震災から19年、神戸市がもたらした“復興災害”~市民の資産毀損させ、他県企業優遇

Business Journal / 2014年2月27日 14時0分

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 兵庫県神戸市では、人災による復興災害が起きている。1995年に発生した阪神淡路大震災から19年が経過し、神戸の街を歩いていると、すっかり復興を成し遂げたかのように見える。再開発事業や区画整理事業が行われ、数多くの超高層ビルやマンションがそびえ立っている。しかし、「19年たったからこそ見えてきたものがある」と、神戸市長田区に暮らす住民は話す。はたして神戸は復興を成し遂げたのだろうか?

 神戸市長田区にある新長田駅周辺は、濃厚なほどに下町・神戸の色彩を残していた町だった。ケミカルシューズの工場や卸店舗が多数立ち並んでおり、それらが神戸経済を支えてきたといっていいだろう。

 95年1月17日、神戸市長田区にある新長田駅周辺は無残な光景に変貌した。それは “壊滅的”という言葉がふさわしいほどの被害で、直下型地震の恐ろしさを完膚なきまでに見せつけられた。ケミカルシューズの町であったことから、可燃物がいたるところに散在していた。そのため、火が方々に飛び移っていった。

 震災前、新長田駅周辺は、アーケードで覆われた商店街が縦横に連なっていた。工場、店舗、商店、長屋、アパートが入り混じり、住宅・商業・工業の混同地域だった。そこにあるほとんどの建物は木造の2階建てか平屋で、幹線道路以外は無数の路地で構成されていた。

 建物被害を見てみると、全壊が1万5521棟、半壊は8882棟と、区全体の57.2%の建物が倒壊した。倒壊率は神戸市全体の30.8%の2倍近い。新長田駅周辺で最も賑わいを見せていた大正筋商店街も、店舗の約9割が焼失した。

●神戸市主導で行われた再開発

 震災後、大正筋商店街一帯は神戸市主導で復興再開発事業が行われ、マンションと商店街が一体となった複合施設群「アスタくにづか(1~6番館)」に生まれ変わった。地下1階から地上2階までが商業店舗で、その上に30階建ての住宅棟が連なっている。遠目は豪華な施設だが、空き店舗がいたるところで見受けられ、シャッター通りとなっている。

 神戸市主導の再開発事業によって築かれた街並みは、活気があった震災前の風景とは大きくかけ離れたものとなった。まさしく行政の施策が引き起こした“復興災害”と言っていいだろう。

 神戸市は、震災からわずか2カ月後の95年3月17日に再開発計画を発表した。「新長田駅南地区」は総事業費が2711億円という、当時、西日本最大の再開発事業で、神戸市が中心となって約20ヘクタールに及ぶ広大な土地を買収し、高層ビルを含む44棟のビルを建設する計画だった。しかし、2013年末時点において完成しているのは34棟で、3棟が工事中、7棟は今後建設予定という。

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