日本人初のトップ10入り! 松岡修造が見いだした、プロテニスプレイヤー錦織圭の才能

日刊サイゾー / 2014年5月22日 16時0分

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 元世界ランキング1位、ロジャー・フェデラーを撃破し、4月のバルセロナオープンで優勝。さらに、5月のマドリード・オープンでは、ラファエル・ナダルにあと一歩のところまで肉薄した錦織圭。同大会は惜しくも途中棄権となったものの、この結果から、日本男子として初となるランキングトップ10入りを果たしている。24歳の錦織は、いま最も充実した時期を過ごしているようだ。

 この好調ぶりを維持できれば、5月下旬の全仏オープン、あるいは6月のウィンブルドンで日本人男子初となる優勝を飾れるかも……と、テニスファンはにわかに色めき立っている。では錦織は、これまでどのような道を歩んできたのだろうか? テニスジャーナリスト・神仁司氏が2008年に上梓した『錦織圭 15-0』(実業之日本社)から、その半生をひもといてみよう。

 テニスコーチをやっていた父・清志氏の勧めによって、5歳からラケットを振り回していた錦織少年。しかし、運動能力がズバ抜けていたわけではなく、テニスに対する情熱も深くはなかった。にもかかわらず、小学生の頃から全国区の選手として活躍し、全国選抜ジュニアテニス選手権大会12歳以下の部で優勝する。そして、その試合を間近で見ていたのが、引退して間もない松岡修造だった。当時を振り返り、松岡は錦織のプレーをこう表現している。

「圭は、背は高くなく、力もあまりない、目立たない。でも、試合には勝っている。組み立てがうまくて、ポイントを取っている。想像力があって、ストロークもネットも、いろいろなプレーができた」(『錦織圭 15-0』)

 松岡に見いだされ、トップジュニアだけが参加できるキャンプ「修造チャレンジ」への切符を手にした錦織は、年上の選手に囲まれながらメキメキと成長していく。だが、世界の壁は厚かった。02年、国際大会「ジャパンオープンジュニア」に出場した錦織は惨敗。松岡は、そんな錦織に対して檄を飛ばした。

「ただ単にプレーをするのではなくて、世界に向けてプレーする大切さを学びなさい」(同)

 クルム伊達公子や杉山愛など、世界を相手に活躍する女子テニスプレイヤーは多い。しかし、こと男子に目を向けると、松岡以外、世界で通用するようなプレーヤーは輩出されていなかった。松岡は、錦織をグローバルな選手に育てようと本気だったのだ。

 そして、中学生になった錦織に転機が訪れる。わずか13歳にして、アメリカ・IMGアカデミーに留学。親元を離れ、最高の練習環境でテニス漬けの日々を送ることになった。日本語の通じない不慣れな環境で、錦織自ら「牢獄のよう」と語ったアカデミーでの生活は過酷そのもの。しかし、その「牢獄」の中で練習を積み、マリア・シャラポワやフェデラー、ナダルらのヒッティングパートナーを務めるなど、世界のトップレベルを体感した錦織は、オーストラリアオープンジュニア、全仏オープンジュニアでそれぞれベスト8進出、ルキシロンカップ優勝など着々と実力をつけていった。

 錦織がその名を世間に轟かせるきっかけとなったのは、プロ転向後、08年の「デルレイビーチ・インターナショナルテニスチャンピオンシップス」だ。予選から勝ち上がった錦織は、強豪選手をねじ伏せ、ツアー初優勝を決めた。日本人男子選手によるツアー優勝は、92年の松岡以来2人目の快挙。しかも、18歳1カ月という若さでの優勝に、スポーツメディアは一斉に沸いた。

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