「昭和最大のミステリー」下山事件を読み解くブックガイド

日刊サイゾー / 2017年4月23日 17時0分

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 昨年、海の向こうのトランプ大統領が使った「ポストファクト主義」という言葉が注目を集めた。「ポスト真実」とも言うらしい。無数のあらゆる情報が飛び交う現代においては、「真実かどうか」よりも「それに対する感情や、個人的な意見」のほうが影響力を持っている、という意味の言葉だ。この言葉を聞いた時、僕は「下山病」を思い出した。

 そう、日本には「下山病」という病気がある。60年以上前に生まれたこの病は、一度かかると非常に治療が難しい。

 ゲザンビョウ? 高山病の逆? いやいや違う。「しもやまびょう」と読む。初代国鉄総裁・下山定則氏の名前に由来する。下山総裁こそが、昭和最大のミステリーと呼ばれる「下山事件」の主役であり、このミステリーの謎解きに取り憑かれた人々を「下山病患者」と呼ぶのだ。

 1949年7月6日午前0時30分過ぎ、常磐線・北千住駅と綾瀬駅の間の線路上で、列車に「轢断」された死体を発見した。約85メートルにわたってバラバラになっていたその轢死体は、色白で肉付きがよかったために当初は女性と思われたが、散乱する所持品の中に「国鉄総裁・下山定則」の名刺等が発見されたことから、事件は急激に騒がしくなっていく。まさに、轢死体発見の15時間前、下山総裁は日本橋の三越に入っていく姿を運転手に見届けられたのを最後に行方不明となり、失踪事件として捜査が開始されていたのだ。轢死体は、下山総裁本人であることが確認され、このニュースは列島中を駆け巡った。

 下山氏は、同年に発足した国鉄の初代総裁となった人物だ。技術畑出身でありながら異例の抜擢を受けた彼に課せられた仕事は、実に10万人近い国鉄職員の人員整理。1949年当時は本格化する冷戦に突入した時代であり、日本の占領統治を行うアメリカは、日本を「反共産主義の砦」として再生すべく、経済の立て直しを急いでいた。そのために実施された「ドッジ・ライン」と呼ばれる経済政策の一環として、全国で28万人の公務員の人員整理、いわゆる「首切り」を日本政府に要求した。下山総裁は事件当時、まさにこの人員整理を迫られ、そのリストを発表している最中だった。こうした緊迫した状況の中での、遺体発見。

 当初は、これらの「首切り」のプレッシャーを受けての「自殺」と考えられ、マスコミもそれに寄った報道を行った。しかし、遺体の司法解剖の結果からは「他殺」の可能性が浮かび上がった。それだけでなく、検視を行った各機関による見解が、「他殺」と「自殺」で真っ二つに割れたのだ。注目されたのは、列車に轢断された下山総裁の遺体が、生きている状態で轢断された=「生体轢断」か、死んでいる状態で轢断された=「死後轢断」か、だ。生体轢断なら自殺である可能性が高いが、死後轢断ならどこか別の場所で殺害されて線路上に放置された、つまり他殺だということになる。それを判定する鍵は、下山総裁の傷口が生きている間にできたことを示す「生活反応」があるかどうかだ。最初に司法解剖を行った東京大学の古畑教授は、死後轢断と判定した。つまり他殺だ。しかし、そのあとに司法解剖を行った東京都監察医務院の八十島監察医、慶應義塾大学の中舘教授は「生体轢断」、つまり自殺の可能性が高いと主張した。マスコミもこれに追従し、朝日新聞や作家の松本清張などは「他殺」、毎日新聞などは「自殺」を支持し、一大論争に発展した。

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