李登輝元総統が私に語った、台湾の民主化を実現できた理由…軍事政権ナンバー2から転身

Business Journal / 2020年7月31日 19時30分

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 台湾の李登輝元総統が30日逝去した。28日には李氏の死亡情報が流れたが、李登輝事務所が否定し、その時点では誤報と判明したが、翌日には蔡英文総統と蘇貞昌・行政院長(首相に相当)が李氏の入院している病院に見舞いに行ったことから、「だいぶ悪いのではないか」と思っていた矢先に、訃報が現実のものとなってしまった。

 私は新聞社の香港支局長やフリーのジャーナリストとして、台湾を訪れ、何度か李氏にインタビューしたことがある。日本統治下の台湾で育ち、京都帝国大学の学生として22歳まで日本人だったこともあって、日本語は流ちょうで、考え方も日本人と同じだと感心したものだった。

 そのなかで印象に残っているのは、蒋介石率いる中国国民党が台湾を占拠し、台湾生まれの本省人を支配し、軍を中心とした専制政治を敷いた際、李氏は中国大陸の共産党政権にシンパシーを感じて、一時期、共産主義に関心を抱いた時期があったと語ったことだ。

 蒋介石政権下では思想統制が厳しかったので、わかれば、すぐに牢獄に入れられ、拷問で死んでいたかもしれない時代だった。それでなくても、当時は軍や警察による「本省人狩り」が頻繁に行われており、明け方や夜に一般の民家を官憲が急襲することもしばしばで、李氏の自宅も、何度か捜索の対象になった。しかし、「だれかいるか?」との官憲の声がすると、それには答えず、すぐに2階の窓から外に逃げたおかげで助かったという。

 外に逃げずに官憲に対応していると、有無を言わさずに逮捕され、監獄送りで、拷問されて、ありもしない罪を着せられて、10年も20年も監獄生活という例がざらだったという。いったん病気になったら看病もしてもらえないので、待っているのは死で、多数の本省人が亡くなったと語っていた。

 そのような本省人だった李氏が生き延びて、蒋経国総統に次ぐ副総統にまで上り詰めたのは、「専門が農業だったことが幸いした」と聞いたことがある。農業が専門ならば派閥もつくらず総統の座も狙わないだろうという蒋氏の思いがあったため、蒋氏は李氏に警戒心を抱かなかったのではないかというものだ。

中国・習近平との共通点

 この二人の関係を如実に表す写真がある。蒋氏の執務室で、両者が対面して歓談しているショットだが、右側に蒋氏が椅子に深々と座っているのに対して、左側の李氏は椅子の端っこにお尻を浅く乗せて、大柄の体躯を持て余すようにして両膝を窮屈そうに折って、笑顔で蒋氏の話を傾聴しているように見える写真だ。まさに弟子と師匠という関係がぴったりだ。蒋氏は最後は病気で亡くなるのだが、亡くなるまで総統職は手放さなかった。自分の命が危ないとわかっていても、ナンバー2の副総統である李氏を解任しなかったことから、蒋氏は李氏を「後継者」と決めていたのではないかとの見方もあった。

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