議論呼ぶデイリースポーツ紙のコラム なぜサッカーメディアは選手のコメントを欲しがる?

日刊サイゾー / 2013年11月21日 16時0分

 デイリースポーツ紙が掲載したコラム「サッカー日本代表、取材現場の変化」が、ネット上で議論を巻き起こしている。内容を要約すると、「記者は、サポーターと選手をつないできた。しかし、現在は記者と選手の距離が遠くなり、選手の内面やプライベートなエピソードを伝えられなくなっている。昔は日本代表選手でも記者との距離が近く、誕生日を祝ったりした。そこから生まれた記事もあった。しかし、現日本代表は海外組が多く、日本代表戦でしか話ができない。それなのに、日本代表戦は、日本サッカー協会(JFA)の取材規制がある」というものだ。このコラムに、「取材能力のなさをさらけ出している」「誰も同意しないでしょ」といった意見が噴出しているが、実際に記者と選手の距離は遠くなっているのか? サッカー誌の編集者に話を聞いた。

「一概には言えません。例えば、日刊スポーツは本田圭佑とべったりですし、長友佑都にはお抱えのフリーの記者がいる。選手個々で、そういった記者がいます。ただし、スポーツライターの金子達仁氏も指摘していましたが、昔のように、試合後すぐに選手に話を聞くのは難しくなりました。ミックスゾーンに出てきてもらえないと話は聞けませんし、そこには3ケタ近い記者が大挙しており、なかなか話を聞けません。お抱え記者になれば、電話などがあるとは思いますが、そうなるためには年がら年中、その選手を追わないといけませんし」

 だが、なぜサッカーメディアは、そこまで選手のコメントを欲するのだろうか?

「今回の記事の背景には、サッカーメディアの現状があります。Jリーグ公認ファンサイト『J's GOAL』のアクセスを見ても一目瞭然ですが、読者に好まれるのは、マッチレポートや採点ではなく、監督や選手のコメントなんです。書籍も自伝モノが売れる傾向にある。つまり、監督や選手のコメントをとってナンボなわけです。多くの若手ライターが現れ、サッカーメディアが変化しているように見えるかもしれませんが、本質は選手コメントありきというのは変わっていません。いまやユースカテゴリーは青田買いの場です。多くの記者が、将来が有望な若手選手たちとベッタリするために必死です。もちろん、記者側にも言い分はある。例えば『遠藤がJ2でプレーすることの意味』というコラムを執筆された方がいました。ジャーナリズム精神あふれる内容でしたが、ゆえに読者から多くの批判を受けた。たった一文で、鬼の首を取ったかのように炎上させられるのがネット社会です。ならば、選手のコメントだけで構成したほうが楽なわけです」

 記者たちが必死になってコメントを取ろうとするのは、読者がそれを求めているからという構図があるようだ。しかし、その“体制”に未来はあるのだろうか? デイリーのコラムでは「選手の話したいことと、サポーターの知りたいことは違う」と定義されていたが、記者がそれをつなぐだけの存在となると、無用の長物となるだろう。なぜならば、選手がネットを使い、サポーターと対話するようになれば、もはや役目はない。現在のサッカーメディアは「JFAやJリーグの幹部たちに不正はないか?」「フロントの経営は問題ないか?」「この監督で勝てるかどうか?」といった、記者の本分の一つである“権力の監視”を放棄しているように映る。

「選手のコメントは確かに面白いですが、ただ、きちんと語れる記者も評価してほしい。そうなれば、記者たちも経営学を勉強したり、コーチや審判やトレーナーのライセンスを取得するなど、さまざまな努力をするでしょう。独自の視点も増えるはずです。それは、サッカー界の活性化にもつながる。今は、監督や選手に顔を覚えてもらう努力しかしていないですからね」(サッカーライター)

 メディアというのは体制である。一度作られた体制を変えるのは難しい。だからこそ、それを変えることができるのは、体制に当てはまらない一般市民、つまり読者だと思う。サッカーファンが、サッカーメディアに何を求めているのか? 今回の件から、そんな議論がネット上で巻き起これば、何かが変わる気がする。

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