南アフリカW杯落選の悔し涙から4年 夢を追い越した、香川真司の戦い

日刊サイゾー / 2013年12月2日 11時0分

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アスリートの自伝・評伝から読み解く、本物の男の生き方――。

 2010年、南アフリカワールドカップ。岡田武史監督率いる日本代表23人の中に、香川真司の姿はなかった。アジア最終予選にも出場していたものの、岡田監督が選んだのは彼ではなかった。香川は、サポートメンバーとして、南アフリカで日本代表チームの戦いを見ていた。

 「野球をさせたい」という父親の意向に反して、小学生の頃からサッカーばかりしてきた香川は、中学生になると、両親と暮らす神戸から、仙台市に拠点を置く「FCみやぎバルセロナ」に入部する。プロを目指す子どもたちならば、Jリーグのユースチームに入るのが一般的。しかし、彼は「街クラブ」へのサッカー留学を選んだ。

「プロのクラブチームに所属すると、トップ昇格することでしかプロへの道は開けない。しかも進める道はそのチームだけ。それよりも街クラブに入れば、いろいろなところから注目されてオファーがもらえる」(『香川真司』汐文社)

と、小学生にして、冷静すぎる判断を下していたのだ。

 親元を離れてサッカーに打ち込んだ中高生時代の香川は、全国大会での華々しい成績やU-15日本代表への選出などにより、17歳でセレッソ大阪に入団。ユース所属の選手を除き、高校卒業前の選手がプロ契約を結ぶのは初めてだった。1年目こそ試合への出場機会はなかったが、2年目からは大ブレーク。レギュラーを獲得すると、セレッソにとって欠かせない選手に成長していく。

 Jリーグなどでの活躍が評価され、2008年に日本代表として選出された香川。しかし、ワールドカップ南アフリカ大会にはまさかの落選。「ワールドカップメンバーになれるとはあんまり思っていなかったんですよね(笑)。だから、悔しさってそんなにないんです」(「週刊プレイボーイ」集英社)と語った香川だが、代表落選の当日に開いた記者会見では、悔し涙を滲ませていた。

 そして2010年、ドイツ・ブンデスリーガの古豪、ボルシア・ドルトムントへと移籍する。

 香川は、ピッチの上と同様に、常に冷静な判断を下す。それは、「プロになる」という目標のために仙台に一人渡った時もそうだし、ドルトムントに移籍する前に、ブンデスリーガを訪れ、サポーターたちの熱狂の渦中で自分の実力がここで通用するのかを見定めた時もそうだ。そして、彼が出した答えが「通用する」。事実、マスコミ各紙が選出するブンデスリーガの年間ベストイレブンや、欧州年間ベストイレブンに名を連ねるほどの活躍を果たし、クラブをリーグ優勝へと導く。

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