渋谷マルキューとセシル、20年目の試練を乗り越えられるか?商品力と販売力復活のカギ

Business Journal / 2014年5月30日 1時0分

 実はセシルマクビーも、SHIBUYA 109も、正念場を迎えたのは2度目だ。

 それを紹介する前に、ジャパンイマジネーションの概要を説明しておこう。

 ギャルに支持されてブレイクした会社――と紹介すると、「若い女性社長が同世代目線で会社を興した」などと思われるかもしれないが、そうではない。

 戦後まもない1946年11月に、東京・新宿で婦人服と子供服の洋品店として創業。創業者は、かつては大蔵省や税務署、農林中央金庫に勤めた故木村恭也氏(木村会長の父)だった。そんな新宿の洋品店が64年に開催された東京オリンピックの前後に、新宿の駅ビル「新宿ステーションビル」(現在の「ルミネエスト」)や「小田急エース」、渋谷の「東急プラザ」などに出店し、駅ビルの発展とともに成長した。79年開業のSHIBUYA 109にも開業時から出店していた。

 そんな成り立ちゆえ、87年にセシルマクビーを立ち上げて以来10年間は、「山の手お嬢様路線」で、業界では“重衣料”と呼ぶ、スーツなどが得意な保守的ブランドだった。当時のSHIBUYA 109も、現在とは店舗構成が大きく異なり、紳士服や宝石店もある全世代型だった。

 さて、最初の正念場は90年代半ばに訪れた。当時から若者に人気だった渋谷の街とは裏腹に、マルキュー店内は閑散としていた。そこで東急は「渋谷の街を歩いている若い女性を呼び込もう」と決断し、ヤングレディース専門店ビルに変えた。

 東急から要請を受けたセシルマクビーも、当時ブランドマネジャーだった小嶋社長を中心に商品アイテムを一新し、前述のようなセクシーカジュアル系のブランド構成へと変えていく。この戦略転換が大成功して、マルキュー系ファッションが一大勢力となったのだ。

●「原点」はどこか?

 ビジネスの現場では、よく「悩んだ時は原点に立ち返れ」といわれる。だが、この言葉には落とし穴も潜む。「原点はどこか」を精査して行動しないと、道を誤ってしまう恐れがあるからだ。

 木村氏は「セシルブランドが立ち返る原点=ギャルではありません。ブレイクして20年近く、もはや渋谷の街にギャルはいなくなりましたから」と語り、「店に来店されるお客様一人ひとりを見ること。その一方でマーケット全体の変化やトレンドを見ること」の2点を見るべきポイントとして挙げる。

 セシルマクビーがここまで成長した理由には、お客に近い年代の女性店員に徹底して任せる姿勢もあった。店内を見ると、茶髪に派手なメークで接客するスタッフが目立つ。それもそのはず、彼女たちのほとんどは、もともとセシルの常連客だった。元顧客経験を踏まえて、心に届くような着こなし提案をする。

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