財界の重鎮・牛尾治朗氏、安倍首相と姻戚関係だった…小泉構造改革の“陰の司令塔”

Business Journal / 2020年6月5日 6時20分

 牛尾治朗氏は1931年2月生まれ。東京大学法学部を卒業し、東京銀行(三菱UFJ銀行の前身の一つ)に入行。退職後カリフォルニア大学大学院に留学し、家業の傍ら、28歳の若さで経済同友会に入会し、早くから財界活動に軸足を移すようになる。1964年3月、33歳の時に姫路電球から製造部門を分離し、ウシオ電機を設立、代表取締役社長に就いた。

 1969年、日本青年会議所会頭となり「財界の老害」を批判。「21世紀は市場経済の時代。民間が自立した社会にする必要がある」として規制緩和や株主尊重の路線を打ち出した。81年に第二次臨時行政調査会専門委員、95年から4年間、経済同友会代表幹事を務めた。2001年1月、森喜朗政権下で発足した経済財政諮問会議に初代の民間議員として参画。小泉純一郎政権(01年4月~06年9月)が幕を閉じるまで、その職を全うした。

 小泉構造改革はオリックス会長の宮内義彦氏が議長を務める規制改革・民間開放推進会議と牛尾氏が陣取る経済財政諮問会議が両輪の役割を果たした。小泉政権が発足する前から竹中平蔵氏に声をかけ、のちに小泉構造改革の柱となる政策を提言する集まりに参加させた。小泉政権発足と同時に、竹中氏は民間人閣僚として経済財政政策担当相に就任。「聖域なき構造改革」を断行する経済財政諮問会議の司令塔となった。

 小泉氏からバトンを引き継いだ第1次安倍内閣では、大田弘子氏が経済財政政策担当相に起用された。<安倍に大田を強力に推薦し、躊躇する大田を「新しい民間議員のリード役を務めて欲しい」とひざ詰めで口説き落としたのは、実は牛尾さんだった>(清水真人『経済財政戦記』日本経済新聞出版社刊)という。

新自由主義の牛尾氏と、保守本流のJR東海葛西名誉会長

 健康状態の悪化から、いったん下野した安倍氏は、政権に返り咲いた。牛尾氏と安倍氏の政治信条はかなり違うとされてきた。

「牛尾氏と葛西氏は水と油」(財界の長老)。

 牛尾氏は小泉政権時代に経済諮問会議の民間議員として規制緩和を推進した、市場原理主義に基づく新自由主義派。葛西氏は新自由主義が大嫌いな保守本流だ。牛尾氏が財界世話人として存在感を示したのは小泉政権時代である。牛尾氏は経営者として目立った業績は残していない。ウシオ電機の20年3月期の売上高は前期比3.7%減の1590億円、純利益は21%減の89億円。中堅企業にとどまる。

 新型コロナウイルス対策として、紫外線にはウイルスの感染力を抑える効果があるとされる。なかでも深紫外線は特に効果が高いとされている。ウシオ電機は深紫外線の新製品を開発中ということで、株式市場で久しぶりにスポットライトが当たった。2020年後半から紫外線照射モジュールを米社に供給するという材料が新たに出て、6月2日には一時、216円高の1554円まで買われた。年初来高値は1月10日の1796円だ。

 治朗氏の長男・志朗氏(62)はウシオ電機取締役。治朗氏の引退後、創業家の指定席である会長に就くと思われる。早ければ、株主総会後の取締役会で会長になるかもしれない。くしくも、牛尾治朗氏のウシオ電機会長の退任と、葛西氏のJR東海取締役退任が発表された。安倍長期政権の黄昏を象徴するような人事、と評されている。

(文=編集部)

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