小室圭さん「アメリカ留学3年」“戸惑い”の根底にあるもの

文春オンライン / 2018年7月13日 11時0分

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皇居・宮内庁 ©時事通信社

 2018年6月26日、高円宮家の三女・絢子女王(27)が日本郵船に勤務する守谷慧さん(32)と結婚の準備を進めていることをNHKがスクープ、その後、マスコミ各社は後追いして一斉に10月29日に二人の結婚式が行われる旨の報道を展開した。「生前退位」報道を代表的な例として、NHKは近年皇室に関するスクープを連発しているが、この結婚報道もまさにそうであった。

 翌日の朝刊では、守谷慧さんの人となりが紹介されている。慶応大学文学部を卒業し、日本郵船に勤務していること、父親や亡くなった母親の経歴、そして本人の趣味がマラソンやトライアスロン、スキーなどで、各地で大会に参加していることなど。近年の皇族の結婚では、相手の人格がどのようなものであるのか、紹介されることが多い。また、宮内庁の発表を引用する形で、絢子女王と守谷慧さんの出会いも紹介している。絢子女王の母親である高円宮久子妃の紹介で、絢子女王が国際的な福祉活動に興味を持つきっかけになれば、と引き合わせたという(『朝日新聞』2018年6月27日など)。

 その後、7月2日に婚約が内定、宮内庁の加地隆治宮務主管が記者会見した後、絢子女王と守谷慧さんによる記者会見が行われた。それを伝える報道では、より詳しく出会いなどについて紹介され、友人の次のようなインタビューも掲載されている。

〈絢子さまは守谷さんについて「本当に優しくて、自分の考えを持っているところが尊敬できる」と話したという。「お二人ともグルメでお酒も好き。お食事デートを重ねたようです」〉(『朝日新聞』2018年7月2日夕刊)

 また、お互いをどう呼んでいるかと質問された様子も次のように紹介される。

〈互いに「慧さん」「絢子さん」と呼んでいるという。守谷さんは「本来は宮さま、絢子さまとお呼びするべきかと存じますが、街中でお呼びすることを考慮するように、というお話がございましたので」と記者団の笑いを誘った〉(『朝日新聞』2018年7月3日)

 このように、二人の関係性を示すエピソードなどがほほえましい形で紹介されるのが、近年の皇族の結婚報道の時に見られる特徴である。それも仲の良い、しかし皇族の結婚らしい話題(ここでは呼び方を「さん」にするのか「さま」にするのかという点)があることも多いように思われる。

「海の王子」というキャラクターが全面に出た小室圭さん

 これは、結婚延期となってしまった秋篠宮家の長女・眞子内親王(26)と小室圭さん(26)の婚約報道の時にも同様であった。ただし、内親王と女王の違いからか、眞子内親王の時には小室圭さんの人となりが守谷慧さんよりも詳しく紹介され、記事や報道の量も多かった。また、眞子内親王と小室圭さんの婚約報道では、その後に週刊誌で様々な個人的な問題や小室家に対するバッシング報道がなされたためか、今回の守谷慧さんの人となりに関する報道のトーンは新聞各紙ともにやや抑制的と思われる。プライバシーにより配慮しているとも言えるだろうか。「海の王子」というキャラクターが全面に出た小室圭さんに対し、守谷慧さんに関する報道はその人格を比較的淡々と紹介するような記事になっているのも特徴だろう。

 いずれにせよ、降嫁して私たち一般の人々と同じ地平に降りることを好意的に記しつつ、しかし、女性皇族が減少することによって公務を担う人々が減少していく問題点に言及するのが、近年の女性皇族の結婚をめぐる報道である。

昭和天皇の皇女たちはどんな家柄の男性と結婚するのか

 この特徴は戦後ずっと変化していないのだろうか。実はそうではない。戦後直後の様子を見てみよう。近代天皇制下では、天皇の娘である皇女は皇族と結婚する慣例にあった。しかし1947年に11宮家の皇籍離脱が実施され、また華族制度も廃止になったことから、昭和天皇の娘たちが誰と結婚するのかが注目を浴びることになる(長女の照宮成子内親王はすでに戦前に東久邇宮盛厚王に嫁いでおり、次女の久宮祐子内親王は夭折)。

 三女の孝宮和子(たかのみや・かずこ)内親王は当初、本願寺法主の長男・大谷光紹(おおたに・こうしょう、いとこにあたる)との婚約内定が報道される(『読売新聞』1949年11月23日)。この記事で特に強調されている点として、孝宮が「主婦勉強に磨き」をかけていることがあげられる。つまり、慣例として皇族に嫁いでいた皇女が一般家庭に嫁ぐからこそ、これまで取り組んだこともないような家事もこなさなければならない。そうした思考がここに存在していたのだろう。こういった報道は、近年ではずいぶん少なくなったのではないか。おそらく、皇族の女性は「世間から外れている存在である」というイメージが薄れており、家事を女性のみが担うという前提が崩れかけているからではないだろうか。その点で変化が生じたのである。

結婚相手の人格より「家柄の良さ」が強調された

 三女の孝宮和子内親王は結局、大谷光紹とは破談になり、五摂家出身の鷹司平通(たかつかさ・としみち)との婚約が1950年に内定し、結婚に至る。四女の順宮厚子(よりのみや・あつこ)内親王も翌1951年に旧岡山藩主家・元侯爵家の池田隆政との婚約が決まり、結婚する。この二つの結婚でも、現在と同じように結婚相手の人となりは紹介されている。しかし、その扱いは意外なほどに小さい(略歴が記されるのみの記事もある)。そしてそれ以上に強調されているのは、その家柄である。孝宮の場合、元公爵で、「五摂家の名門」としての鷹司家に関して記事が掲載され、その家柄の良さが強調されている(『朝日新聞』1950年1月27日)。五摂家とは、古代から続く藤原氏の流れを持つ家である。近衛・九条・鷹司・一条・二条の五家で、天皇を代理する摂政や関白に任じられるような名門であった。

 順宮の場合は、もう少し池田隆政に関する紹介も増えているが、「元侯爵長男」であることが見出しで強調されるなど、やはり家柄を伝えようとする意図が見える(『朝日新聞』1951年7月11日)。つまり、結婚相手の人格よりも、その家柄がいかなるものなのか、ということに力点が置かれていた。これは、戦後の象徴天皇制となって、先に述べたように、皇女の結婚相手がこれまでとは異なる家柄から選ばれる可能性が高くなったため、どのような家なのかに注目していたからだと思われる。また、戦後数年では「家と家との結婚」という観念がまだ残存していたからこそ、家柄に注目した報道がなされたのだろう。

 そして、皇族の結婚報道の転機は、明仁皇太子と正田美智子さんとの婚約発表から結婚に至る「ミッチー・ブーム」だと思われる。「平民」出身であることが強調され、その家柄にも注目されたことは確かである。しかし、折からの週刊誌創刊ブームに乗って展開された皇太子婚約報道は、新しく皇太子妃となる美智子さんの人となりを描き出していく。「恋愛」と言われた二人の結婚は、日本社会にも大きな影響をもたらし、見合いよりも恋愛に基づく結婚が増加していく(河西秀哉 『天皇制と民主主義の昭和史』 人文書院、2018年など)。こうして、「家と家との結婚」という観念は次第に薄らいでいったのである。

「私が選んだ人を見ていただきます」

 その後、昭和天皇の五女・清宮貴子(すがのみや・たかこ)内親王と島津久永さんとの婚約が発表された時、その見出しでは「皇太子の学友」と記され、もちろん家柄に関する報道もあるものの、日本輸出入銀行に勤務していること、「趣味は読書、音楽、囲碁といった地味なタイプ。皇太子さまや清宮さまほどにはスポーツ好きではないようだ」と記されるなど、人柄に関する報道が全面に出る構成となった記事が掲載された(『朝日新聞』1959年3月19日夕刊)。ここで、現在の皇族の結婚をめぐる報道の原型が登場したのではないだろうか。婚約発表の約3週間前に、清宮貴子内親王が二十歳の成年皇族になるに当たっての記者会見で「私が選んだ人を見ていただきます」と語ったことも、当時は驚きをもって受け止められた。実際そうであるかは別として、女性皇族個人が結婚相手を選ぶ、ということがより印象づけられたとも言えるだろう。

 秋篠宮紀子妃、雅子皇太子妃の結婚、および紀宮清子内親王(現・黒田清子さん)と黒田慶樹さんとの結婚においてもそれぞれの人柄がエピソードとともに伝えられる報道スタイルが確立してきた。このように、皇族の結婚をめぐる報道の中にも、戦後社会のあゆみが見えてくるのである。

なぜ小室圭さんの個人的な問題が、取り沙汰されるのか

 最後に、なぜ眞子内親王のお相手である小室圭さんのキャラクターや個人的な問題が、これほどまでにマスメディアによって取り沙汰されているのか、あらためて考えてみたい。皇族の結婚報道の転機となり、「恋愛」と言われた明仁皇太子と正田美智子さんの結婚とその後の家庭生活は、二人の子どもである浩宮徳仁親王・礼宮文仁親王・紀宮清子内親王に大きな影響を与えたのではないだろうか。つまり、「ミッチー・ブーム」の系譜が、どのように現代に受け継がれているかを考察することは非常に興味深い。

 明仁皇太子と美智子皇太子妃は、戦後の象徴天皇制下での「恋愛結婚」に先鞭をつけたとも言えるのだが、周囲の期待に比して、浩宮や紀宮の結婚はやや遅れることとなり、かたや「長い春」を経た礼宮と川嶋紀子さんの婚約は、イギリス・オックスフォード大留学からの一時帰国中、昭和天皇の喪中にもかかわらず発表されるという事態になった。それは結果として、皇族の「恋愛結婚」の難しさを浮き彫りにしたのではないか。

 そして、秋篠宮家の長女である眞子内親王も、「ミッチー・ブーム」の系譜に連なる一人だろう。戦後直後のような、旧家同士の結婚ではなく、「恋愛」によって「お相手」となった人物だからこそ、小室圭さんにまつわる様々な事柄が、過剰とも言えるほど国民の関心を集め、マスメディアの報道も今なお過熱しているという見方ができる。また、小室家に対するバッシングの中には、どこか旧来的な「家と家との結婚」を是とする意識が根底にあるのではないだろうか。そうしたズレが生んだ事態とも言える。

 眞子内親王の父である秋篠宮文仁親王は、2年のオックスフォード大への留学中に、婚約内定記者会見を行った。小室圭さんは、8月にアメリカ・ニューヨークのフォーダム大ロースクールに入学する予定で、計3年間学ぶことを希望しているという。アメリカ留学を前に、結婚について、どのような思いを抱いているのだろうか。

(河西 秀哉)

文春オンライン

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