「朝鮮人はランクが下なのか」朝鮮学校生徒の呟きに透ける、蔑まれる“在日”の厳しさ

Business Journal / 2013年9月14日 14時0分

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 ドキュメンタリー番組を日々ウォッチし続けている映画監督・松江哲明氏が、ドキュメンタリー作家の視点で“裏読み”レビューします。

【今回の番組】

 9月10日放送『地方発ドキュメンタリー ~いま、“在日”として生きる 大阪・朝鮮学校の1年~』(NHK)

 ここ数年で「在日」が蔑む言葉として使われるようになったと思う。

 気に食わない意見には「お前、在日だろう」とバカやアホといった単語と同じような意図で使われる。そして「在日」の後には、韓国人、朝鮮人という単語が省略されている。アメリカ、中国ではなくコリアンが、なぜここまで嫌悪されるようになったのか。

 北朝鮮の政策や韓流ブームに対する反感、いろいろ挙げられるだろうが、僕には「在日」という言葉が、そのように使われてしまうことに疑問を感じる。外国人として日本に存在することが、なぜ許されないのだろうか。さまざまな事情を抱えて生きることが認められない思想に、いま社会で生きることの窮屈さを想像する。

 『いま、“在日”として生きる~大阪・朝鮮学校の1年~』は「在日」という言葉そのものと向き合うことから始まったドキュメンタリーだと思った。

 2012年の4月からカメラは回る。舞台は中大阪朝鮮初級学校。番組は約1年にわたって、50人の生徒と教師の生活を追っている。戦後、在日コリアンが母国の文化や言葉を教えるためにつくった学校だが、当時とは大きく様子が変わっている。

 各教室に飾られていた北の将軍様の肖像画は、今はもうない。代わりに校舎の入り口に、韓国の大統領と北朝鮮の指導者が握手をする写真が飾られている。

 この日の勉強は、朝鮮語を用いながら日本の選挙制度について教えていた。僕は、昔の朝鮮学校とはずいぶん変わったんだなと思った。金日成をたたえるような教育は、僕も時代錯誤だと思う。生徒たちのほとんどは三世・四世といった、日本で生まれ、これからも日本で暮らす子どもたちだ。日本で生きる教育が必要なのは当然だろう。一方で「自分が何者であるのか」というアイデンティティについては、しっかりと教える。このような社会状況だからこそ、特に。

 生徒のひとり、ソン・ウォンテ君は「朝鮮人はランクが下なのかな」と語る。今の日本で生活をしていて、そう考えてしまう気持ちはわかる。しかし、それは間違っている。人種の違いはあるが、それは優劣ではない。

 番組で紹介されたエピソードのひとつに、日本の生徒との交流会があった。帽子にボールを乗せて競争をするゲームで、ウォンテ君は他の子たちよりも圧倒的な力を発揮していた。その時、教室は彼を応援するコールでひとつになっていた。その様子こそが彼自身が架け橋となっていたことを証明していた。

●教師の給料も滞る経営状況

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