佐世保小6女児同級生殺害事件 周囲の人々が抱える10年間の葛藤

日刊サイゾー / 2014年5月29日 21時30分

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 「佐世保小6女児同級生殺害事件」から今年で10年。白昼の小学校内で、6年生の女子児童が同級生にカッターナイフで首を切られるという前代未聞の事件は、当時、社会に大きなインパクトを与えた。『謝るなら、いつでもおいで』(集英社)は当時、毎日新聞佐世保支局で事件の取材にあたっていた川名壮志が、事件から10年を経て執筆したノンフィクションだ。

 初めは、小さないざこざだった。交換日記の中やインターネットの上で発生した、友だち同士の些細なトラブル。しかし、小学生なら誰でも経験するような小さな傷が、白昼の殺人という、大人も目をそむけずにはいられないような大事件へと発展する。「いったいなぜ……?」どう考えても埋めることのできない、原因と結果との途方もない乖離。『バトル・ロワイアル』にハマり、小説の二次創作をしていた加害者の少女は、インターネットでオカルトやホラーなどアングラ系サイトをのぞき見ることを趣味としていた。それは、確かに原因の一端であるかもしれないが、その事実をもってしても「なぜ」という疑問が消えることはない。

 本書において、著者である川名の主眼は「なぜ」を追求することに向けられていない。その代わりに彼が描くのは、事件によって日常を奪われてしまった、自分自身を含めた周囲の人々の葛藤だ。

 殺された御手洗怜美さんは当時、毎日新聞佐世保支局長であった御手洗恭二氏の娘。支局長の社宅は支局の上階に作られており、川名も怜美さんとも挨拶をかわしたり、一緒に食卓を囲むなど、家族同然の付き合いをしていた。しかし、そんな日常は、事件の発生を境に奪われてしまう。彼は、「被害者の隣人」でありながら、新聞記者として事件を報道する立場となってしまったのだ。そして、初めてそんな立場から見たマスコミの世界は、不条理で、グロテスクな姿をしていた。

「御手洗さんは、報道陣の要望に応えて佐世保市役所で会見していた。遺族が事件当日に会見を開くなど、前代未聞のことだった。
 男性アナウンサーが、表情を変えずに淡々と事件に触れる。
 『こんなときに、なんで御手洗さんを引きずりだしたんだ』
 折り目正しいナレーションを聞きながら、僕は思わず怒りがこみ上げる。マスコミの一員でありながら、要望の残酷さが許せない。いい気なものであるが」

「事件報道でお馴染みの原稿スタイル、お決まりの写真なのに、そこに出てくる怜美ちゃんや御手洗さんの名前に、ひどく違和感をおぼえる。昨日から夢の続きを見ているようだ。彼女の命がすでにないものだという現実を、どうしても頭が受け入れない」

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