1976年「間違いだらけのクルマ選び」で徳大寺有恒氏が訴えたかったこと

clicccar / 2014年11月10日 14時13分

かつて、クリッカーはもちろんネットだって生まれてない1970年代。当時の日本車はがむしゃらに元気で、その存在感をワシワシと高めつつあった。輸出台数も右肩上がりで、日本人なら誰もが「日本車サイコーじゃね?」と信じて疑わなかったその時代に、「日本車なんかヘのカッパだ!」と、今どきのマツコや有吉だって言わない過激な発言で登場したのが、徳大寺有恒さんだった。

徳大寺さんの著した「間違いだらけのクルマ選び」は当時のクルマ好きに破壊的なまでの影響を与え、たちまちバイブルと化す。氏は「販売台数」だとか「壊れない」といった価値だけでクルマを見ることを否定し、操縦性や乗り心地、使い勝手という、クルマとしてより本質的な価値を探ることを提案した。それはつまり、自動車メーカーの「商品」である自動車を、愛情や趣味の対象としてユーザー自身の手に取り戻そうという崇高な試みでもあった。

「間違いだらけ〜」は76年以来ベストセラーの常連となり、クルマの好きの目のウロコをおそらく1億枚くらいは落としたに違いない。「アンダーステア」とか「ヒール・アンド・トゥ」といったカタカナ用語をこの本で知ったクルマ好きも多いはずだし、この本がきっかけで自動車メーカーに入社したり、自動車誌の編集者になっちまった人だって5人、10人じゃないはずだ。

ここ十数年ほどは世田谷のご自宅で仕事をこなされていたが、現役バリバリの頃は都内のホテルが事務所代わりだった。新人時代、ニューオータニやグランドパレスでガチガチに緊張しながら原稿を受け取った記憶のある編集者諸兄もおられるはず。独特の達筆は新参編集者にはほぼ読解不能で、「徳大寺さんの原稿が読めれば一人前」とも言われたそうだ。目が回るほど多忙であっても原稿が遅れることは皆無。生涯マネージャーも付けず、スケジュール管理もご自身で行うことにこだわった。

自動車評論という職業が男子一生涯を賭けるに足るものであること。徳大寺さんは溢れる知識と見事な文体を通じて、それを証明した。病の床に伏せることなく、あっけないまでに早く逝かれてしまわれたのも、氏の貫き通したダンディズムの表れなのかもしれない。今頃、大好きなパイプを燻らせながら、天上へと続くワインディングを飛ばしていることだろう。ご冥福をお祈りいたします。

(松田俊泰)

※画像提供:草思社

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