豊臣秀吉はアルツハイマーだった?晩年の奇行、謎だらけの茶会中止…

Business Journal / 2015年10月27日 6時0分

「秀吉は、小さな脳出血を起こしていたという可能性はありますね。それがもとで、脳血管障害性認知症だった可能性もあります」

 秀吉の晩年の行動には、アルツハイマー病の兆候があったのだ。その秀吉が、10日間の開催予定を忘れたり、異常な判断によって茶会の継続が困難になっていたとしたら、どうだろうか。

 この説は、脳の病によって徐々に制御が利かなくなる権力者と、それに翻弄される人々という構図を思わせ、背筋が寒くなる話である。

●茶道発展に貢献した北野大茶会

 以上、北野大茶会の中止にまつわる7つの説を取り上げてみた。作家・太宰治は『右大臣実朝』という小説の中で、平家を指して「滅びゆく直前こそ異様に明るい」と源実朝に言わせている。

 北野大茶会と双璧をなす花見イベント「醍醐の花見」は、徳川家康らの諸大名に仮装をさせ、秀吉自らも瓜売りに変装するなど、愉楽の境地に達していた。しかし、その数年前に朝鮮に兵を繰り出した「文禄・慶長の役」をきっかけに、秀吉の歯車は狂い始めていく。

 茶道研究家の西堀一三が北野大茶会を高く評価したように、現在まで茶道が続いているのは、秀吉の権威のもとで行われた北野大茶会のおかげであることは間違いない。現代風にいえば「秀吉ランド・お茶の未来館」ともいうべき一大興行だったわけだが、そういった意味を鑑みても、北野大茶会は大失敗に終わったと見るのが妥当だろう。

 しかし、茶の湯の意義という観点で北野大茶会を見ると、それまで密室で行われていた茶の湯が大規模な屋外テーマパークとして開催されたわけで、秀吉の遊び心が後の時代の茶人たちを刺激したことは間違いない。

 北野大茶会は、1936(昭和11)年に350周年を記念して同地で再現されている。
(文=丸茂潤吉/作家)

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