「喉に穴が開き、高熱を押して......」故・立川談志が筆談で弟子に残した4文字

日刊サイゾー / 2012年1月16日 8時0分

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 昨年11月21日、喉頭がんでこの世を去った落語家、立川談志(享年75)が弟子たちに最期に残した言葉が放送禁止用語だったことは、テレビでもさすがに報じられなかった。

「師匠と最後に会ったのは8月、声の出ない師匠と筆談したら、放送禁止用語の4文字を書いたんです」

 こう話したのは弟子の立川志の輔で、その気になる中身について一門の関係者に聞いたところ「オ●●コ」という女性器を指す言葉だったことが分かった。

「一門が集まったのは恒例の暑気払いで、師匠がお気に入りの銀座の老舗バーで行われました。師匠の通い慣れた場所でしたが、地下のフロアには弟子に助けられながら降りたほど衰弱していました。巻いていたスカーフをとると気管切開で喉に穴が開いていました......」

 例年なら話の中心にいる談志が、このときは聞き役として座っていただけだったという。

「みんな口々に師匠を楽しませようといろんな笑い話をしましたよ。そのうちにひとりが何か師匠から言葉をもらおうとペンを出したんです。すると師匠は細くなった腕で隅に小さく4文字を書いて一同を笑わせました。その後はすぐに帰られたんですが、後で聞いたら高熱を解熱剤で冷まして駆けつけたとのことでした」(同)

 談志の死で多くのテレビリポーターが、この暑気払いに出た20名ほどの弟子らを取材したが、誰もこの放送禁止用語を口に出すわけにはいかなかったという。

「何人かは携帯電話のカメラでその文字を撮影していましたが、写真でも見せられないわけで」(同)

 談志は生前から自ら考えていた戒名が「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」というもので、これもテレビでは報じられなかった。

「テレビじゃ報じられないようなギャグが大好きな師匠でしたが生前、噺家なら死ぬときも人を楽しませなくちゃ......とも言っていましたよ。"俺が死ぬときの新聞の見出しは『談志が死んだ』だ"と回文のジョークも言っていて、それを知っていた記者が実際にその見出しをつけてくれましたね。師匠に応える粋な計らいでした」(同)

 97年に食道がんを公表した際、談志は記者会見で「俺が死にゃ、喜ぶ奴がいっぱいいるよ」と笑っていたが、実際には死の直後は悲しみの空気に包まれるばかりだった。

 ただ、さすがは談志の弟子たちだ。「師匠が死んだから、これでもう解禁できる。客がドン引きするような師匠の話がたくさんあって『俺が死んだらネタにしろ。遺産代わりだ』と言われていたから、高座で使わせてもらいます」と弟子のひとり。

 どんなときでも客を楽しませるという、談志イズムはしっかり継承されているようだ。
(文=鈴木雅久)


※画像は談志大全 (上) DVD-BOX 立川談志古典落語ライブ 2001~2007(竹書房)


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