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体重45→36キロに激減、肌は黒ずみ、身体はガリガリに…24歳で“悪性の希少がん”を患った現役グラビアアイドル(26)の壮絶な闘病生活

文春オンライン / 2024年11月23日 10時50分

体重45→36キロに激減、肌は黒ずみ、身体はガリガリに…24歳で“悪性の希少がん”を患った現役グラビアアイドル(26)の壮絶な闘病生活

グラビアアイドルの藤乃あおいさん ©橋本篤/文藝春秋

〈 24歳で“悪性の希少がん”発覚、医者から「腫瘍が大きすぎて、窒息死するかもしれない」と…現役グラビアアイドル(26)が語る、がん宣告までの経緯 〉から続く

 21歳での芸能界デビュー後、24歳で顔面や頚部(けいぶ)の深い位置に腫瘍ができる希少がん「副咽頭間隙腫瘍(ふくいんとうかんげきしゅよう)の横紋筋肉腫」と診断されたグラビアアイドルの藤乃あおいさん(26)。2023年1月から同年末にかけての抗がん剤治療を経て、2024年9月には活動復帰を遂げた。

 代名詞となる、Iカップの「加賀百万石バスト」も復活。しかし、がん発覚から現在までの道のりには「いつ復帰できるんかな」と、不安の続く闘病生活もあった。一時は不意の感染症にかかり、心も身体もボロボロになった経験も。笑顔を取り戻すまでにあった軌跡とは。(全2回の2回目/ 1回目 から読む)

◆◆◆

がんと診断された際、母とふたりで涙を流した

――娘が副咽頭間隙腫瘍の横紋筋肉腫、すなわちがんを患ったと知って、親御さんはどんな反応をされていましたか?

藤乃あおいさん(以下、藤乃) 母は故郷の石川県から上京して、検査中も常に付き添ってくれていたんです。がんだと聞いたときは、だいぶショックを受けていましたね。副咽頭間隙腫瘍は90%が良性といわれているのに、私が残り10%の「悪性」だと診断されたのを受けて、おたがいに泣いちゃって。結果を聞いた当日の帰り道では「これからどうしようか」と、会話しました。

――がん治療では妊娠する力、すなわち「妊孕性(にんようせい)」が損なわれる可能性の説明もあったかと思います。

藤乃 説明を受けて、泣きました。結婚願望があるかといわれれば、特に……という感じですけど、親も歳を取っているし、やっぱり「孫の顔は見せたい」と思っていたんです。抗がん剤治療で入院するまでの数日間は自宅で母に「どうしよう」と言っていて。でも、母は「孫は孫でかわいいけど、ママの大事な娘はあんたやねんから」と言ってくれました。

――万が一に備えて、妊孕性の温存療法は?

藤乃 私の場合は、腫瘍がピンポン球大にはれあがり窒息死するおそれもあったし、24歳の1月末にすぐ抗がん剤治療をスタートしなければいけなかったので、最初は妊孕性温存の余裕がなかったんです。でも、2月半ばには「間に合うかもしれない」と言われて、卵巣を凍結保存しました。

お風呂に入っていたら、髪の毛がごっそり抜けて…

――抗がん剤治療の期間は2023年1~12月で、のべ11ヶ月間に渡りました。その間、入退院を繰り返したそうですね。

藤乃 2種類の抗がん剤を使って、1種類は1週間に1回の投与で数週間繰り返す流れだったんです。もう1種類は5日間連続での投与が必要で、先生が抗がん剤を組み替えながら治療してくれたので、入退院のペースはまちまちでしたね。1週間で退院する期間もあれば、3週間の入院後に4日間退院して、また3週間入院した期間もあって。

 1つの期間がクールと呼ばれるので、結果として14クール。入院中は「いつ終わるんやろ……」と、不安もあったんですけど、1年の予定が少しちぢまってホッとしました。

――かつては肩をも超えるほどの長さのロングヘアでしたが、ショートカットになったのは、抗がん剤治療がきっかけだったのでしょうか?


藤乃 はい。いずれ髪の毛が抜けるとは聞いていたし、治療がはじまってすぐは「自分の髪の毛でウイッグを作れんかなぁ」と思っていました。でも、想像より抜けるのが早かったんです。

 抗がん剤治療のスタートから2週間ほど経った頃、病院のお風呂で髪の毛を洗っていたら両手でフワッと抱えられるほどゴッソリ抜けちゃって。苦手なホラー映画のワンシーンを思い出して「怖いし無理や……」と思ったので、風呂上がりに付き添いの母に「今から切るわ」と言って、文房具のハサミでバッサリとボブぐらいまでカットしました。

「心も身体もボロボロでした」肌が黒くなり、口内炎で口の中がデコボコに

――髪の毛が抜ける以外にも、抗がん剤の副作用はありましたか?

藤乃 入院後は外出しないから「肌が白くなるな」と思っていたのに、首から下が黒くなったんです。一時退院中、風呂上がりに母からも「黒くなったよね」と言われるほどでした。

 よく聞く吐き気はなかったんですけど、お腹がゆるくなってトイレにもこもっていたし、免疫が下がるので口内炎もひどかったですね。歯茎から舌の裏側まで、口の中がデコボコで真っ白になって。感覚を麻痺させるためのうがい薬を5~10分に1回は使って、痛みを抑えていました。

――闘病中、2023年8月にはX(旧ツイッター)で「弱りすぎてる、、です、、、」とこぼしていました。

藤乃 9月頃まで、落ち込んでいました。当時、身体のピック(点滴などを入れるために血管へつなぐ管)から菌が入ってしまい、感染症にかかって高熱を出しちゃったんです。処方してもらった抗生剤が合わなくて、腎臓をやられてしまい、血尿が出て、顔も足もパンパンにむくんでしまって最悪でした。

 ご飯も食べられないまま、4人部屋から個室のクリーンルーム(無菌室)に移されて、頭痛がひどく、何もできないし動けないしで、心も身体もボロボロでした。


「ガイコツみたいになっちゃった」体重は45→36キロに激減

――体型にも支障が出ますし、グラビアアイドルとしてのお仕事に対する不安も?

藤乃 ありました。入院時に45キロくらいあった体重が、36キロまで減っちゃって。ガイコツみたいになっちゃったので「キレイに身体が戻るんかな……」と不安でしたね。胸のサイズも3~4つぐらい下がって「この姿で現場に戻るの嫌やな」と思っていました。

 抗がん剤治療と合わせて受けた放射線治療の影響で、味覚もおかしかったんです。食べ物を口に入れてもジャリジャリとした砂みたいで、普通の水を飲むと甘すぎるし、唯一、まともに味を感じられたウイダーinゼリー(現・inゼリー)をちょろちょろっと食べていました。

――25歳となり、2023年末で闘病生活が終わって。2024年9月の活動復帰までは?

藤乃 ずっと「早く活動復帰したい」とは思っていました。でも、入院生活で筋肉が落ちていたし、10分歩いて帰ったらすぐ寝込んでしまうほど、体力がおちていたので「いつ復帰できるんかな……」と不安で。

 退院後の2月に開催したオフ会でファンクラブのみなさんと会えたのが楽しくて、ようやく「復帰したい」とプラスに思えるようになりました。

復帰後も、土踏まずからつま先にかけてしびれが残っている

――復帰のために、ボディメイクなどの苦労も?

藤乃 いえ、ありません。昔から、トレーニングとかはしていなくて。復帰するまでは地元の石川県に帰っていて、実家にいるワンちゃんと一緒に散歩する程度でしたね。身体の後遺症もあって、退院後に横断歩道の信号が点滅しはじめたので走ろうと思ったら、走り方が分からなくなってアタフタした時期もありました。

 ヒールやパンプス、スリッパのように、つま先に力を入れる靴もはきづらくて。土踏まずからつま先にかけてしびれが残っていて、階段でも下りは踏みはずしそうで怖いです。

――抗がん剤によって抜け落ちた髪の毛は、いかがでした?

藤乃 2月頃から、生えてきました。ヒナ鳥の産毛のような状態から少しずつ。まゆ毛やまつ毛もですね。3月頃には野球少年のような坊主頭になり、そこから一気に伸びて、今の髪型に落ち着きました。

 ここまで短い髪型で暮らすのは人生初で、ずっと長かったので、最初はセットの仕方が分からなかったです。美容室で何となく教えてもらって、使っていなかったワックスも買い、細いヘアアイロンも買って、自分なりにスタイリングできるようになりました。


「花屋さんでわざわざ桜を買ってきてくれた」入院中に支えてくれたグラビア仲間の存在

――日常生活が戻ってきて、SNSでのがん告白について反響もあるのでは?

藤乃 私と同じ横紋筋肉腫を発症してしまった息子さんを持つ女性から、実体験と合わせて「がんばってくださいね」と書かれた手紙が来たのは、うれしかったです。その方は、がんを告白した記事を見て私を知ってくれたそうで。別の記事が出てからは、応援コメントもたくさん届きました。

――今振り返って、闘病生活を支えてくれたものって、何だと思いますか?

藤乃 家族はもちろん、友だちもですね。女優さんで、グラビア仲間の未梨一花ちゃんは入院中、毎週のようにお見舞いに来てくれて、桜の季節には「桜を見られないだろうから」と、花屋さんでわざわざ桜を買ってきてくれました。

 地元の友だちも故郷の石川県から日帰りでお見舞いに来てくれたし、デビュー当時からずっと応援してくれているファンのみなさんからは、寄せ書きやパジャマもいただきました。周りのみんなに支えられて、ありがたかったです。

――僕らの想像など及ばない辛さもあったとは思いますが、藤乃さんの人生において、価値観が変わるほどの経験にもなったのかなと。

藤乃 周りの人が温かくて、私は恵まれてるなって再認識できました。ありがたみを感じられたのは大きくて、関わってくださる方を、もっと大事にしたいと思いました。いずれ故郷に帰りたいとは思いますけど、復帰した今は、グラビアのお仕事に限らず、やれることを愉しみながら張り切ってやっていこうと思っています。

撮影=橋本篤/文藝春秋

(カネコシュウヘイ)

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