“スピードスター”赤星憲広、プロで活躍の原点は春の甲子園での2度のエラーか

Business Journal / 2020年4月6日 5時30分

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 本来、3月は選抜高等学校野球大会(センバツ)、すなわち春の甲子園が開催されているはずだったが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて今年は開催が見送られることとなった。そこで、甲子園好きの読者のために、「春の甲子園にしか出場していないが、その後プロに進み、活躍した選手」を紹介するこの連載。第3回は赤星憲広(元阪神タイガース)。

 昨シーズンのセ・リーグ終盤戦に怒濤の6連勝で3位に滑り込み、見事にAクラスを確保した阪神タイガース。その最大の原動力ともいえるのが、2018年のドラフト1位入団でセ・リーグの新人最多安打記録となる159安打を放った近本光司だろう。さらに近本は、盗塁数も36をマークして盗塁王を獲得。プロ1年目で盗塁王に輝いたのは日本プロ野球史上、近本が2人目という快挙でもあった。

 そして、である。この近本より前に新人で盗塁王に輝いた第1号も、同じ阪神の選手なのだ。01年に39盗塁をマークして新人王も受賞した“スピードスター”赤星憲広がその人である。

 小学生時代の赤星は、実は右打ちだった。それが中学入り、自慢の脚を生かすために左打ちに変更。そしてそのまま高校へ入学する。1992年春のことだった。進学に際し選んだ学校は、地元愛知県の大府高校。当時も今も愛知県の高校野球界には、中京大学附属中京高校、東邦高校、愛知工業大学名電高校、享栄高校という「私学4強」と呼ばれる強豪の甲子園常連校があるのだが、大府は全国的には無名の公立校だった。

 それでも、赤星があえて大府に進学した理由は、「ただ野球のために進学するのではなく、スポーツと勉強の両立が可能だから」と明かしている。大府は赤星の入学以前に夏2回、春1回の甲子園出場を果たしており、県立高でありながら甲子園を目指せるイメージがあったのである。野球強豪校に勝って甲子園へ――。その強い思いを持って進学したのだった。

 そしてその強い思いが早くも結実する。92年秋の新チーム結成時に1年生のなかでただひとりベンチ入りを果たした赤星は、チームの県大会&東海大会優勝に貢献。結果、見事に翌93年の春の選抜第65回大会に出場を果たすこととなるのである。

 その注目の初戦の相手は、駒澤大学附属岩見沢高校(北海道)。赤星は背番号11を背負い、2番セカンドで出場。打っては1安打を放つなど2度出塁したのだが、盗塁は0。のちにプロの世界で大きな武器となる自慢の快足を披露することはできなかった。だが、打撃以上に致命的だったのが、守備だった。なんと1点をリードした3回表に2死二、三塁のピンチを迎えると、逆転につながる手痛いエラーを犯してしまったのだ。

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