電通、過労自殺事件に「とても迷惑」「仕事やりづらい」と語る社員も

Business Journal / 2017年1月31日 6時0分

 同書によると、光永氏は「我々は常に一歩先に進まねばならぬ。併行を以って満足するものは、必ず落伍する」として社員の駆け足会を発足させた。「走れ、走れ」と言い、得意先を回るときでも、「わき目もふらず、駆ける」ことを課したという。

 新年は払暁戦(払暁は明け方)に限ると言って、午前3時に新年の仕事始め式を行った。さらには、寒詣り、富士登山などが実施された。寒詣りとは、社員が白装束に身を包み提灯片手に列をつくり、得意先から得意先へと回り、寒中見舞いを述べるものだ。

 吉田氏はこうした社員鍛錬に率先して参加して、光永イズムを身につけた。鬼十則は光永氏の経営理念を色濃く反映している。

 公益財団法人吉田秀雄記念事業財団の公式伝記によると、「自ら会心のこの十則を、役員や社員に朝礼などで復唱させるなどの強要を決してしなかった」という。

 当時、吉田氏が全力投球していたのは、民放ラジオ局の立ち上げだった。民放ラジオは1951年9月、名古屋の中部日本放送を皮切りに放送を開始した。同年8月に起草した「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない」で始まる鬼十則は、民放ラジオ局の広告争奪戦に挑む決意を表明したものでもあった。

 吉田氏は、鬼十則が社員に強要され、社員が過労死することなど露ほども思わなかっただろう。

●受験秀才に引き継がれた長時間労働

 吉田氏が入社したのは、「押し売りと広告屋は入るべからず」と書いた警告文を、玄関に張り出す会社が多数あった時代だ。広告は押し売り同様に扱われ、広告代理店の社会的地位は低かった。それに反発した吉田氏は、仕事のなんたるかを記した鬼十則を起草した。

 吉田氏が執念を燃やした広告業の近代化は、テレビ時代の到来とともに実現した。吉田氏は、電通を大学生が殺到する人気企業に変身させ、“中興の祖”と呼ばれた。

 光永氏、吉田氏のDNAは、新しい世代に引き継がれた。人気企業となった電通に入ってくるのは受験戦争の“勝ち組”の学生たちだ。受験戦争で鍛えられた彼らが企業戦士になったとき、長時間労働は抵抗なく受け入れられた。人々が競争に駆り立てられるのは、勝つことよりも落ちこぼれになることへの恐怖だ。この行動原理は受験生も企業戦士も変わらない。

 1月23日付で辞任した石井直社長は1月4日の年頭の挨拶で「われわれに内在する課題から生じたものであることを真摯に反省し、改めるべきところは抜本的に改めなければならない」と訴えた。

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