だったスペースをゆったりと2部屋に仕立て直したり、大広間をラウンジに改修したりと、団体向けの画一さからの脱却を図り、客層も団体から個人、男性客たちから家族連れへの転換もはかろうとしている。

今でも夜になるとネオンがギラギラと明滅する

 インバウンドとリハビリ。二本柱が大いに伸びていくことを期待したいがそれでも、やっぱりもうひとつ加えていただけないだろうか。大いに個人的希望が入っているが、ふたたびの「歓楽」を。

 石和温泉が培ってきた街の特性をこれからも生かし、強調すべきだと私は思う。

 食べ歩き店や体験型スポットのない「湯けむり通り」は、たしかに昼はさびしく見える。しかし日が暮れれば1.5キロの一本道には、今でもネオンがギラギラと明滅する。

 ただ、かつて建物があったところがところどころ取り壊され空き地になっていたり、数軒ずつ飲み屋を並べた長屋状の建物のいくつもが、シャッターがおりてもいる。

 このあたりをテコ入れするのは難しいのだろうか。……とまずは思ったのだが、地元も手をこまねいていたわけではなかったのがすぐに分かった。笛吹市は歓楽街にだいぶ理解のある自治体といっていい。コロナ禍中には、「お座敷プラス」なる名称で、芸者置屋に補助金を出したこともあるくらいなのである。

空き店舗を借りようとする人に補助金を出す施策を行ったが…

 市はあらたに独自事業として、空き店舗を借りようとする人に補助金を出すことに決めた。この施策、「ランチを提供すること」を大きな条件としている。しかし、山下氏はため息をついていた。

「市だけではなく、家主さんや銀行も協力して取り組んだんですが……結局、そこまでは入ってこなかったんです」

 それでも令和5年度は5軒、令和6年度は3軒ほどが新規オープンに漕ぎつけている。空き店舗はほとんど放置されたままの地域も多い中、健闘していると私は思う。飲み歩くうち、さらなる光明もあるように感じた――。

元気があるのは外国人スタッフによるパブ

「湯けむり通り」は、居酒屋やレストランはさほど多くないもののパブ・スナックがいまだ相当数ある。「70~80軒はまだスナックがある」と山下氏も言う。

 なかでも元気があるのは外国人スタッフによるパブ。タイ人、フィリピン人を中心に一部南米系の方が働く店もある。昭和期とは違い、在留資格もむろん問題ない。年齢層は40代以降の方が多く、キャバクラなど日本人による社交飲食店と比すと高めだが、その分、客を盛り上げる勘所を押さえている。値段も手頃だ。旅館の浴衣を着て中国語のカラオケを歌う香港や台湾からの観光客を外国人スタッフがもてなす、そういうある種不思議な光景も珍しくなくなってきた。

 パブで働くこうした人々が独立して自分の店が持てるような家賃や条件面の優遇策ができないだろうか。そしてホテル側との連携も強めてはどうだろう。すでにホテル側では、客を施設内に囲い込むのはやめて、「外へ楽しみに出かけること」を客に勧めるムードもできている。

 山下氏によれば、大きな理由は「人手が足りないから」。従業員不足に悩む旅館と、至近のパブが連携した料金プランや、コースを設定できないだろうか。「湯けむり通り」は一本道である。直線的にお店を飲み歩くスタンプラリーなどもやりやすい。

長期的な賑わいを生んでいくには?

 一時的に客寄せイベントを打っても、長期的な賑わいというのは生まれにくいものだ。「何かを持ってくるのではなく、障壁を減らす」策が重要に思える。芸者置屋もいまだ数十軒が健在だ。芸者衆との外への飲み歩きプランを設定してみるのも面白い。女性客の利用も見込めるかもしれない。まずは旅館、芸者、置屋、三者の話し合いが必要になってくると思うが。

 一方的に奪う構造がないのであれば、夜の歓楽は一方的に否定される悪しきものではない。「あの一角は、なんだかにぎわっている」という界隈が通りに生まれ、地域に認知され出せば、きっと若い人々もバーをやってみたい、レストランをやってみたい、と続いていく。

 通りを何度も行き来しつつ、何軒目のハシゴ酒かもわからなくなりつつも、ほどよい値段で安全に飲ませてくれた温泉街のシャッターが、ふたたびあがっていくことを私は願った。

〈(※3)「週刊現代」昭和49年2月14日号
(※4)「週刊新潮」昭和59年10月4日号〉

(フリート横田)

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