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「幸福」とは何か。【石井ゆかりの幸福論】

ココロニプロロ / 2021年9月25日 18時45分

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大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。
今回は、第12のテーマ、「幸福」とは何か。(前編)をお届けします。

12.「幸福」とは何か。(前編)
第12ハウスのテーマから「幸福とは何か」を考えたとき、私は2つのことを思い浮かべました。

ひとつは、「人間が最も大きな幸福を感じるのは、どんなときか」ということです。これは、このシリーズでも何度か書いたように思いますが、「心配事が解決したとき」「心待ちにしていた人が帰ってきたとき」「辛い病気が快癒したとき」「苦しみが終わり、安らぎが来たとき」なのではないかと私は考えています。何か辛いこと、悲しいこと、強い制限やガマンしている状態があって、それが「解除」されたとき、私たちは雨上がりの虹と青空を見上げるように、突き抜けるような「幸福だ!」という思いを味わいます。

たとえば恋人に愛を伝えたり、生涯のパートナーとなってくれるようにプロポーズしたりする時でも、思いを伝える側は極度に緊張し、「もし受け入れてもらえなかったらどうしよう」という恐怖を感じます。申し出を受ける側も、それを期待している場合は特に「このまま相手が態度をハッキリさせなかったらどうしよう」という深い不安や孤独感を抱くものだろうと思います。こうした暗い疑念や不安が深ければ深いほど、「告白」が受け入れられたときの喜びが大きくなるものではないでしょうか。

もうひとつは、「主体感」「自己効力感」というようなもののことです。
「自分の力でやった」「自分の判断でやった」「自分の意志でやった」という手応えは、幸福の重要な条件ではないでしょうか。たとえば、自分が取り組んだゲームがうまく行ったときでも、それが全くの偶然でうまく行ったときと、自分自身の創意工夫、技術などでうまく行ったときとでは、喜びの質が異なります。「自分が頑張って成し遂げたのだ」「自分の力で出来たのだ」と感じる時、私たちはその喜びを受けとる「正当な権利を持っている」と思えます。
たとえば、自分で首や脇の下を触ってもなんともないのに、他人が触ってくると「くすぐったい」と感じます。同じように同じ部位を触っても、「自分で触った」のと「他人が触った」ので感じ方が変わります。私たちは「自分がやったこと」と「他人がやったこと」を、こうした感覚レベルでさえ、細かく区別しています。

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